第27話:予期せぬお泊り
「え……? な、なんで……?」
思いもよらぬ来訪に、頭が真っ白になる。
幻覚……?
もしくは、カフェインの大量摂取でぶっ倒れた現実の俺が見てる夢か……?
そんな突飛な発想が浮かぶくらいに、おかしな状況だった。
いつもなら俺の部屋に来る時、彼女は練習の後でも私服に着替えていた。
それが今は、少し汗ばんだテニスウェアを着ている。
まるで、練習の途中でそのまま全てを投げ出して逃げてきたかのように……。
「ごめんね、急に。流石に迷惑だよね……」
「と、とりあえず中に入って……そこじゃあれだし……」
はっきりとは答えずに、彼女を中に招き入れる。
その途中で頬を強めに抓ってみたが、ちゃんと痛かった。
彼女が自然といつもの位置に着き、俺も椅子に座る。
キーボードを叩いて、『俺もしばらく離席します』とメッセージを送っておいた。
どちらも何も発さない重苦しい沈黙が続く。
何かを言わなければならないと思いつつも、何を言えばいいのか分からない。
今日は母親と一緒に練習するから来れないと言っていた朝日さんが、テニスウェアのままでやって来た。
何かしらの良からぬ事態が起こっているのは間違いない。
流石に事情を聞き出すべきかと悩んだが――
「と、とりあえず……なんかゲームでもする?」
何があっても、俺たちの関係にはまずそれがあるとコントローラーを差し出した。
「……うん」
朝日さんも俺の複雑な心境を察してくれたのか、小さく首肯してそれを受け取ってくれる。
「実は、めちゃくちゃ面白そうなマルチプレイのゲームがあってさ。今度朝日さんが来たら絶対、これをやろうと思ってたやつ」
言いたくないなら何も言わなくていいから。
言外にそう伝えるように、いつも通りに接する。
「……ほんとに? どんなやつ?」
「操作性の悪いぐにゃぐにゃの人間を動かしてパズルを解いていくアクションゲーム」
「なにそれ、聞いただけでもう面白そう」
説明を聞いた朝日さんがクスっと笑みをこぼす。
「でしょ? ちょっと待って、今準備するから……」
パソコンを操作して、ゲームの準備を整えていく。
ここにいる間だけは嫌なことを考えずに、ただ二人で楽しいことに興じる。
「ちょ、朝日さん! 尻掴まないで!!」
「だ、だって掴んでないと落ちちゃうし!」
「いや、だからって掴まれてたら二人とも落ち……あっ……」
「あーっ! 落ちたぁ!」
「はははっ! だから言ったのに!」
それが例え逃避だとしても、取り決めたルールの通りに俺たちは楽しんで過ごす。
「あー……もう一年分は笑ったかも……」
「想像してた以上のバカゲーだね。これは……」
開始からしばらく経過し、バカゲーの瞬発力を実感した頃には朝日さんもすっかり普段の雰囲気を取り戻していた。
それでも、否応無しに現実と向き合わなければならない時は来る。
「あっ、ごめん……スマホが……ちょっと待ってて」
不意にスマホの通知音が鳴り、一旦コントローラーを置く。
画面を確認すると、大樹さんからメッセージが届いていた。
『そっちに光が来てないか?』
微かに緊迫感のようなものが伝わってくる短い文章。
一瞬悩むも、流石に無視するわけにはいかなかった。
『います。さっき来ました』
『やっぱそうか。様子は?』
『今のところは普通ですね。何かあったんですか?』
『お袋と喧嘩して、練習中に飛び出したってさ』
やっぱりそんな感じか……と概ね予想していた通りの事態だった。
『どうすればいいですかね?』
『とりあえず、お袋には俺のところに来たから一晩こっちで預かるって連絡しとくわ。絢火ちゃんのとこにも連絡してたみたいだし、大事になる前にな』
『分かりました。じゃあ、俺はいつも通り接しておきます』
『すまん、迷惑かけるな』
普段の大樹さんとは違う、神妙な言葉遣い。
何だかんだで妹を大事に想っているのが伝わってくる。
『それで、いつ頃迎えに来てもらえますか?』
『え?』
『えってなんですかえって。迎えに来て貰わないと朝日さん一人でどうするんですか』
『いや、お前がいるじゃん』
何の衒いもない大樹さんの言葉に、返信を打つ手が止まる。
『一晩くらい大丈夫だろ。今はお前のとこの方が光も楽にいられるだろうし』
『いやいやいやいや全然大丈夫じゃないですよ』
こちとら枯れてるわけでもない健全な男子高校生。
同じ部屋で、付き合ってもない女子と二人きりで一晩過ごすなんて不健全極まりない。
嫌でもそういうことを連想してしまうし、周囲にもそうさせるだろう。
『俺はお前を信用してる。他の面倒事は俺がなんとかしとくから健闘を祈る』
『何の健闘を祈ってんすか!?』
その返答に、既読は付かなかった。
相変わらず頼りになるか、ならないかのラインを絶妙に行き来してる人だな……。
「……もしかして、お兄ちゃん?」
俺の方を見て、ほんの少しバツが悪そうに朝日さんが尋ねてくる。
やり取りが長引いたからか、流石にバレてしまっていた。
「ん……そう、面倒なことは俺がなんとかしとくってさ」
隠し通すわけにもいかないので、大事なところを掻い摘んで告げる。
「そっか……お兄ちゃんにも迷惑かけちゃったなぁ……」
「……まあ、そこは普段かけられてそうな分で相殺ってことで」
「あははっ、確かにそれはそうかも」
まだ多少の力なさはあるが、こうして笑ってくれるのが一番安心できた。
それからまた、二人でゲームをするだけの時間を過ごした。
前に二人で取り決めた通り、朝日さんも俺に罪悪感のようなものは見せなかった。
そうして、普段なら彼女が帰宅する時間を越えても遊び続けた。
「ん~……ちょっと笑い疲れてきたかも……」
「俺も、横隔膜を少し休ませないと……」
時刻が十一時を過ぎた頃、どちらからともなく操作の手を止め、小休止の時間が訪れる。
早い人ならもう寝てもおかしくない時間。
朝日さんは未だに、帰る様子を全く見せていない。
正直言って、俺も丸一日半は起きているのもあって限界が近い。
そろそろ決めなければならない時が来ている。
「どうする? もうかなり遅いけど……」
なので、ズルくはあるがここは彼女に判断を委ねることにした。
「影山くんがいいなら……もう少しだけここに居させてもらいたいかな……」
予め決めていたかのように、朝日さんはすぐに答えてくれた。
もう少し……もう少し経てば、零時を跨いで日付が変わる。
それはつまり、ここで一晩過ごしたいと暗に言っていた。
「……分かった。じゃあ、俺は床で寝るからベッドは朝日さんが使ってくれれば」
こうなれば仕方ないと腹を括りつつも、最大限の配慮はしようとそう告げる。
「えっ……ううん! それは流石に悪いから私が床で大丈夫!」
「いやいや、お客さんにそれはまずいって。それに床って言っても布団はあるから大丈夫だし」
「布団はあるなら尚更、私が床でも……」
「でも、しばらく使ってなかったやつで少し埃っぽいかもしれないし」
そんな攻防が何度か続いた末に、なんとかベッドで寝る権利は向こうに譲れた。
備え付けの収納から、長らく使って無かった布団一式を取り出して設置する。
ここまで来れば、後はもう余計なことを考えずに無心で寝るしかない。
起きたらすぐに大樹さんに連絡して、迎えに来てもらおう。
「あのー……これだけお世話になってて、ほんとのほんとに申し訳ないんだけど……」
そう考えて後は床に就くだけとなった俺に、朝日さんが恐縮げに切り出してきた。
「何? あっ、もしかして枕が違うと寝られないとか? だったら、どうしよう……」
「ううん、そうじゃなくって……えっと……」
珍しく歯切れが悪く言い淀んでいる。
この数秒後に、人生最大の試練が訪れるとは俺もまだ予期していなかった。
「寝る前に、シャワーだけ浴びさせてもらってもいい……?」





