第123話:光のいない日々 その8
「さ、桜宮さん……?」
「え? な、何……?」
改めて呼びかけると、彼女がようやくそれに気づく。
「いや……すごく調子悪そうだけど大丈夫なのかなと思って……」
「大丈夫……っていうか、別に調子悪いとかないけど」
「それなら次、桜宮さんの順番だから……」
「い、いちいち言われなくてもそのくらい分かってるって……!」
立ち上がり、ラックからボールを取ってアプローチへと上がる桜宮さん。
しかし、その足取りは重く、見ている俺にまで苦悶の感情が伝わってきた。
光がいない今、自分が場を盛り上げないといけないと気負いすぎている。
皆はそんな彼女の様子に気づいていないのか、決戦へと臨む背中に歓声を浴びせている。
それがまた、じわじわとデバフを積み重ねてるのが俺の目には見えていた。
肩を大きく上下させて深呼吸する。
そのままいつものように綺麗な回転をかけたボールを投げようとするが……。
「あー……」
周囲から大きな落胆の声が上がる。
リリース直前に指先が引っかかってしまったのか、ボールは曲がりきらずに並べられたピンの端に消えていった。
結果は二本で、前フレームのスペアと合わせて+4点。
これで逆転するには、次の俺の投球でのスペアが絶対条件となってしまった。
みんなが残念そうにする中、桜宮さんが振り返る。
「あ~……やっちゃった~……! 影山くん、ごめ~ん……!」
わざとらしく気丈に振る舞っているのが俺の目には明らかで、少し痛々しい。
「だ、大丈夫。俺がここでスペアを取ればまだ逆転できるし」
「お願い! 頑張って!」
当然、そんな真意には気づいていないように俺も振る舞わざるを得ない。
彼女と交代する形で、今度は俺がアプローチへと上がる。
とりあえず、今は他人のことよりも自分のことだ。
「あっ、次は朝日さんの彼氏の番なんだ」
「影山くん、がんばれー!」
「影山ー! 男見せろー!」
さっき桜宮さんが受けていた歓声を今度は俺が浴びる。
確かに、これはなかなかの重圧だ。
こんな大勢から期待をされるのは初めてかもしれない。
でも、こんなのは光がいつも受けてるプレッシャーの万分の一にも満たない。
サングラス越しに、レーンの向こう側に並んだピンを見据える。
残り八本で、それほど難しい形じゃない。
何かの奇跡か、あるいは光が降りてきてるのか、今の俺はかなり調子がいい。
見栄えを気にせずに、しっかりと勢いをつけて先頭に真っ直ぐ当てるだけだ。
集中すると、周囲の喧騒が遠くなっていく。
手を後ろに引き、助走をつけてレーンにボールを放り込む。
放たれたボールは想定のラインを真っ直ぐに進み、ピンの先頭へと吸い込まれた。
パカーンと小気味の良い音を鳴らして、ピンの塊を弾き飛ばす。
おおっ……!と歓声が上がる中、ボールがレーンの奥へと消えていく。
倒れたピンの数は7本。
ダメだったか……と膝に手をつくが、よく見ると残った一本のピンは微かに揺れていた。
その振動は収まることなく、徐々に振れ幅を増していく。
そして、最後はぐわんぐわんとその場で回るように……倒れた。
「ぃよしっ!!」
最高の結果に、自然と力強いガッツポーズが出てしまう。
同時に、ワッと全身の表皮を震わせるような歓声が俺を包みこんだ。
「あ、ありがと……はは……」
みんなの歓声と拍手に、頭をペコペコと下げながら応じる。
まるで主人公になったような状況に、気恥ずかしさと誇らしさを同時に覚える。
しかし、俺が重圧に打ち勝って結果を出したということは……。
恐る恐る桜宮さんの方を見ると、死人のような顔をしていた。
俺がスペアを取ったことで、バトンは再び彼女の手に渡された。
これが本当に最後の最後。
六本以上倒せば逆転の状況だが、かかるプレッシャーは先の俺以上だろう。
今の彼女を、そんな状況に立たせてしまう心苦しさはある。
でも、光の分も背負って立ってる以上はわざと負けるようなこともできなかった。
何も知らない陽キャたちの京コールが、ボウリング場に鳴り響いている。
桜宮さんがゆっくりと立ち上がり、表面だけを取り繕いながら皆の声に応える。
でもボールを取る手が、少し震えているのが見えた。
「桜宮さん」
すれ違う直前、彼女に声をかける。
振り返った顔には化粧の上にうっすらと汗が滲んでいた。
こんな状況、光ならきっと難なく乗り越える。
光なら……光なら……光なら……。
そんな彼女の心の声が、これまでよりもはっきりと伝わってくる。
「俺の知ってる桜宮さんなら絶対にできると思う」
思えば、こんな風に誰かへと期待をかけたのは初めてだったかもしれない。
ともすればプライドを傷つけるかもしれない言葉に、桜宮さんも呆気に取られている。
そのまま、彼女は数秒ほど俺の顔を見て――
「誰が誰に言ってんの」
……と、微かに笑った。
***
――二時間後、マウンドワンのカラオケルーム。
「麦わらの~♪」
桜宮さんが、上機嫌に十八番らしい少し前の流行歌を熱唱している。
結局、彼女が調子を落としたのは二ゲーム目だけだった。
その二ゲーム目も最後は彼女のストライクによる逆転勝利で締められ、続く三ゲーム目と四ゲーム目は大樹さんに次ぐ活躍を見せた。
逆に二ゲーム目の俺の活躍は真にただの奇跡だったらしく、三ゲーム目と四ゲーム目はいつも通りの俺で彼女の足を引っ張りまくった。
結局、主役の座についたのはほんの一瞬。
後は全て、桜宮さんと大樹さんに持っていかれてしまった。
でもまあ、それもある意味俺らしく場を盛り上げられたということかもしれない。
すっかりと陽キャの顔に戻って、みんなの中心にいる彼女を見ながら思う。
「飲み物入れてくるけど、みんなは何がいい?」
ふと、テーブル上のコップが全部空になっていることに気がつく。
人前で歌うのは相変わらず恥ずかしいし、都合よくこの場から離れられる口実が得られたとみんなの希望を尋ねる。
「え? いいの? じゃあ、ミルクティーでお願い」
「俺、コーラ!」
「ジンジャエール!」
注文をスマホのメモに取って、部屋から出てドリンクバーに向かう。
少し歩いただけで、全身がバキバキになっているのを実感する。
こりゃ明日は筋肉痛だな……と思いながらコップに飲み物を注いでいると――
「あれ? あのサングラス、もうかけてないの?」
後ろから知った声に呼びかけられる。
振り返ると、熱唱の直後で少し上気した顔の桜宮さんが立っていた。
「え? あー……あれを付けたままだと、どれがコーラか分からなくなりそうだから」
「せっかく似合ってたのに。写真撮って、光に送ってあげればよかった」
「それは多分大丈夫。他のみんなが死ぬほど撮ってくれてたから」
そう答えると、彼女は笑いながら側まで歩いてくる。
「一人じゃ大変でしょ? 手伝ったげる」
「あ、ありがとう……じゃあ、女子の分をお願いします……」
思いがけない申し出に、少し戸惑いつつも普通に対応する。
「光は今頃、空の上かな?」
「え? ああ、うん。時間的にはまだそうじゃないかな。ニューヨークまでは半日くらいかかるみたいだし」
「そうだよね。大好きな黎也くんに三週間も会えない~って泣いてたんじゃない?」
「それは……想像してる通りだったと思う」
少し苦笑気味に言うと、向こうも同じように笑う。
そこでまた会話が途切れて、作業へと戻る。
ボウリングでペアを組んだけれど、まだどうにも微妙な距離感のままだ。
そのまま何とも言い難い空気の中、並んで飲み物を注いでいると……
「あの……さ……この前の……こと、なんだけどさ……」
彼女の方から、少し言葉を詰まらせながら会話を切り出してきた。
「この前……?」
「ほら、この前の……海の時の話なんだけど……私、言ったじゃん……」
「海の時……? 何のことだろ……」
「だからぁ……え……え……」
「……え?」
視線はドリンクサーバーの方を向いたまま、落ち着き無く髪を触っている桜宮さん。
一体、何の話なんだろうと続きを待っていると――
「エッチ……させてあげるって言ったの……」
彼女は横顔を赤く染めながら言った。
そのセンシティブな単語で、ようやくあの夜のことを思い出す。
「えっ……あ、あぁ~……」
「あの時は言いそびれちゃったけど……あれ、忘れて」
どう返事をすればいいのか言い淀んでいると、向こうから端的に要求が告げられる。
そこから更に、桜宮さんは顔を真っ赤にしながら言葉を畳み掛けてきた。
「あの時は……その……ちょっと嫌なことがあって、頭が変になってたの! だから今は本当にごめんって思ってるし……忘れてもらわないと困るっていうか……あっ、困るって言っても別に他意があるわけじゃないから! あんなことを誰にでも言ってるような軽い女だとか思われたら嫌なだけ! とにかく忘れて! それだけ!」
「も、もちろん忘れる忘れる……ていうか、今言われるまで忘れてたくらいだから……」
「ほんとに!?」
「は、はい……もう綺麗さっぱりに忘れました……な、何の話だっけ……?」
「……なら、いいけど」
少しわざとらしいかと思ったけど、満足してくれたようなのでホッとする。
「ほんとに……あれはおかしかったっていうか……あぁ~、何であんなことしちゃったんだろ……最悪……」
忘れて欲しいと言いながら、また自分で掘り起こしてダメージを食らっている。
そんな彼女を見て、俺は――
「ぷっ……」
我慢しきれずに、つい笑ってしまった。
「ちょっと、なんで笑ってんの!?」
そんな俺の態度が不服だったのか、少しキレ気味に食いつかれる。
「ご、ごめん。でも、なんか面白くて」
「何それ……ていうかさ! さっきのボウリングの時のあれ! ひどくない!?」
「あ、あれって?」
「私が投げる前に言ったでしょ! あれって、気取って回転とかかけずにちゃんと真っ直ぐ投げろってことでしょ!? 人のこと、見栄えばっかり気にする虚栄心の塊みたいに言って!」
「いやいやいや……そんなこと思ってないから……ただ、リラックスしてもら――」
「嘘! 絶対に思ってたでしょ!」
「思ってない! 思ってないです!」
正直、多少は思ってたけど本人にそれは言いづらいので誤魔化し切る。
「ほんとにぃ……? まあ、そもそも最初にあんなダサいところ見せちゃった私が悪いのは悪いんだけどさ……」
どの時のことを言ってるのか、少しばつが悪そうに口ごもっている。
ところどころでこういう素を見せてくる辺り、向こうも俺を同類だと認識し始めているのかもしれない。
俺の中でも、当初の評価は『苦手なタイプ』だった彼女が、いつの間にか『意外と親しみやすい人』に変わっていた。
さっきの笑いはきっと、その評価の転換によるものだったんだろう。
「それより、そろそろ戻らないと。みんな待ってるだろうし」
「うん。てか、戻ったら影山くんも歌いなよ。まだ一曲も歌ってなくない?」
「あ、あー……それは、まあ……おいおい……」
何それと笑う桜宮さんの横で、飲み物を注いたコップをトレイに並べていく。
その後、部屋に戻った俺たちは、大樹さんが『ゼロ年代電波ソングメドレー』で皆をドン引きさせているのを目撃した。
こうして、朝日光のいない日々の長い長い最初の一日は幕を下ろした。
第二巻の発売日(3/15)まで後二週間です!!
ご予約がまだの方は何卒よろしくお願いします!!
書き下ろしの分量はWeb版で13話分相当あるので、既読の方でも絶対に楽しんでいただけると思います!!