第3話:朝日光(第二形態)
一日経って火曜日になっても、依然として刺すような視線が教室中から向けられている。
それでも教室内だけを見れば昨日と比べて少しはましにはなったが、噂の広がりはまだまだ留まるところを知らないらしい。
今度は別のクラスや……果ては別学年の人たちも覗きにくるようになっていた。。
『ほら、あいつだって』
『えぇ……あれが?』
『なんかの冗談だろ?』
無神経に投げかけられる言葉の数々。
その全てが、どれもこれも取るに足らない嫉妬や羨望でしかない。
……と一蹴できる性格だったら、どれだけ楽だっただろうか。
現実は、自分自身がその言葉を肯定してしまっている側面さえある。
俺みたいにダメな男が、朝日さんと両想い……ましてや付き合ったりするなんて考えれば考えれるほど、ありえないことだと思えてくる。
昨日から何度も繰り返した自己否定の傍らに時計を見る。
時刻は始業の十五分前。
もうクラスメイトの半数以上は登校しているが、彼女の姿はまだ見えない。
テニスの大会は昨日で終わり、今日からは登校してくるはずだけど……。
手元でスマホを操作して、昨日のやり取りを画面に表示させる。
『優勝したよー!』
『おめでとう。優勝って……すごすぎて、それ以外の言葉が見つからない。本当におめでとう』
『全部、影山くんのおかげだから。本当にありがとね。大好きだよ』
これまでの俺たちの関係に、新たに付け加えられた最後の言葉。
それがあまりにも強烈すぎて、何も返信できなかった。
情けない男とか思われてたらどうしよう……と、心配になる。
教室に入ってきた途端に、そんな目で見られたらショックで死ぬかもしれない。
自分でも分かるくらいの杞憂に頭を抱えていると――
「みんなー! おっはよー!」
入り口の方から、ハツラツな声が教室中に響き渡った。
他の誰かがやれば、間違いなくドン引きされるような挨拶。
けれど、それが許される存在がこのクラスには一人だけいる。
私立秀葉院学園のスクールカーストのトップオブトップにして、ナチュラルボーン光属性愛されガール。
顔を上げると、数日ぶりに見る彼女の姿が教室に入り口にあった。
こんな状況でも、それだけで何か救われたような気持ちになる。
「光、おはよー。今朝は遅かったね」
「うん、疲れていっぱい寝ちゃったせいで寝癖がひどくって。直すのに手間取っちゃった」
「おはよー。それと優勝おめでとー」
「うん、ありがとー!」
普段の日常と変わらない、当たり障りのない挨拶が交わされていく。
しかし、それは表面上だけで、皆が内心では牽制し合っているのが分かる。
あの件について、誰が本丸への一番槍を務めるのか……。
当事者の片割れとして、固唾をのんで事態を見守っていると一軍女子の一人……確か宮崎さんが立ち上がった。
「ねぇ、光……ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
彼女は神妙な面持ちを浮かべながら、自分の席に着いた朝日さんに声をかけた。
「ん? 何?」
「あの話って……本当なの?」
僅かな逡巡の後に、彼女は意を決したように切り出した。
「あの話? 何の話だろ? 優勝したから九月はアメリカに行くって話?」
首を傾げる朝日さんに対して、宮崎さんは俺を一瞥して続けていく。
「そうじゃなくて、あの人……影……山くんだっけ……? 光が、あの人に告ったって……変な噂が昨日から流れてるんだけど……」
たちの悪い噂に決まっている。
本人が早々に否定してくれれば、この空気も全て一蹴されるはず。
そう祈るように尋ねた宮崎さんに――
「え? あっ、うん。本当だけど」
朝日さんは何の衒いもなく、あっさりと答えた。
噂が事実だと確定したことで、室内に大きなざわめきが起こる。
一方、その爆心地にいるはずの朝日さんは変わらず平然としている。
無神経とも取れるクラスメイトたちの反応に、欠片ほどの敵意も見せていない。
自分の感情には、一切の後ろめたさがないと心から思っているのが分かる。
「な、なんで? そんなの……おかしくない?」
「なんでって……影山くんのことが好きだからだけど、何かおかしいかな?」
「おかしいって……! だって、光とあの人じゃ全く釣り合ってないし……」
「そう言われても……好きなものは好きだし……」
「絶対、考え直した方がいいって……!」
まるで胡散臭いビジネスか、怪しい新興宗教に騙されている友人を必死に救おうとしているような口ぶり。
言葉にこそしてないが、周囲の皆もそれに同調した素振りを見せている。
「んー……考え直す……?」
一方、言われた側の朝日さんは指を口に当て、思案するような仕草を見せる。
クラスメイトたちも何かを待つように、それに倣って黙り込む。
そして十秒、二十秒と無音の時間が続いた後に――
「考え直してみた結果……確かに好きじゃないかも……」
「や、やっぱりそうだよね。だって、光があんなぱっとしない――」
「大好きなんだよねー」
彼女はニヘっと破顔して、そう答えた。
見ているだけ、聞いているだけで、こっちが恥ずかしくなってくるような言動。
耐えきれなくなって、思わず顔を机に伏せてしまう。
皆が絶句しているのも空気を通して伝わってくる。
それを躊躇なく、事も無げにやってしまうのが朝日光なんだと思い知らされた。
「はいはい、余計なおせっかいはそこまで。あんまり人の個人的な事情に首を挟まないの」
無敵すぎる彼女に皆が言葉を失っている中、折衝役の日野さんがパンパンと手を叩いてその沈黙を打ち破る。
「ん~……私は全然、構わないけど。別に隠すことでもないし」
「貴方が構わなくても、彼が構うでしょ……」
呆れるように言った日野さんが、こちらを一瞥する。
それに追従するように朝日さんも俺の方へと視線を移す。
目線が合うと、彼女はパァっと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
そのまま立ち上がって、周囲の反応を意にも介さずにこっちへと歩いてくる。
「影山くん、おはよっ!」
「お、おはよう……それと、改めて優勝おめでとう」
「ありがと……それから私もごめんね。この前は急にあんなこと言っちゃって」
「いや、全然……こちらこそ光栄っていうか……むしろ、みんなが言ってるように俺如きがって――」
言葉を遮るように、両頬が軽く摘まれる。
「あ、あにょ……にゃにか……?」
「私が君を好きなのに、他の誰がどうとか関係なくない?」
少しムスっとされながら改めて口頭で告げられた二文字に、顔が熱を帯びる。
「それは、そうなんだけど……ごめん……」
それを謝罪の言葉で情けなく濁す。
もちろん、自分からも同じ言葉を返したい気持ちは当然ある。
けれど、この空気の中でそれを言えるだけの自信も勇気も俺には備わっていない。
「ところで……話は変わるんだけど、確か今日って水守さんのお店は定休日だよね?」
「え? ああ……うん、そうだけど……」
「つまり、今日の放課後は影山くんの予定も空いてるってことだよね?」
「まあ、そうかな。家に帰ってゲームをするくらいの予定しかないし」
「だったらさ。今日も遊びに行っていい?」
「それはもちろん……構わないけど……」
こうして普通に話している間も、俺は信じられないものを見ているような周囲の目が気になって仕方ない。
しかし、彼女はまるでこの世界には自分と俺しかいないかのように振る舞っている。
俺と違って、自分の感情の正しさを微塵も疑っていない。
「じゃあ、決まり! 学校帰りにそのまま行くから忘れないでね!」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、自分の席へと戻っていく朝日さん。
前よりも更に距離が近づいたからこそ、今はその姿が直視できないくらいに眩しく感じてしまう。





