不貞を働いた夫を殺して幸せになることにしました
私は、不貞を働いた夫を殺すことにしました。
慰謝料をもらって離婚してもよかったのですが、幸い実家が安定しているのでお金には困りません。驚きはしましたが、複数の友人も夫の不倫によって家庭が崩壊したり、冷戦状態が続いていたりしていたので、いつかは私にも回ってくるだろうという予感がありました。
夫が不倫のドラマを一生懸命撮りためていたのも知っていましたし、これまでも複数人の女性と噂になっても、私の追求をなんとか逃れていただけの話でした。
しかし今回は、決定的な場面を抑えてしまいました。二人でスマートフォンの画面を覗いていると、不倫相手からのメッセージが届いたのです。
かわいそうに、頑張って隠せていると思っていたでしょうに。夫の運の悪さを哀れに思いました。
私に尻尾を掴まれては観念するしかありません。夫はうなだれて全てを打ち明けました。
しかし私は、裏切り者だとは思いませんでした。恋というのはいくつになってもするものです。性衝動は年老いてからも湧き上がるものなのです。
私も例外ではありませんでした。
その数日後に、好きな人ができてしまったのですから。
夫の愛人だった、佐倉清菜です。
最初はどんな人か知りたかっただけでした。
三十路入りした私より五つほど若い女性で、そして夫の同僚でした。
会社の電話から連絡を取ると、のこのこと喫茶店に現れました。
おどおどしていましたが、顔色はそう悪くなさそうでした。
私は彼女をつい揺さぶりたくなって、夫はすべて佐倉が誘ってきたのが悪いと言い張っているけど本当なのか、と尋ねるふりをして暴露しました。
彼女は「そうですか」とだけ答えて、目を伏せました。夫に腹立てているようでした。
清菜さんは細身で背が高く、とても美しい人でした。パンツスーツがよく似合います。化粧は薄いのに、透明感のある肌は思わず触りたくなるほど。同じ仕事場で夫が惹かれたのもうなずけます。はかなげにも見えるのに、背筋はぴんと伸びていて、強かさも感じられるのです。そんな彼女が憎悪を宿らせると、さらに美しく見えたのでした。
妊娠と同時に離職して家庭に入った私は、のりのきいた彼女の立ち姿に、自分が歩めなかった人生を垣間見た気がしました。
素敵だな、と思いました。そして許せないとも。
許せないのは、彼女のことではありません。
この美しい彼女を、幸せにするつもりも器もないくせに、抱いた夫が許せないと思ったのです。
性別は関係ありませんでした。彼女をなんとかして手に入れたい。
そこで、私は名案を思いついたのです。
夫を恨ませて二人で殺せば、私たちは永遠に秘密を共有する運命共同体になれるのだと。
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僕は、同僚を殺すことにしました。
不倫関係を清算するためではありません。僕が本当に好きな人と、幸せになるために。
出会いは、部長主催の懇親バーベキュー大会でした。家族連れで参加している社員も多く、三十人ほどで賑わっていました。
そのとき人一倍食べていたのが、彼女でした。小さな口を大きく開けて、幸せそうに咀嚼する姿がハムスターみたいでとても可愛いのです。大の大人に向かってハムスターみたいなんて失礼でしょうか。
でも、この人に僕の手料理を食べさせてあげたいと思いました。
そしてその気持ちはやましい方向へと膨らみ、あの人が僕の作った料理を食べる様子を想像して、幾晩も自分を慰めました。しかし慰めても慰めても、欲望がおさまらないのです。
やはり手に入れることにしました。
将を射んとする者はまず馬を射よ。
まず始めに、不倫という手段を執りました。こちらは難しいことはありませんでした。男と女の身体ですから、スキンシップが増えるほど親密度は上がるものです。存外、人間とは単純なものなのです。
ですが僕がその人と結ばれるためには、大きな壁が一つありました。
婚姻関係という壁です。もちろん、僕は僕の幸せのために行動しますから、離婚してもらうという選択肢しかありません。
不倫が家族にばれるような時間帯に、メッセージのやり取りを繰り返しました。
狙い通り見られましたが誤算がありました。不貞行為が許されてしまったのです。すんなり離婚……という訳にはいきませんでした。
次の手を考えているうちに、僕に〝馬〟から連絡がありました。
「どうせ向こうは主婦だし離婚する勇気なんかないんだ、俺たちは別れたふりをして隠れて付き合えばいいから」
面倒な奴だ、いなくならないかな――と思いました。
そうだ、死ねばいいんだ。簡単なことでした。なぜ思いつかなかったのでしょう。
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目の前には二人の女、背後は崖。遠くから聞こえてくるのはゴーと激しく流れる水の音。
俺は今、妻と不倫相手に殺されかけている。
妻・悠子に不倫がばれたときは、一家離散の危機かと思った。
普段は家庭円満だった。ただ俺が人より性欲が強いのが問題なのだ。それを火遊びで発散する――というのが、これまでのスタイルだった。女との逢瀬には金がいるので、悠子に黙って生命保険も解約した。
仕事でこれだけ苦労して家族を食べさせているのだから、それくらいの褒美はあったっていいだろう、と思っていた。たびたび勘づいていた妻も離婚する勇気はないようで踏み込んで来なかった。それはそうだ、主婦が離婚するメリットなんて一つもないのだ。
しかし、今回はまずかった。次にどこのホテルで落ち合うかのメッセージを見られてしまったからだ。
清菜は女性にしてはドライで、不倫相手にはもってこいの関係だった。社内の親睦バーベキューで家族ぐるみで会話したあたりから、急に彼女がこちらをよく見るようになった。同じ業務をしていても、ふと腕に触れたりワイシャツの袖を掴んだりするので、「この女はそういった関係がいけるタイプだ」と分かったのだ。
すらりとした体つきもいい。妻はどちらかというとふっくらしていて、それも好きなのだが、たまには違う食事もしたいものだ。家族と居る面倒な時間にメッセージを寄越すあたり〝分かってないな〟とは思ったが、これからの俺が教育すれば直るだろうと思っていた。
さほど人として好きかと言えば、そうでもないのだが、やはりスタイルがいい女は抱いていて優越感がある。俺と清菜の不倫を知る後輩からは「可愛い奥さんも美人の愛人もいて、男の夢そのものじゃないですか」などとうらやましがられた。
俺は「いやあ最近それにも慣れて、もっと刺激が欲しくなってなあ」などと豪語していた。
ばれてしまえば、どうしようもないのだが。
それでも悠子は「仕方ないですね」と俺の平謝りを受け入れてくれた。清菜もたいしたことではないような顔をしている。
二人とも、わきまえたいい女なのだ。
別に俺の愛情が減るわけではないと、分かっているのだから。
ある日、悠子に山登りに誘われたのだ。
「子ども抜きでデートしましょう。他の女の人なんか気にならないくらい私とラブラブになればいいのよ」と。
なんで出来た女なのだ、と俺は心から思った。
山登りをしてキャンプ場で一泊――というシチュエーションも、性欲の強い俺にはとても魅力的だった。
登山はさほどきついものではなく、キャンプ場でバーベキューを楽しんだ。
離れたところにあと二グループ程度で、どんなに騒いでも、どんなに夜が激しくても、苦情の心配はなさそうだ。
悠子は張り切っていたのか、酒も食事もかなり多めに持って来ていた。調子に乗った俺は、缶ビールも五本くらい飲んだだろうか。そうして雰囲気が良くなったところで、俺は悠子にキスをする。
身体を委ねてくれた悠子を見て、俺は思った。ほら簡単だ。女は抱いてしまえばこちらのものなのだ、と。
今夜は罪滅ぼしに、丁寧に愛撫してやろう。
――と、目が覚めたら、俺は布に巻かれて崖の手前で横たわっていたわけだ。
口にも何か布のような物を詰め込まれ声が出せない。
「ああ、起きたわ」
頭上から悠子の声がした。
芋虫のような体勢で見上げると、満点の星空を背に彼女のシルエットが浮かび上がる。小さなペンライトが点灯すると、悠子が微笑んでいた。
「ちょうどよかった、このまま突き落とすところでしたね」
もう一人、すらりとしたシルエットが浮かび上がる。清菜だった。
どうして、二人が。そして、俺はどうして布に巻かれて身動きが取れないのか。
「最後に何も言わずに死んじゃうのはかわいそうだものね」
悠子が、これから起きる恐ろしい行為について笑顔で語る。
他人の声が聞こえなくなるほど、俺の心臓がばくばくと音を立てた。
「山であんなにお酒を飲んだらいけませんよ、係長。このキャンプ場、崖の下は急流の川なんですよ。落下して一命をとりとめたとしても、溺死してしまいますよ」
清菜がまるで自分の夕食を見ていたかのように、そう俺に忠告する。
続いて悠子がいたずらをばらすように、くすくすと告げた。
「ふふ、あなた、気付かなかったみたいね。彼女、ずーっと私たちの後から登山していたのよ。登山口のポストに入れた登山届には三人の名前が書いてあるの」
清菜が得意げに筋書きを明かした。
「会社の同僚も連れて行く、と称して不倫相手の自分を連れてきた牟田口係長は、夜のオシゴトを妻に見られてしまい修羅場に。問い詰められて錯乱し、崖から投身」
悠子が「すごい、清菜さん天才」と拍手する。こんなにはしゃぐ妻を見るのはいつぶりだろうか。
ゆるしてくれ、ひとまず、この状態をナントカしてくれ、と目で訴えるが、察した悠子は「だめですよ」と首をかしげた。
「あなたが邪魔なんです。私が清菜さんと幸せになるために――」
そう言って、悠子がはっと自分の口を押さえる。
その手首を清菜が掴んで引き寄せた。
「……今、何て言った? 悠子さん」
「ご……ごめんなさい、忘れて……私ったら浮かれてつい」
清菜が悠子の腰に手を回し、指の背で悠子の頬を撫でた。
「その言葉、真に受けていいの? 〝僕〟と同じ気持ちだと思っていい?」
「だ、だめ」
悠子の声が震える。
「だめじゃないでしょ、そんな可愛い顔して」
清菜は、女のはずなのに、なぜかその仕草や言葉が恰好いい。
「清菜さん……私、あなたのことが……喫茶店で出会ったときから」
「悠子さん、アア嬉しい、こんな奇跡が起きるなんて。僕はもっと前からですよ!」
清菜は、悠子を自分のものにするために、俺と不倫関係になるよう仕組んだのだ、と打ち明ける。
驚く悠子の手の甲に、清菜が王子様のようにキスをする。
「バーベキューのとき、あなたが美味しそうに肉を食べているのを見て興奮しました。悠子さんに僕の手料理も食べてもらいたいって……でもあなたを手に入れるために、あなたを傷つけたことがバレたら嫌われると思って言い出せなかったんです」
「清菜さん、バーベキューって一年も前じゃない」
俺と悠子に、なんとしても離婚させたかったと清菜はとつとつと語った。それは、俺を手に入れるためではなく、悠子を手に入れるために――。
まるでプロポーズを受けたように、悠子が感極まって声を震わせている。
「うそ……私は、清菜さんと運命共同体になれると思って……」
悠子は自分のもくろみを打ち明けた。
清菜に俺を憎むように仕向け、二人で俺を殺せば秘密を一生共有することになる。そうなれば離れられないと考えた……と。
俺の妻と、俺の不倫相手が、満点の星空の下で思いが通じ合い、抱き合っている。
それにしても俺の立ち位置は何だ。
俺を二人で争うならまだしも、俺との関係や殺害そのものを、思いを通わせる口実にしようというのだから、とんでもなく恐ろしい女たちだ。
「さっき、係長に悠子さんが抱かれているとき、心臓がどうにかなりそうでしたよ。あとで僕に全部洗わせてくださいね」
「ええもちろん。なんだかこの人いつもより興奮してて気持ちが悪くて……」
「ふふ、この男、もともと下手ですからね」
勝手なことを言いやがって、俺がベッドで泣かせた女の数を知らないのか。
「そうなの? 私、この人しか知らなくって……不感症だなんだと罵ってくるから、一応いいふりはしてあげていたんだけど。夫しか知らない女のこと準処女っていうのよね、恥ずかしい」
清菜が悠子の手に唇を落とした。
「恥ずかしいことなんて。僕は嬉しいです。こいつが触れたところ全て、僕が消毒してあげますから。あとでいっぱい……」
「やだ、清菜さんって本当はすごくえっちな人なのね」
「えっちな僕はだめですか? 実はあの喫茶店で、あなたの手を握りたくて仕方がなかったんですよ」
「だめじゃ……ありませんっ」
そう言うと、悠子が清菜にがばっと抱きついた。
「こら、そんなにくっつかれると今すぐ狼になっちゃいますよ」
「清菜さんこわぁい」
布でぐるぐる巻きにされている俺の存在を忘れたかのように、二人が睦み合っている。
悠子の腰を指でなぞっていた清菜が、ちらりとこちらを見た。
「こいつを殺せば二人の秘密が出来て、運命共同体になれる……か。ロマンチックですね」
なんて勝手な言い分だ、ヒステリックに復讐されたほうがよほどかわいげがある。
悠子が晩御飯のメニューでも迷うかのように首を傾げた。
「その必要もなくなったわねえ、どうしましょうか。本人の意見を聞いてみます?」
俺は大声を出さないことを約束させられて、口だけを解放された。
その瞬間、勝手な女たちに怒りが沸き起こり、思わずこう漏らした。
「お前ら……なんてことをしやがったんだ……俺の女でいればいいものを、自分たちだけで幸せになるだと……?」
そのつもりよ、と悠子が淡々と返事をするので、ついに怒鳴ってしまった。
「俺は別れないからな! たとえ死んだって離婚なんてしてやらないからな!」
俺を抜きにして幸せになるなんて許せない、俺を誰だと思っているんだ。お前たちは誰のおかげで幸せに暮らせてこれたと思っているんだ。
その瞬間、身体を巻いていた布がすべて取り払われた。それが二枚の大判ストールだったことに気付く。なるほど、それを首に巻けば拘束している道具も見つからないわけだ。
自由になった、と立ち上がった瞬間、ドン、と清菜が俺の身体を押した。
ぐらり、と身体が後ろに倒れ、崖から足が離れる。遠くでゴーという水の流れる音がして、清菜が言っていたことが本当だったと気付く。
「きゃー」
悠子の悲鳴がこだました。
「誰か、誰か助けてェ! 夫が身投げを……!」
そこまで全てシナリオだったのだ、と暗闇を落下しながら俺は気付く。
刺激を求めて不倫相手を妻との登山に同行させ、関係がばれて離婚を切り出された末に「別れない!」と叫んで投身自殺――。
俺はなぜ「助けて」と言わず、別れないなどと怒鳴ってしまったのだろうか。
なぜ会社のやつらに「刺激がほしい」などと調子に乗って言ってしまったのだろうか。
みじめだ。清菜に妻を取られたからか、それとも悠子に不倫相手を取られたからか――。
彼女たちは今夜、俺の〝修羅場からの投身自殺〟の事情聴取を受けた後、ホテルで熱い夜を過ごすのだろうか。
なんて刺激的な関係なんだ。さぞ気持ちが良いことだろう、ああうらやましい。
水の匂いがする。ごうごうという急流の音が、すぐそばまできていた。
(了)