第126話:光の帰還
『一回戦行ってくるねー!』
俺が二学期の始業式を終えた日の夜に、光から届いたメッセージだ。
『一回戦勝ったよー!』
その次に届いたのが、これだった。
『二回戦行ってくるねー!』
で、次がこう。
『二回戦勝ったよー!』
そうなると、次は当然のようにこう。
『三回戦行ってくるねー!』
これが……
『三回戦勝ったよー!』
こうなって、ああなって……
『優勝したよー!』
最後はこうなった。
優勝カップを掲げた光の写真は最初、光のお母さんから届いた。
次に本人から自撮りが届いて、数時間もしない内に国内外のメディアが報じた。
『日本のライジングサンが全米オープンジュニアを席巻!』
英語で書かれたそんな記事を読んで、嬉しいやら恐ろしいやらの感情を抱いた。
ただ、もうすぐ光が帰ってくるという事実に対して、ほんの僅かな不安もある。
三週間。
文字にすればたった三文字だけど俺たちにとってその期間はあまりに長かった。
ほとんど毎日通話もしてたとはいえ、実際に顔を合わせるのとは違う。
久しぶりに会うとなると、どんな風に接するのか忘れてしまっているかもしれない。
そんな不安を抱いて、前日はあまり眠れない中でついにその日を迎えた。
***
9月8日――二学期の開始から一週間、そして光が帰国後初登校する日。
前日、眠れなさすぎたせいで始業の四十分も前に教室へと着いてしまっていた。
クラスメイトのまだまばらな中で、俺はその時が来るのをじっと待つ。
一分、また一分と時間が経過する度にクラスメイトの数が少しずつ増えてくる。
光はいつも、二十分前には教室に来ていた。
時計を見ると、もう今この瞬間に来てもおかしくない時間になっていた。
クラスメイトたちも何かを察しているのか、教室に緊張感が漂う。
廊下に壁越しでも分かる圧倒的な気配を感じ、誰かが息を呑んだ瞬間――
「みんなー! たっだいまー!」
勢いよく開かれた扉から、目が潰れそうな程の光が射し込んだ。
もちろん錯覚ではあるけれど、本当にそんな気がした。
女子たちが賑々しく、こぞって彼女の方へと駆け寄っていく。
「光、おかえり! ていうか、やばくない!? 優勝って!! 世界一でしょ!?」
「それ! 私、気になって授業中もずっとスマホで速報みてたし! まじやばい!」
「ニュースも見たよ! 日本のライジングサンだって!」
元からそういう性質を持っていたけど、今日は別格だ。
あっという間に囲まれて姿も見えなくなってしまった。
いつもならここで日野さんが割って入るけど、流石に今日は無礼講だと見守っている。
「インタビューもめっちゃしっかりしてたし、場慣れしすぎでしょ」
「てか、世界一になるってどんな気分なの!?」
「そりゃもう最高! でも世界一って言ってもまだジュニアだし、これからだよね」
「じゃあ、もうプロになるの!? てか、今のうちにサイン頂戴! サイン!」
その人気は天元突破して、明らかにクラス外の人たちも大勢集まってきている。
そうそう、こういう感じだったよなー……と、懐かしささえ覚えてきた。
それからしばらく、そんな状況が続いたところで――
「それより光、愛しの彼氏がずっとソワソワしながら待ってるのはほっといていいの?」
多分、海に行った時のメンバーの誰かがそんなことを言った。
その言葉がまるでモーゼのように、俺と光の間にいる人の群れを一直線に割る。
三週間ぶりに、光と目が合う。
ビデオ通話じゃない、本物の光と。
左手を上げて、『やあ、久しぶり』とぎこちなく意思を伝える。
向こうも俺の顔を見て、ぱぁっと花が咲いたような笑みを浮かべた。
第一声はどうしよう……。
やっぱり、「おかえり」かな……。
それとも、「おめでとう」かな……?
そんなことを考えながら、光の到来を待つが――
……あれ? 来ない?
彼女は皆に囲まれたまま、まだ入口の側に立っている。
視線は俺から外され、ただ所在なげに指先をもじもじと遊ばせていた。
いつもなら縮地の使い手かと思うような速度でやってくるはずなのに……。
「どしたの? 行かないの?」
「え? あっ……うん……ほら、そろそろ先生来ちゃうから……」
怪訝に思う俺を置いて、光が声の主に答える。
「まだ五分もあるじゃん。この前の海の時なんか一秒でもあれば黎也くん黎也くんってイチャついてたのに」
「よ、予習……! 一週間も休んでたから予習しないと……!」
そう言って、やや慌てるようにしながら光は自分の席へと戻っていった。
まあ、最初は他の人の対応をするのも大変そうだし仕方ないか……。
少しの異変を感じつつも、この時はまだそこまで気にはしなかった。
しかし、次の休み時間もその次の休み時間も光は俺のところに来なかった。
遠くから目は合うけど、すぐに慌てたように逸らされてしまう。
逆に俺から近づこうとしても、今度は逃げるようにその場を離れていく。
そこでようやく、避けられてるんじゃないかという想いが芽生え始めた。
ただ、もちろんそうされる理由には全く心当たりがない。
なんなら昨晩には、「早く会いたい」とメッセージも交わしている。
そんな状況のまま、四時間目の授業が終わり、昼休みを迎えるが――
「ほら、絢火……! 食堂、行こ……!」
「ちょっと待ちなさいよ……今、準備してるところなんだから……」
「いいから早くぅ……!」
授業が終わるや否や、光は日野さんの手を掴んで急かし始めた。
ここまでくると、流石に疑念は確証へと変わる。
完全に俺が避けられているのだと。
もしかして、疑似遠距離恋愛で何か心境の変化があった……?
離れて冷静になって考えてみると、大した男じゃないと思ったとか……。
瞬く間に心中がネガティブ思考に埋め尽くされていく。
いやいや、光に限ってまさかそんなことが……と心にかかった影を払う。
とにかく、何があったのか少し強引にでも確認しにいこう。
買ってきた昼食を手に、先に教室を出ていった二人の後を追う。
「あの、ひかっ……」
そのまま廊下を歩いている二人の背中に、意を決して声をかけるが――
「あっ……!」
俺の顔を見た光は、ササッと日野さんの後ろに隠れてしまった。
今日一の露骨な行動に、流石にかなりのショックを受けてしまう。
「ちょっと光、何してるの……? 影山くん、呼んでるけど……」
日野さんがあからさまに挙動不審な光に問いかける。
「そうだけど……その……ごにょごにょ……」
対して光は日野さんに隠れたまま、その耳元で何かを囁く。
「はぁ……? どういうこと……? 全然意味分からないんだけど……」
「だからぁ……ごにょごにょ……」
到底理解できない何かを耳にした表情の日野さんに、光がまた囁く。
それを何度か繰り返した後、日野さんが更に首を傾げる。
「あ、あの……取り込んでるみたいだったら後にするけど……」
「いや、取り込んでるっていうか……」
「もし俺に何か問題があるなら教えて欲しいんだけど……」
身に覚えがないだけで、もしかしたら何かやらかしてしまったのかもしれない。
そう思って尋ねてみたけど――
「んー!!!」
日野さんの向こうで光が首をブンブンと全力で左右に振って、それを否定した。
「俺に問題がないなら、尚更なんで……?」
状況がますます混迷を極め、頭の上に大量のハテナが浮かぶ。
「はぁ……もうめんどくさいから言っちゃうけど……」
自分の隠れている光を見て、日野さんが大きな溜め息を吐く。
「あっ、ちょっと……! 絢火……! ダメだっ――」
顔を真っ赤にした光が口を塞ごうとするが、日野さんはそれをひらりと避けて――
「久しぶりに顔を見たら、今更初恋気分になっちゃって恥ずかしいんだって」
究極的にうんざりしてるような口調でそう言った。