第11話:迷えば、敗れる
朝日さんが週末、俺の部屋に来るようになって今日でちょうど二週間。
三度目の来訪となる今日は、彼女たっての希望でまたSEKIHYOをプレイしていた。
小気味良い剣戟の音が、八畳一間の部屋に響き渡る。
今日の彼女は大きなリアクションもなく、視線は画面に張り付いている。
初回の来訪で半分までクリアした物語の残り半分を、今日中に絶対攻略してみせるという強い意気込みを感じる。
その熱量のままに、凄まじい速度でボスを次々と撃破していく朝日さん。
テニスの試合中も、きっと同じくらい集中しているのだろうと容易に想像できた。
これなら本当に今日中のクリアもあり得るんじゃないかと思う一方で、そろそろ俺も攻略に乗り出さなければならないことがあった。
これだけ毎週毎週、俺の家に来ても大丈夫なのか。
彼女にそう聞かなければならない時が来ている。
世界のバグによって今こうなっているだけで、俺と彼女は本来生きる世界が違う。
あの告白と、それを見ていた二人の反応で心底思い知った。
テニス界の期待の新星で、モデルとしても順調なキャリアを積んで人気を博しつつある有名女子高生。
実態はゲームをしているだけとはいえ、そんな人が男の部屋……それも俺のような陰キャオタクのところに入り浸っているのは、外聞的にもよろしかろうはずがない。
もし露見すれば、周囲からのひどい好奇の目に晒されるのは間違いない。
それでテニスのパフォーマンスや、モデルとしてのキャリアに影響が出れば……。
しかもそれは時間が経ち、彼女がますます活躍するにつれて大きくなる爆弾だ。
……よし、言おう。
俺のような下層民が原因で、彼女の輝かしい未来を傷つけてはいけない。
とはいえ、真っ向から告げて禍根を残してもいけない。
向こうから引くようにやんわりと誘導して、この交流に終止符を打とう。
朝日さんは俺がそんな決心をしているとも知らずに、画面に齧り付いている。
さて、どのタイミングで言うべきか……。
流石にボス戦の最中に言うわけにはいかない。
それはゲーマーとして、万死に値する行為だ。
よし、次に死んだ時にしよう。
そう決めて彼女のプレイを見守るが――
……全く死にそうにないなあ。
決意してから二時間が経過したが、彼女は未だに一度も死んでいない。
元々のセンスの良さもあるが、そこに後から慣れがそなわり最強に見える。
だが、この先に待ち受けているのはラスボスの次に強いと言われている難敵。
しかも、これまでのボスとは全く違う戦い方が求められる。
流石の朝日さんとはいえ、初見での突破は厳しいはず。
そうして案の定、その強敵を相手に朝日さんは苦戦し始めた。
上手い……上手いんだけど、こいつ相手に戦う時はそうじゃないんだよなぁ……。
とりあえず、ここは敵の方に頑張ってもらわなければいけないはずが――
あー、そうそう! そいつと戦う時は……そう、それがベスト!
初見でこのボスを打開しそうな華のあるプレイに、思わず応援の気持ちが溢れ出してしまう。
でも、もう回復が……あっ……ああぁ……。
しかし、内なる応援も虚しく、彼女はボスの前に敗北を喫してしまった
「あー……惜しかったのにぃ……」
コントローラーを膝の上に置いて、消沈している朝日さん。
今こそ話を切り出すべきじゃないかと考えるが――
「弾くよりも回避を重視して戦わないとダメだなぁ……あの攻撃の時は逆に踏み込んで、こっちから攻撃すれば……うん、いけそうかも!」
初見の敗北で、今は色々と考えているだろうから言うのは次にしよう。
流石にもう二、三回は死ぬだろうし、言えるタイミングはいつでも――
『お前さん……ありが……とうよ……』
勝手に満足して死んでんじゃねーよ!!!
二度目の挑戦で、朝日さんはあっさりと終盤の難敵を撃破した。
これで残すはラスボスだけ。
こうなると流石に、クリアするのを待ってから言った方がいいのかもしれない。
そもそもプレイ中に水を差すのは良くない。
そうだ。そうしよう。
決意を新たに、彼女のプレイを見守る。
そうして遂に朝日さんはラスボスの下へとたどり着いた。
ススキに覆われた風情のある戦場で、前哨戦も含めれば四連戦になる長丁場。
名実ともに、このゲームで最強の敵と言って間違いない。
流石の彼女でも一筋縄ではいかないはず。
その予想通りに、前哨戦はあっさり下したが、続く本番では敵の猛攻の前に倒れてしまった。
「あー!! やられたー!!」
悔しそうに天を仰いでいる。
『迷えば、敗れる』
死の一文字が表示された画面で、ラスボスの有名な台詞が流れる。
「でも、次は絶対勝つ!」
間髪容れずにリトライしている朝日さん。
その顔に一切の迷いはなく、これまでで最も楽しそうな笑顔が浮かんでいる。
変な噂が立ったら困るし、もうここに来るのは止めといた方がいいんじゃない?
俺がやんわりとそう伝えれば、この笑顔は曇るのだろうか。
そう考えると、心に小さな棘が刺さったような痛みを覚えた。
すごく罪深いことのようにさえ思えてくる。
だったら、いっそ大した葛藤もなく、軽く受け入れられた方がましかもしれない。
そもそも、本当に言わなければならないことなのか。
向こうのためを想って……なんてのは、俺の劣等感に由来する独善でしかないのでは?
思考がグルグルと渦を巻き、自分が何を考えているのかも分からなくなってくる。
『迷えば、敗れる』『迷えば、敗れる』『迷えば、敗れる』
朝日さんがボスに敗北する度に流れる台詞が、まるで自分に言っているように聞こえてきた。
「秘技……雷返し!! からの~……トドメだー!!」
十度目の挑戦で、彼女は遂にラスボスを撃破した。
『見事……じゃ……』
トドメの演出、そしてエンディングムービーが流れる。
「いぇーい! 大勝利ー!」
「お、おめでとう……めちゃくちゃ早かったね」
「だから結構上手いって言ったでしょ? ほら、いぇーい!」
ハイタッチを求めてきた彼女に軽く応じる。
「あ~、面白かったぁ……ここのゲームはほんとに全部神ゲーだねー」
満ち足りた表情で、物語の結末を見届けている朝日さん。
タイトルロゴが表示され、エンドクレジットが流れ出す。
初見では慣れた人でも二十時間はかかるゲームを十時間強で終わらせた腕前に感服しながらも、俺はまだ迷っていた。
「ねえねえ、これって他にもエンディングあったりする?」
「え? ああ……あるにはあるけど……」
「やっぱりそうなんだ。じゃあ、あの選択肢のところかな~……セーブからやるのもいいけど、せっかくなら最初から……って、ずっと一人でやるのは流石に影山くんに悪いか」
ひょっとしたら今が言うチャンスなんじゃないかと考えていると――
「ん? どうかした?」
その先制攻撃権を使って、先に向こうが俺の異変に気づく。
「もしかして体調でも悪い? ポカリ買ってきてあげよっか?」
座る位置を変えて、ぐっと一気に距離を詰めてくる。
バスで隣席に座ってきた時くらいの距離感
あの時よりも明るい室内で、至近で顔を見合わせる形になる。
「いや、体調は万全だけど……」
「じゃあ……お腹空いたとか……?」
改めてこの距離で見ると、その整った目鼻立ちが更に際立つ。
ぱっちりと開いた大きな目を飾る長いまつげ。
高くて小さい鼻に、潤った桃色の唇。
即死級の攻撃力を備えた武器を、何個も何個も備えている。
「その、そうじゃなくて……」
「じゃあ、どうしたの……?」
小首をかしげる朝日さん。
顔が良すぎる。
性格も良い。
一緒にいて楽しい。
だからこそ、ダメなんだ。
同じ状況でも、相手が他の同級生だったら俺はきっと普通に受け入れられた。
俺にも遂に本物の青春が訪れたと諸手を挙げて喜んだだろう。
けれど、朝日光と俺では住んでる世界が違いすぎる。
上と下、陽と陰、光と闇。
ただのゲーム友達であっても、きっといつか迷惑をかけてしまうはず。
俺はこのバグを解消して、世界を元に戻さなければならない。
「朝日さん……」
「何?」
……本当にそうなのか?
『迷えば、敗れる』
ぐちゃぐちゃになってる思考下で、あの言葉が頭の中で繰り返された。
「連休中に、まだどっか予定の空いてる日ってある……?」
何故か分からないが、気がつけば俺はそんな言葉を口にしていた。