第29話:貴方にしか
中間試験が終わり、休日を明けて始めての授業日。
そろそろ夏の訪れを実感する日差しの下で俺はだらけにだらけきっていた。
時刻は三時間目の真っ只中で、陰キャにとっては心身両面で最も辛い体育の授業中。
試験明けということもあり、体育教師の計らいによってサッカーが行われることになった。
「マイボ!」
「マイボマイボ!!」
「マイボーッ!!!」
視線の先では、体操着姿の同級生たちが白黒模様のボールを蹴り合っている。
体育教師的には生徒の息抜きとして球技を選んだのだろうが、運動が苦手な俺からすれば快い時間とは言い難い。
ただ、参加は強制ではなく、暗黙の了解的にボール拾いという名の見学が許されたのだけが幸いだった。
「サッカー部って……なんで授業のサッカーであんなに張り切るんだろうね」
「そりゃあ、女子にいいところを見せたいからだろ。サッカーやってる奴の九割はモテるためにやってるからな」
隣では、悠真と颯斗が嫉妬と偏見に塗れた小言を漏らしている。
体育の授業は他組と合同で行われるので、普段はクラスの違う二人も一緒になる。
三人で防球ネットに背を預けながら、張り切るサッカー部たちをだらだらと眺める。
「女子はテニスかー……俺もあっちに混ぜてくんねーかなー……」
颯斗の視線を追って振り向くと、テニスをしている女子たちの姿が見えた。
六面あるコートの中で、きゃーきゃーと大騒ぎしながらラケットを振っている。
その中には当然、体操着を着た朝日さんの姿もあった。
教師に指導役を頼まれたのか、それとも自分から進んでやっているのか。
どちらかは分からないが、他の女子にラケットの握り方や振り方などを教えている。
自分の練習になるわけでもないのに、とても楽しそうだ。
本当にテニスが好きなのが、見ているだけで伝わってくる。
「ほほう、お客さん……朝日光とは、お目が高いですねぇ……」
「な、なにがだよ……」
俺の視線が気づかれていたかのような颯斗の言葉にたじろく。
「今、じっと見てたろ? まあ、その気持ちはよく分かるけどな。でも、諦めろ。お前じゃ流石に分が悪い。分かりやすくゲームで例えるなら初期装備の勇者が魔王に挑むようなもんだ」
「何の話か分からないけど、勇者に例えてくれるなんて随分と買い被ってくれてるな」
俺の自己評価だと『おおなめくじ』だったのが大出世だ。
「とにかく、朝日光は流石に無理だって。狙うならせめて他の女子にしとけよ。俺らの年代はそれでもかなりレベル高いって評判だしな」
「だから、別にそんなことを考えて見てたわけじゃ――」
「まずはなんといっても一軍女子筆頭の桜宮京だろ。性格はきつくて俺らみたいな三軍男子は露骨に見下してるし、ギャル系で人は選ぶけど見た目だけなら朝日光ともタメを張れる。男をとっかえひっかえしてるって噂もあるけど、そこがいいって奴も多いとか」
テニスコートの脇で、授業には参加せずに取り巻き女子と喋っている桜宮さんを見ながら、颯斗がつらつらと言葉を並べていく。
前に目の前で日野さんの陰口を言っていたのもあって、正直俺は苦手なタイプだ。
「関西からの刺客、緒方茜も外せないよな。距離感の近さは朝日光以上で、コテコテの関西弁が方言女子好きにはたまらないって一部でかなり人気があるんだよな」
続いて、ちょうど朝日さんにラケットの握り方を教えてもらっている小柄な女子――緒方さんの方に視線を動かして言う。
クラスは違うので俺は馴染みないが、朝日さんや日野さんとも仲が良いらしい。
「後は陸上部の藤本春奈に、学年一のわがままボディの高崎千里……それから――」
その後も頼んでもいないのに、自慢のデータベースから女子の情報を抽出してくれる。
「……とまあこんなところか。改めてリストアップしてみて分かるけど、うちの女子はまじでレベルたけーよな」
「日野さんは?」
颯斗が満足げに語りきった直後、悠真が短く問いかけた。
「ひ、日野って……何がだよ……」
何かの不意を突かれたのか、颯斗はまるで先刻の俺と同じように狼狽えだした。
「日野さんを今の並びから抜くのはおかしくない?」
「別に……おかしくはねーだろ……」
「いやいや、朝日さんの陰に隠れてるだけで日野さんもかなり美人でしょ。実際、日野さんに怒られたい欲求を抱えてる男子が大勢いるって話は僕でも聞くのに、颯斗くんが知らないわけないよね?」
「そ、そうかぁ……? あいつが美人って……俺は別にそう思わ――」
「もしかして、わざと抜かしたんじゃないの?」
何故か動揺している颯斗に対して、更に追撃がかけられていく。
確かに日野さんは少し怖いけど、かなり美人の部類に入る。
学年の全女子をチェックしていると豪語する颯斗が、彼女をそこから抜かすのは妙だ。
「……そういやお前って、小学校は日野さんと同じだったよな?」
「だ、だからなんだよ……小学校って、何年前の話だよ……」
ますます動揺している。
怪しい。非常に怪しい。
これは何かあるなと、悠真と二人で訝しむ視線を向けていると――
「おーい、そこの三人! そこのトンボを体育倉庫に持って行ってくれないかー!?」
審判をしていた体育の中山先生が、俺たちに向かってそう言ってきた。
「だ、だってよ! 誰が持っていくかじゃんけんで決めようぜ!」
渡りに船とばかりに、会話を切り上げようとする颯斗。
「ちっ……運の良い奴め……」
「続きは今度じっくり聞かせてもらおっか」
「続きも何も、まじで何もねーから……じゃあ、いくぞ。最初はグー……じゃんけん――」
*****
「くそっ……パーにしとけば良かった……」
やたら大きくて持ちづらいトンボを二つ持って、体育倉庫の扉をくぐる。
普段ずっと締め切られているためか、中は少し埃っぽい。
さっさと片付けて出ていこうと奥に向かい、倒れないように置く。
これにてクエスト完了。
さっさと出ていこうと踵を返した瞬間、誰かが入り口を塞ぐように立っているのに気がつく。
逆光で少し見えづらい中、目を凝らしてその正体を確認する。
ジャージの上からでも分かる細く均整の取れた身体と、眼鏡の奥にある鋭い眼光。
それが日野絢火だというのはすぐに分かった。
彼女も先生に何かを頼まれて来たのかと思ったが、手には何も持っていない。
ただ俺の方をじっと見ている彼女を不審に思いつつも、その横を通り抜けようとした時――
バンッ……と扉に手をついて、彼女は俺の行く手を遮った。
「な、何か……?」
「ちょっと話があるんだけど」
瞳の中でメラメラと炎を燃やしながら、彼女はそう切り出してきた。
「は、話って……?」
なんとなくそんな気はしていたおかげで、これまでよりも冷静に対応する。
まあ、ちょっとビビったけど……。
「光のこと。土曜日の練習中に、光希さん……お母さんと喧嘩して飛び出して行ったって……知ってた?」
「え? あ、ああ……うん、大樹さんから俺にも連絡があったから知ってるけど……」
流石に、飛び出してやって来たのが俺の部屋で、そこから更に一晩過ごした。
なんてことは言えるわけがないので、虚実を混ぜて答える。
俺の返答に日野さんはすぐには応じず、眼鏡越しに何かを探るような視線を向けてくる。
「そ、それが何か……?」
「貴方はどうにかしたいとか思わないの? 私は正直言って、あんな光をこれ以上は見ていたくない」
「どうにかって……そりゃあ思わなくもないけど……。でも、本人の気持ちの問題なら俺に出来ることなんて――」
「むしろ、その逆でしょ」
俺の言葉を、日野さんが断定的に否定する。
「ぎゃ、逆って……?」
「これは多分……貴方にしかなんとかできない問題なんだと私は思ってる」
それから続けて、彼女はあまりにも重すぎる役目を俺に与えてきた。





