第86話:海と陽キャと高級リゾートと その10
「え゛っ……?」
光の口から、この上なく濁った『えっ』の音が出る。
俺も『この女、いきなり何を言い出すんだ』と言う視線を向けるが、高崎さんは意に介さず続けていく。
「ん? ひかは好きピと二人きりでラブラブしててもシたくなったりしないの?」
「そ、それは……えっと、ええっと……え、えぇ……」
あまりにも直接的過ぎる質問に、光はこれまで見たことないくらいに狼狽えている。
どうして今日はそういう話ばかりなんだ。
みんな、夏の海の雰囲気と熱気に頭がやられて茹だり浮かれきってるのか?
女子の方が下ネタはエグいとか聞くけど、まさか普段からこんな話ばかりしてるのか。
……なんて考えている場合じゃない。
流石にこれは看過できないと二人の会話に割って入る。
「た、高崎さん……流石にそういうデリケートな話をここでするのはちょっと……」
「え~……でも、かげピだってシたくなるでしょ?」
「いや……だから、そういう話じゃなくて……」
「男の子はみんな好きだもんね~」
な、なんだこの会話の通じないノンデリ女は……。
まるでコマンド操作を一切受け付けないバーサーカータイプのキャラみたいだ。
あまりの奔放さに、つい心の中で毒づいてしまう。
「でも、そんなだからさせてあげないとすぐ他の子に目移り――」
「千里」
高崎さんの言葉を遮って、桜宮さんがその名前を呼ぶ。
「ん? みやみや、何~?」
「デリカシーって言葉、知ってる?」
続けて、俺たちに代わって少し怒っているような口調で言う。
「え~? でも、ひかが何でも聞いて良いって言ったから~」
「いいから! こっち来る!」
「あ~、やだぁ~……!」
そのまま高崎さんのライフジャケットを掴んで、俺たちから引き離す。
「ほん……っとにごめんね、二人とも……。千里、前からずっと楽しみにしてたせいでテンション上がりすぎちゃってるみたい……」
「べ、別に桜宮さんが謝ることじゃ……」
「無理言って一緒に乗ってもらったのは私だから……ほら、千里も謝って!」
「ごめんなさ~い……」
飼い猫のようにライフジャケットの首元を摑まれながら、高崎さんが謝ってくれる。
それで一旦はホッと安心したけど、隣ではまだ光が顔を真っ赤にして伏せていた。
さっきまでは肩が当たるくらいだった距離も、心做しか遠くなっている気がする。
「あっ、そろそろ加速するみたいだからしっかり掴まった方がいいかも」
前方で水上バイクを運転している俺たちに向かって手を出している。
今から加速するので、しっかり掴まってくださいという合図だ。
チューブについた取っ手をギュっと掴む。
直後、水上バイクが後方から大量の水飛沫を上げ始めた。
一拍遅れて、その加速が俺たちの方にも伝わってくる。
進行方向と逆方向にGがかかり、身体が押し付けられてキューブがギュっと沈む。
正面からは仄かに潮の香りがする風が身体の前面を叩き、時折波を超える際にはフワッとした浮遊感に襲われる。
先導するバイクが少し方向転換すると、遠心力によって俺たちが乗っているチューブにはより大きな横方向へと力がかかる。
なるほど、これは確かに見た目の可愛らしさとは裏腹にスリリングだ。
女子三人がワーキャーと悲鳴を上げる中、やっぱり俺は冷静に分析する癖がついていた。
そんな感じでしばらく引っ張られ続け、ちょうど皆が満足した頃合いにアクティビティも終了した。
水上バイクにゆっくりと牽引され、出発地点と同じ桟橋へとつけられる。
「立つとバランス崩れるから気をつけて」
俺が最初にチューブから降りて、スロープから次に降りる光へと手を差し出すが――
「だ、大丈夫……ありがと……」
彼女は俺の手を摑まずに、自力でチューブから降りた。
そのに少しよそよそしい態度に困惑している間に、続いて高崎さんが降りてくる。
「楽しかったけど、ずっと掴まってたから疲れたぁ……」
言葉通りに疲れているのか、俺に絡んでくる余裕もなく日陰へと歩いていく。
最後に桜宮さんが降りて来ようとするが、そこで彼女の異変に気がつく。
「桜宮さん、顔色悪くない? 大丈夫?」
彼女の顔色が化粧越しでも分かるくらいに悪くなっていた。
「え? あー……ちょっと、酔っちゃったのかも? ほら、思ったより激しかったから」
見られるのが嫌なのか顔を隠すようにしながら俺の横を通り抜けていく。
「京、大丈夫……?」
「みやみや、平気~?」
先に行こうとした二人も戻ってきて、彼女の体調を案じる。
「大丈夫だって……。そんなゾロゾロと集まってこなくても……」
「でも、すごくしんどそうだし……」
「ちょっと休めばすぐに良くなるから……ほら、行くよ。あっ、二人は引き続き遊んでくれてていいから。付き合ってくれてありがとね」
「あ~ん、みやみや~……待ってよ~……」
一人で先に歩き出した桜宮さんを、高崎さんが小走り気味に追う。
「京……大丈夫かな……?」
その背中を見送りながら光が隣でボソっと漏らす。
「一人で歩けてるみたいだし、そんな大事にはならないんじゃないかな」
「そうだといいけど……」
不安そうに呟いた光がこっちに振り返り、目が合う。
瞬間、互いにパッと目を逸らしてしまう。
でも、あんな話をされた直後に意識するなという方が無理だ。
「……次、どうする?」
「ん~……そろそろ、普通に海で泳ぎたい気分もあるかも……」
「じゃあ、そうしようか……」
「ん……」
光が喉を微かに鳴らして応じて、歩き出す。
いつもならここで、向こうから俺の手を握ってくるのが基本パターン。
でも、今のこの精神状況が素肌での触れ合いという行為を躊躇させる。
それでも、俺たちの間でそれをしないという選択肢はなかった。
俺が手を伸ばしたのと同じタイミングで、向こうも伸ばしてきた手と手が触れ合う。
指先から少しずつ絡めるように、互いの指と指の間を交差させていく。
「あ、あついね……」
「う、うん……あつい……」
気温なのか、それとも俺たちの体温なのか。
触れ合っている部分が火傷しそうなくらいに熱い。
「ところで、光……さっきの話なんだけどさ……」
海に向かって無言でしばらく歩き続けたところで、俺から会話を切り出す。
「さっき……?」
「ほら、高崎さんが言ってたことなんだけど……」
「えっ……そ、それって……あ、あれのこと……?」
その言葉に光が身体を引いて、俺から少し距離を取ろうとする。
「そ、そっちじゃなくて……ほら、男は目移りするとかどうとか言ってたやつ……」
「あっ……! そ、それね……!」
「他の男がどうなのかは知らないけど、少なくとも俺は何があっても光以外に目移りするとかは絶対にないから……それだけは安心しといて欲しいかなって……」
まだ目線は合わせられないけど、一番大事なことだけは伝えておきたかった。
それに対して光は、一瞬だけ虚を突かれたように立ち止まると――
「……ほんとにぃ?」
ギュっと手を強く握って、悪戯な笑みを向けてきた。
「ほ、本当だって」
「でも、さっきは京とか千里の水着をチラチラ見てたでしょ……?」
「いやいやいや、そんなに見てないから!」
「そんなにってことは、やっぱり見てたんじゃん……」
ジトッと訝しげな向けられる。
とはいえ、別に本気で言っているわけじゃなくて俺をからかっているだけだろう。
「そりゃ、一緒にいるんだから常識的な範疇では視界に入るって……」
でも、そっちがその気なら俺だって――
「まあ、光の水着ならそっちが困るくらいガン見しちゃうかもしれないけど」
「はぁ……もう本当に黎也くんは仕方ないなぁ……」
ため息を吐きながら呆れるような口調で言われる。
でも、まるでずっと見せたくて仕方なかったかのような軽やかな手つきでファスナーが最後まで下ろされた。
LEGEND FELLED
俺は『光と夏の海の追憶』を手に入れた。