第84話:海と陽キャと高級リゾートと その8
「水着……それにしたんだ」
ジッと俺の方を見ている光を、こちらからも見上げながら言う。
ファスナーが20cmは下ろされたことで胸元周辺が完全に露わとなり、遂にそれが現していた。
白を基調色にしたフレアトップのタンキニ水着。
あの日、ショッピングモールで二番目に試着した水着だった。
「え? みず……はっ! い、いつの間に!?」
光が大慌てで両腕を身体の前方で交差させて、それを隠す。
言われて始めて、自分がファスナーを下ろしたのに気づいたのか……。
「隠すのはルール違反じゃない? 体力ゲージが削れたんだからさ」
「むぅ……」
俺からの指摘に、光が口先を尖らせる。
一度隠してしまったせいで、再び見せるのが恥ずかしくなっているのだろうか。
それでも自分で決めたルールはルールだと観念し、隠してた両腕を退かす。
もう一度、俺の視界上部に彼女の水着姿が曝け出される。
「それで……感想は? 私、普段こういう系のあんまり着ないからあんまり自信ないんだけど……」
予定外の出来事だったのか、少しつっけんどんとした態度で尋ねてくる。
「いや、前も言ったけどめちゃくちゃ似合ってるし……すごく可愛い」
まだ胸元のほんの一部分だけだが、そんな言葉がスルッと出てくるくらいには良い。
一方で俺からの褒め言葉に、光は『ふ~ん』と答えながらも喜びが隠し切れていない。
体重移動だけで上手くボードを操り、まるで踊るようにゆらゆらと揺れている。
「ちなみに、なんだけど……他の買ったやつも持ってきてたりする?」
「一応、何着かは予備に持ってきてるけど……」
「じゃあ、もしかしたらそっちも見られるチャンスがあるってこと……?」
「……そういうのは、まずこれを倒してから言ってもらわないと」
まだ体力は半分も残っていると、ファスナーの閉じた部分を指しながら言われる。
それからも二人でボードを漕いで、しばらく海上を遊覧した。
一度転落してからの俺は、さっきまでの慣れが嘘だったかのように落ちまくった。
でも、光が言った『それもそれで盛り上がるから大丈夫でしょ』は多分事実で、それなりに楽しかったと思う。
「楽しかったー!」
ボードの返却を終えると同時に、光が声を張り上げた。
「ねっ! 次は何する!?」
しかし、それでもまだまだ満足はしていないのか、続けて俺にそう尋ねてくる。
「何でも付き合うけど……その前に一旦休憩したいかな」
「えー……休憩かぁ……まあ、いいけど……」
少し不満げにされるが、俺と光の間には純然たる体力の差がある。
このまま彼女のペースに合わせて遊び続ければ、体力が持たない。
そう、明日まで体力が……
『なんなら朝日さんの方も待ってるかもよ?』
…………いやいやいや、そんなことを期待して体力を残したいわけじゃないから。
不意に浮かんだ邪な考えを、頭を振って追い出す。
「どうしたの?」
「な、なんでもない……それよりあそこの店なんかはどう?」
窓の外からブルーの看板の小洒落たカフェらしき店を指差す。
「うん! いい感じ! 行こ行こ!」
「だ、だから走ると体力が……いや、もういいか……」
光に腕を取られて、そのまま二人で走って店へと向かう。
店の中も外装通りに洒落ていて、大勢の客で賑わっていた。
同年代こそいないが、大学生らしきカップルから三十代以上の夫婦らしき人たちまで。
店の雰囲気が引き寄せるのか、客層は全体的に男女ペアが多い。
「ここもリストバンドを見せれば無料なんだっけすごいよね~」
「うん、正確にはチェックアウトの時に全部纏めて精算する形式で、今回は招待ってことで全部無料になってるだけらしいけど」
「どっちにしても京のおかげってわけだよね~。さ~て、何にしよっかな~」
席についた光がタブレットを手にとって、メニューを物色し始める。
「このサンシャイントロピカルドリームスプラッシュエクスプロージョンってどんなのだろ!?」
「さ、さぁ……サンシャインでドリームなトロピカルジュースがスプラッシュでエクスプロージョンしてるんじゃないかな……」
経営者のセンスなのか、メニューにはやたらと大仰な横文字が並んでいる。
「よし、このエキゾチックパラダイスブレンド・サンデーフィエスタにしよっと! 黎也くんはどうする?」
「ん~……じゃあ、俺も同じやつで」
ファルシのルシがコクーンでパージみたいな文字列ばかりで何がどんな味なのか全く分からないので、光の注文に便乗することにした。
「同じやつなら……このツインってのがあるみたいだけど……」
「ツインって……?」
「ほら、こういう……二人用のストローが付いてるやつ……」
クルっと半回転させられたタブレットの画面には、ハート型になった二人用のストローが刺さったカラフルなドリンクが映っていた。
これがいいな~……二人で一緒に飲みたいな~……。
やや上目遣い気味に、無言の要求が投げかけられる。
「あ~……こういうやつかぁ……」
「うん、こういうやつ」
席は窓際で、外から丸見え。
他の一般客はもちろん、同級生に見られる可能性も十分にある。
応えてあげたいけれど、流石にこれは恥ずかしいと躊躇ってしまう。
「一人辺りの量も少なくなるみたいだし……自分のペースで飲める方が――」
やんわりと一人一つの方に誘導しようとるするが……。
光がこれ見よがしに、ファスナーのスライドを無言で弄っていた。
この海における絶対的なそれを人質に取られた俺は為す術もなく、『注文』のボタンをタップすることしかできなかった。
「お待たせしました~。エキゾチックパラダイスブレンド・サンデーフィエスタのツインになります」
女性の店員さんによって、浮かれまくった形のストローが刺さった大きなグラスがテーブルの上に置かれる。
「わぁ……! おいしそ~……! いただきま~す!」
互いに向けられた飲み口の片方を光がパクっと加える。
桃色の液体がストローの半分を通って、ハートの半分が色づく。
「ん~……! 甘くてトロピカル~! 黎也くんは飲まないの?」
「の、飲むけど……」
意を決して、ストローの飲み口に顔を近づける。
同じタイミングで光も飲み始めて、顔が30cmくらいの距離に近づく。
グロスが薄く塗ってあるのか、ストローに吸い付いている唇が艶やかで色っぽい。
普段キスしている時はもっと近づいているはずなのに、やたらとドキドキする。
ストローを咥えて、グラスの中の液体を吸い上げた。
俺の側のストローの中を桃色の液体が通り、ハートマークが完成する。
同級生にこそ見られなかったけれど、めちゃくちゃ恥ずかしくて……めちゃくちゃ甘かった。
そうして、小休憩を終えた俺たちは再びアクティビティの受付へと戻った。
「次は何しよっかな~……!」
心身両方のエネルギーを補給し終えた光が上機嫌にステップを踏みながら言う。
「ウェイクボードとかどう!?」
「ウェイクボードって……モーターボードとか水上バイクに引っ張られるやつだっけ?」
「そうそう! あれも楽しそうじゃない!?」
「楽しそうかもしれないけど……俺にはちょっと難しすぎるんじゃないかな……」
さっきのオールで漕ぐボードですら後半は散々だったのに、何倍もの速さで引っ張られるボードに立って乗るなんて難しいを通り越して危険まである。
「う~ん……そっかぁ……そうだよねぇ……だったら――」
納得してくれた光が、頬に手を当てて次の候補を考える素振りをしたところで――
「あ~っ! かげピだ~!」
ギョっと身体が硬直してしまう呼び名が、どこからともなく聞こえてきた。
ギシギシと木の床が軋む音が響いてくる方に振り返ると、色んなモノを上下にゆさゆさと揺らしながら高崎さんがこっちに駆け寄ってくる姿が目に入った。