第1話:地獄
ベッドに座っている俺に対面する形で、朝日さんが膝の上に乗っている。
「ま、まじですんの……?」
これまでのどんな状況よりも近くで彼女の目を覗きながら尋ねる。
「もちろん、だって罰ゲームだもん。敗者は勝者の言うことを聞く……だよね?」
妖艶な笑みを浮かべながら彼女が言う。
「分かった……。でも、お手柔らかに……」
覚悟は決まった……わけではないけれど、今の彼女に逆らうなんて俺には無理だった。
「それじゃ……目、瞑って?」
言われた通りに目を瞑ると、視覚以外の感覚が更に鋭敏になる。
両腿にかかる心地よい重み。
鼻孔をくすぐるシャンプーの甘い香り。
触れ合う場所からは、熱いくらいの体温も伝わってくる。
確かにガン攻めすると宣言はされたが、もはや距離感が近いなんてレベルじゃない密着。
第二形態となった彼女の攻撃力は、想像を遥かに越えていた。
ひょっとすると俺は、開けてはいけないパンドラの匣を開けてしまったのかもしれない。
顔の表面に空気を通しても体温が伝わってくる。
吐息が微かに顔にかかっている。
目を開ければ、彼女の顔がこれまで見たどの距離よりも近くにあるんだろう。
天国のような心地……ではなく、俺は今まさに天国にいるのかもしれない。
*****
――時刻は天国に至る前日へと遡る。
誰か助けてください。
朝日さんの試合を応援しに行ってから早二日が経った月曜日。
私立秀葉院学園の本校舎二階は、俺にとっての地獄と化していた。
「ねぇねぇ、あの話って……本当なの……? ほら、光がさ……」
「えー……ありえないでしょ……だって、相手があれって……」
「でも、そんな噂になる出来事はあったのは本当なんじゃない? このクラスにも聞いてた子がいるって言うし……」
「うっそだー……集団幻覚でも見てたんじゃないの……?」
教室の至る所から聞こえる女子たちのヒソヒソ話。
「まじでありえねぇだろ……なんであいつが……」
「いや、俺……ガチでショックなんだけど……」
「ショックっつーかムカつくわ。誰か俺に代わりに、この怒りを直接ぶつけてくんねーかな……物理的に」
隠す気もない男子たちの怨嗟の声。
八層地獄の深淵よりも凍てつくような空気が、教室中に満ちている。
話題の中心はもちろん、あの出来事。
完全復活し、見事に試合で勝利を収めた直後に朝日さんが俺に告白した件だ。
周りで聞いていたのは十人程だったが、今や学年中……いや学校中に広まってしまっているらしい。
登校してから今に至るまでずっと、直接俺に問い詰めに来るようなこともなく、ただ刺すような視線だけを浴び続けている。
初日の転校生みたいに皆から囲まれて質問攻めに遭って――
『すげーな! お前! どうやって落としたんだよ!』
『なんか、影山くんって近くで見ると結構かっこよくない……?』
『俺、朝日さんのこと好きだったからめっちゃショックなんだけど……でも、彼女が幸せならOKです!』
……ってな風に、なんだかんだで祝福される。
そんなコテコテの青春ドラマ的やり取りを期待してたわけじゃない。
してたわけじゃないけど……これは流石にキツすぎる……。
針のむしろの上で、ジグダンスを踊らされているような気分だ。
しかも事の発端にして、事件の中心人物である朝日さんの姿は教室に無い。
彼女は土日に続いて、今日もまだ大会に参加するために公欠している。
つまり、今日一日は一人でこの地獄を乗り越えなければならない。
これはもう得意の寝たふりでやり過ごすしかないと顔を伏せようとした瞬間に、ポケットの中でスマホが振動する。
取り出して画面を見ると、日野さんからメッセージが届いていた。
『助けた方がいい?』
画面から教室の最前列へと視線を移すと、日野さんもこっちを見ていた。
届いたメッセージと同じ言葉を、目配せで再度伝えられる。
『大丈夫。すぐ収まるだろうし。人の噂もなんとやらって』
手元を操作して、彼女にメッセージを送り返す。
大丈夫じゃないし、すぐにも収まるとは思えない。
けれど、ここで彼女が参戦すれば間違いなく、教室は火の海と化す。
『そう。でも、何かあったらすぐ言って』
最初は怖い人だと思ってたけれど、味方なれば頼りになることこの上ない。
感謝の言葉と返そうとしていると、先に向こうから新しいメッセージが届く。
『私は応援してるから。二人のこと』
その心強い言葉に、気持ちが少しだけ軽くなる。
『ありがとう。本当に困ったら頼らせてもらうかも』
感謝のメッセージを返して、視線をスマホから教卓の方へと移す。
授業が始まるまで、後五分。
自分が置かれている状況について考えるのは不毛だと、なるべく別のことを考える。
すると自然と思い浮かぶのは、朝日さんのことだった。
きっと今頃は試合の最中なんだろう。
もう心配だとは思わないけれど、その代わりに別の考えが湧き上がってくる。
彼女の想いに、俺はどう応えるべきなのか。
自分が彼女を恋愛的な意味で好きなのは、もう誤魔化さずに認めるしかない。
つまり、俺たちは晴れて両想いの間柄というわけだ。
けれど、面倒なことに俺の心の内側には彼女への劣等感が未だ存在している。
たった二文字でこの状況を生み出してしまうような人と自分が、そういう関係になることに現実感が持てない。
我ながらめんどくさい性格だと、そんな自分がますます嫌になる。
周囲からの嫌な注目に、考えれば考えるほどネガティブな思考へと流されていく。
そうして案の定、全く集中できないまま、午前の授業が終わった。
まだ鐘が鳴っている中、できるだけ早くこの場を抜け出そうと鞄から昼食を取り出す。
そんな些細な行動だけで、また周りの視線が一瞬だが集まる。
気にしてない風を装って、ビニール袋を手にさっさと廊下に出る。
噂は既に学校中に蔓延しているのか、教室を出ても周囲からの視線が途切れることは無かった。
常に注目を浴びていた朝日さんの気分を、皮肉なことに今は自分が限りなく嫌な形で体験できてしまっている。
いつもの習慣で向かってしまっているが、あの二人にもきっと色々と聞かれるだろう。
それにどう答えるべきかを考えながら、渡り廊下の扉に手をかけた時だった。
「あーっ! おったおった!! 教室におらんと思ったら、こんなところにおったー!」
後ろから、びっくりするくらいに大きな声が響いてきた。
振り返った先にいたのは、俺より頭一つ分は低い身長の小柄な女子。
「君、影山くんやんな? B組の」
あまり聞き慣れないイントネーションの訛りが強い言葉遣い。
低い位置にあるデコ出しのボブカットを揺らしながら、跳ねるような歩調で近づいてくる。
「そ、そうだけど……」
「そしたら、ちょっと君に聞きたいことがあるんやけど……ええかな?」
こうして対面するのは初めてだが、俺はその人を知っていた。
全方位へのフレンドリーさでは朝日さんをも凌駕すると言われている、学年でも人気の高い女子の一人。
颯斗曰く、『関西からの刺客』――緒方茜が俺の前に姿を現した。
お待たせしました! 本日より二章開幕です!
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