王宮生活の始まり(2)
「ヴィヴィアーネ殿下、フィリップ・アウフミュラー王太子筆頭補佐官がいらっしゃいました」
レーベッカの声に私は急いで立ち上がった。
「フィル兄様!」
「ヴィヴィ!会いたかったよ!!」
フィル兄様は私に大股で近づくと私をぎゅっと抱きしめた。
ああ……フィル兄様だ……と感激する間もなくレーベッカの声が聞こえた。
「フィリップ・アウフミュラー王太子筆頭補佐官、ヴィヴィアーネ殿下をお放しください」
「何だお前は?」
フィル兄様は眉を顰めた。
「レーベッカ・アージンガーと申します。ヴィヴィアーネ殿下の侍女でございます。ヴィヴィアーネ殿下はジークハルト殿下の婚約者、他の男性が触れることはご遠慮願います」
「僕はヴィヴィの兄だ」
「今は違います」
「ぐぬぬ……たとえ立場が変わろうともヴィヴィが僕の最愛の妹であることに変わりはない!」
フィル兄様は宣言したあと私を見て優しく言った。
「そうだろ?僕のヴィヴィ」
ああそうだ。フィル兄様は変わらない。いつも私に対して精一杯の妹愛を注いでくれてフィル兄様が私を抱きしめるとジークが引っぺがして……
「ヴィヴィ!どうしたんだ?」
私はいつしか涙を流していた。
「ヴィヴィ、辛いことある?」
私はかぶりを振った。
「ヴィヴィ、何でもいいんだ、言ってごらん。僕は君の望みを全て叶えてあげるよ」
「違うの。何の不満もないわ。レーベッカやメイドのみんなとも上手くやれているわ。皆優しくしてくれるわ。これから授業や魔術の訓練で忙しくなるだろうけどやりがいもあるの。お母様のことも心配だったけどお母様は私より早く馴染んでいるみたい。安心したのかしら……フィル兄様の顔を見たら涙が止まらなくて……」
フィル兄様は「そうか……」と私の涙を優しく拭ってくれた。
フィル兄様はジークの予定が変わって午後にするはずだったお茶会を中止にしてくれと伝えに来てくれたのだがフィル兄様が帰った後、私は涙の意味をずっと考えていた。
レーベッカはフィル兄様のスキンシップに対してずっと苦言を呈していたが私がフィル兄様のハグは妹愛だから心配いらないと言うと一応は口をつぐんだ。
その日の夜の事だった。
「ヴィヴィアーネ殿下、ジークハルト殿下がいらっしゃいました」
メイドの戸惑ったような声が聞こえた。レーベッカはもう帰った後で室内には二人の専属メイドがいるだけだった。
「ヴィヴィ、遅くにすまない」
夕食は済ませたけれどそこまで遅い時間ではない。私は微笑んだ。
「大丈夫よ。まだそんな遅い時間ではないわ。それよりどうしたの?」
「ちょっと庭を散歩しないか?」
幻想的な明かりに照らされた奥庭の小道を歩く。
護衛の人たちにはかなり距離を空けてもらった。
「ヴィヴィ、何か困ったこととか不自由な事とかない?」
「無いわ。ありがとうジーク」
ジークは優しい。王宮で暮らすようになってずっと気遣ってくれている。私は微笑んで答えた。
私をしばらく見つめた後、ジークはポツリと言った。
「やっぱり……僕はなんて馬鹿だったんだろう。フィリップに言われるまで気づかなかった……」
ジークの言っていることがわからなくて首をかしげる。
「ヴィヴィ、王女らしくとか考えなくていいんだ。ヴィヴィらしく振舞えばいい。何か言われたら僕がフォローする」
「私らしく……?」
「周りとうまくやる必要なんてないよ。ぶつかったっていい。本音を隠して付き合うなんてヴィヴィには苦手な事だろう?」
「でも……貴族令嬢としては必要なことだわ」
「対外的にはね。だから側近になる人には本音で付き合いたいだろう?」
ああ、そうか。私はずっと気を張ってたんだ。侯爵家の家族と離されて学院の友達とも離されておかあさん、お母様には頼れずずっと自分がこうだろうと思う王女を演じていた。だからフィル兄様を見て気が緩んだ……
「ジーク、ありがとう!少し気持ちが軽くなったわ」
「うん、そうだね。眼が明るくなった。僕はちょっと悔しいけど」
「悔しいって?」
「フィリップだよ。ヴィヴィの変化に気が付いたのはフィリップなんだ」
「あ……」
フィル兄様の前で泣いてしまったから。でもフィル兄様は気が付いたんだ、私が張り詰めていることに。私自身も気が付いていなかったのに。
次の日の朝、私はメイドと護衛を集めた。
今勤務しているのはメイド三人、侍女、護衛二人だ。もちろん離宮に努めるメイドや従者、衛兵や庭師など様々な人がいるけれどまずはこの六人だ。
「おはよう、レーベッカ、カルラ、ベティーナ、ツェツィ、アロイス、ローラント。みんなこれからは私のことをヴィヴィと呼んでくれる?」
「ヴィヴィ殿下……ですか?」メイドのベティーナが呟く。
「殿下はいらないわベティーナ」
「では……ヴィヴィ様」
「それでお願いするわローラント」
私は呼び方から変える作戦に出た。殿下と呼ばれるとどうも調子が狂う。
「いけませんヴィヴィアーネ殿下。まだ公には発表前ですがヴィヴィアーネ殿下とマリアレーテ殿下は王族、王女様という身分になると聞いています。当然それにふさわしい振る舞いを求められますし私たちも……」
やっぱり反対してきたレーベッカの言葉を私はさえぎった。
「ええ、公の場ではそう呼んでもらわなくては困るけど、ここ、離宮はプライベート空間でしょう?ここではヴィヴィ様と呼んでほしいの。私みんなと仲良くなりたいのよ」
「仲良く……」
「ヴィヴィ様時間です」
……驚いた!いつも全く喋らないアロイスが一番に私の名前を呼んでくれたわ。あ!耳が赤くなってる!
いつも不愛想でニコリともしないし喋らないアロイスが途端に可愛く見えてきた。こんな小娘の護衛なんて嫌なんじゃないかと、だからずっと不機嫌なんじゃないかと気になっていたのだ。
「ありがとうアロイス。じゃあ授業に行ってくるわ。あ、今日出勤じゃない人にも言っておいてね」
「「「行ってらっしゃいませヴィヴィ様」」」
私はちょっと浮かれて部屋を出た。護衛のアロイスとローラントも一緒だ。少し遅れて我に返ったレーベッカが早足で追いついてきた。
そうして初日の授業は終わった。