第82話:海と陽キャと高級リゾートと その6
「つまり、これは体力ゲージってことね」
続けて光が、俺の想像していたのと同じことを口にする。
まるで普段俺が頭の中で想像している光との戦いが、現実に具現化されたようだ。
「面白そうでしょ? ゲームが得意な黎也くんなら……軽くクリアしてくれるよね?」
「分かった……受けて立つよ」
そんな挑発的な言動を受けておいて、引き下がればゲーマーの名が廃る。
二つ返事で、挑戦状を叩き返した。
「ちなみに、判定はどういう基準で」
「それはもちろん私の胸先三寸! だから言動には気をつけるように!」
なんてひどい吟遊GMだ。
「出来れば公平な判定であることを祈るよ」
「そこは心配しなくても大丈夫大丈夫……多分」
「……じゃあ、気を取り直して行こっか」
既に怪しそうな光に向かって、気を取り直して手を差し出すと――
――ジーッ……。
光はそれを握り返す前に、ファスナーを数センチほど下ろした。
……意外とヌルいボスなのかもしれない。
***
間に少しイベントがあったものの、他の皆より一足先に受付場へとやってきた。
海を臨む建物の中からは、既に海上で様々なアクティビティを楽しんでいる人たちの姿が見える。
シュノーケリングやシーカヤックと言った自分のペースでのんびりと楽しめるものから、パラセーリングやウェイクボードのような少しエキサイティングなものまで。
最新の施設だけあって、まだプレオープンなのに種類はかなり豊富だ。
この中からまずはどれを選ぼうかと光の意見を聞こうとした時――
「あっ! SUPもあるんだ! 私、あれやってみたい!」
「SUP……?」
光が海の方を見ながら聞き慣れない単語を発した。
「うん! SUPって最近流行ってるらしいやつ!」
「そうなんだ……俺は初めて聞いたかも……」
SUPと言われても、ボットレーンでADCのお守りをしながら視界管理をする役割しか知らない。
「えっと、スタンドアップパドルボードって言って……ほら、あそこで立って漕いでるやつ!」
そう言って、光が手摺から少し身を乗り出しながら海上を指差す。
指先を視線で追うと、サーフボードよりも一回り程大きなボードの上に立っている人たちの姿が見えた。
まるで海の上に立っているような感じで、オールを使ってボードを漕いでいる。
「へぇ~……あんなのがあるんだ……」
初めて見る、その独特なサーフィンともボートとも微妙に違う体験に興味を惹かれる。
「うん! どう? 面白そうじゃない?」
「まあ、あれなら結構のんびりとできそうだしいいんじゃないかな」
「じゃ、決まり! 行こ行こ!」
……というわけで、この夏で最初の体験はそのSUPとやらに決まった。
二人で受付に並び、招待客用のリストバンドを見せる。
プレオープン期間中の利用はリゾートへの招待客のみに制限されているおかげか、特に時間がかかることもなくすんなりと貸し出してもらえた。
ボードには色々と種類があったけれど、初心者向きで乗りやすい大きめの一人乗りのものにした。
そうして、二人でボードを小脇に抱えて海へと向かう。
「きゃっ! つめたーい! でも、きもちいー!」
一足先に足を踏み入れた光が、キャッキャと子供のようにはしゃぐ。
太陽の光を受けながら波打ち際に立つ彼女は、どの瞬間を切り取っても絵になる。
夏の海がこんなに似合う人間は、世界中を探しても他にいないんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、続けて俺も海へと足を踏み入れた。
「ほんとだ。冷たい」
小学生ぶりに入る海は、思っていたよりもずっと冷たかった。
波が押し寄せる度に、足元から砂が攫われていくようなこの感覚も懐かしい。
「そういえば、シャツは脱がないの?」
暑さと冷たさのコントラストに奇妙な感慨を抱いていると、光が尋ねてくる。
「え? あー……上にライフジャケットを着るし、このくらいなら濡れても大丈夫だから」
……と言い訳するが、本心は自分だけ脱ぐのが少し恥ずかしかったからだ。
「ふ~ん……まあ、いいけど……」
やや訝しみながらも光が、ライフジャケットを着用して海の中へと入っていく。
「もう少し奥の方がいいかな?」
「膝が浸かるくらいの場所から乗るのがいいって受付の近くで流れてたレクチャー動画で言ってたよ」
「じゃあ、もうちょっと向こうに行かなきゃ」
ボードを脇に持って更に沖側へと進み、ちょうど二人の膝が浸かる深さに到達する。
「よーし! 乗るぞー!」
「まだそんなに深くないから落ちないように気をつけて」
「大丈夫大丈夫! えっと、まずは膝立ちするよう感じで……」
光が乗ろうとしている横で、俺も自分のボードを海に浮かべる。
なんとなく流れでここまで来たが、俺はお世辞にも運動が出来る方じゃない。
中高と運動部には所属していないし、体力テストの順位は下から数えた方が余裕で早い。
果たして、こんな海に浮かぶ不安定な板の上に立つことが出来るんだろうか。
もちろん光はそのくらい承知してくれているだろうけれど、多少はプライドもある。
出来れば情けなさ過ぎるところは見せたくないし、体力ゲージが回復するのは避けたい。
さっき見た動画を、頭の中で何度も繰り返してシミュレーションしていると――
「立てたー!」
「え? はやっ!」
早くも光がボードの上に立っていた。
分かっていたことだけど、運動神経が良すぎる……。
「思ったより簡単だったから! ほら、黎也くんも早く早く!」
「ちょ、ちょっと待って……」
急かす光に、慌てて自分もボードに両手を置く。
続けて、そのまま倒れ込むように膝を置いて――
「……よしっ! と、とりあえず乗れた……!」
まず、四つん這いの形でボードの上に乗ることは出来た。
「そうそう! そしたら後はグッと力入れてギュンと立ち上がってムッとバランス取れば大丈夫!」
あれは絶対に参考にしたらダメだ。
光のアドバイスを聞き流しながら、次はいよいよボードの上に立つフェーズ。
初心者はこのまま座り漕ぎでもいいらしいが、彼女が立っている中でそれをやるのは正直に言ってダサい気がする。
逆に同じ目線で青い海を見渡しながら水上遊覧を楽しめば、きっと体力ゲージは大きく削れるはず……!
膝を上げて、ボードの中心に両足を持っていく。
大丈夫……落ちても下は海で、死ぬわけじゃない……。
今日は風が無くて波も穏やかだからか、思ったよりもかなり安定している。
ボードの中心と身体の中心を軸合わせして、ゆっくりと立ち上がっていく。
慎重に、慎重に……決して軸がブレないように……。
足が生まれたての子鹿のようにプルプルと震える。
中腰の状態になり、重心の位置が高くなったことで揺れは更に大きくなる。
ボードの揺れは更に大きな身体の揺れとなり、重心の位置が前後左右に振られる。
まずい……! 落ちる……!
転落するくらいなら一度、元の体勢に戻って立て直すかと考えた瞬間――
「黎也くん! 頑張って!」
視界の端に光の姿が映った。
み、水着ーっ!!
煩悩全開で邪な底力を振り絞って、不安定な身体を一気に持ち上げる。
「た、立てた……!」
「すごいすごーい! 立てたー!」
なんとかボードの上に立ち上がることが出来て、光がパチパチと拍手をくれる。
少しして達成感による興奮が冷めてくると、ようやく周囲の景色が目に入ってきた。
ずっと水平線の向こう側まで広がる大海原。
ボートとは違って視線が高く、遮るものが何も無い。
まるで本当に海の上に立っているようですごく気持ちが良かった。
ついでに、さり気なくファスナーも少しだけ下げられていた。