三年生(5)
次の日、午前中に国王陛下たちが部屋に訪ねてきた。
昨日のようにお茶を入れてもらい人払いをしてから陛下は切り出した。
「朝から申し訳ない。私たちも王宮を長く空けておけないので」
国王陛下や王太子、宰相のお父様まで長く王宮を不在にしておけないのはすごくよくわかる。というか今現在不在にしているのもものすごく異例のことだろう。
「早速だが、あなたの身は王宮で預からせていただきたい」
「あの、私はこれから王宮で暮らすということでしょうか」
おかあさんはものすごく不安そうだ。私にとっておかあさんはいつも相談に乗ってくれ支えてくれる心強い存在だった。そんなおかあさんが心細いような頼りなげな表情を浮かべている。
「私としてはあなたが望めば王位も——」
「それは無理です!」
おかあさんは急いで否定した。
「いや、これは性急すぎたな。もちろんこれから必要な教育を受けたうえでのことになるが」
「あの……私がマリアレーテ王女なのだということは何とか理解しました。実感はありませんが……でも!でも私は既に嫁いだ身です。平民で孤児のオリバーの妻です。ですから平民であることには変わりありません」
「しかしその夫は……」
「オリバーは帰ってきます!!絶対に!」
おかあさんの剣幕に気おされたように国王陛下は少し口をつぐんだ。
「そうか……しかしあなたを王宮で預からせてもらうことは決定事項だ。これは譲れない。あなたが王位を望まないのであればあなたの夫が帰ってきた暁にはしかるべき爵位を授けることになるだろう。それまでは王族として過ごしてもらう」
「今まで通りメイドというわけには……」
「それは無理だ。私たちもあなたもあなたの素性を知った。いくら秘密にしていても知るものは増えていくだろう。あなたの安全のためにも、あなたを利用させないためにも王宮で保護をする。そして国民にもあなたのことを公表するつもりだ」
おかあさんはしばらく目を瞑っていた。再び目を開けた時には目に力が戻っていた。いつものおかあさんの眼だった。
「わかりました。これからよろしくお願いいたします」
おかあさんが頭を下げると国王陛下はやっと肩の力が抜けたようで優しく微笑んだ。ジークに似た微笑みだった。やっぱり親子だなあなんて考えているとおかあさんがもう一度口を開いた。
「ヴィヴィのことはどうなりますか?」
「ヴィヴィアーネ嬢はあなたの娘だ。もちろん王族となる」
「ジークハルト殿下との婚約は?」
「本人たちの不満がなければもちろん続行となる。むしろ望まれることになるだろう。先王の娘であるあなたの子のヴィヴィアーネ嬢と婚姻することはジークが王位を継ぐことに正当性を与えることになるだろうからな」
「それなら私には何の不満もありませんわ」
おかあさんは微笑んだ。
さすがはおかあさんだ。さっきまで不安そうな眼をしていたのにもう対等に国王陛下とお話をしている。私が感心していると陛下は私に向き直った。
「そこでだヴィヴィアーネ嬢、マリアレーテ王女はこれから王都に向かってもらうとして、君も一緒に王都に来てもらいたい」
「はい、多少学院のほうはお休みしても私は構いませんが」
私もおかあさんが一人で慣れない王宮に行くのは心配だ。落ち着くまで傍についていてあげたい。
「いや、異例のことではあるが王宮で教育を受けてもらいたいんだ。君の今のカリキュラムは一人の授業が多いと聞いた。クラスで受ける授業内容も王宮で王太子妃教育や王族教育を受ければ何ら問題はないということだ。そして魔術の授業はアルブレヒトに王宮に来てもらえばいい」
私もこれから王宮で暮らす?ジークと婚約してからは数年後はそうなるんだろうなと漠然とは考えていたことだけど……
「君から学生生活や友人との触れ合いを奪ってしまうのは心苦しいが……もちろんこの学院でしか受けられない授業、特に竜の森での演習の際にはここに戻ってきて参加してもらうことになる。幸いなことに君は竜に乗れるから誰かに送らせることができる。移動時間は短くて済む」
カールやアリー、トーマスたちと離れるのは寂しい。いろいろあったけど学院は自由だった。ジークに会えることは嬉しいしおかあさんを一人にはしたくない。
寂しさと嬉しさとおかあさんを放っておけない思いと色々なものが入り混じりながらも私は了承した。
「あの、友達と話すことはできますか?」
アリーたちとこのまま別れたくはなかった。
「そうだな……君たちのことはいずれ王家から発表するがそれまで秘密を守れるのであれば。そして人数は最低限に抑えてくれ」
「わかりました。ありがとうございます」
急遽私とおかあさんは王都に向かうことになった。
出発は明日。必要最低限の荷物だけを持っていく。
私とおかあさんは荷造りのために寮に戻った。
生徒は授業中の時間なので寮は閑散としている。
学院の女性職員が数名手伝いに派遣され騎士も一名ドアの外に待機していた。寮の外では更に数名の騎士が護衛に当たるという徹底ぶりだった。
陛下やお父様、ジークたちは一足先に竜で王都に戻るため、王都まで護衛してくれる騎士を紹介してくれた。
護衛騎士は十名。隊長を務めるのはユストゥス・クラフト様という三十歳くらいの人だった。
お父様に紹介されたその人はおかあさんを見るなり歓声を上げた。
「ヒュー―!こんな綺麗な人の護衛ができるなんて光栄だなぁ!よろしくお願いします!」
おかあさんの手を握ろうとしてお父様に阻止される。
フーベルトゥス騎士団長が苦笑しながら言った。
「こいつはこの軽薄な性格のおかげで未だに独身ですが腕だけは確かです」
お父様もおかあさんに言った。
「マリアレーテ様、こいつは不埒な真似は多分?しませんが不埒な言葉は言うかもしれません。後で私に報告してください」
おかあさんはにっこり笑って頷いた。
「旦那様、私は小娘じゃありませんから大丈夫ですわ」
それからクラフト様に向き直って言った。
「私に対しては多少大目に見ますが娘に不埒な言動をしたら許しませんわよ」
「あっ、大丈夫っす。俺、子供は守備範囲外なんで」
クラフト様はフーベルトゥス騎士団長に拳骨を貰っていた。
お父様はおかあさんにそっと耳打ちをした。
「マリアレーテ様、旦那様と言うのは……ご勘弁願いたい。その……ヴィヴィがお父様と言ってあなたが旦那様と言うと……」
おかあさんはあっ!という顔をした。メイド服の時は旦那様と言っても違和感なかったが今のおかあさんは貴族の夫人のような恰好をしている。その恰好で「旦那様」と言うとまるで……
「すみません、だん……アウフミュラー侯爵様」
おかあさんは顔を真っ赤にして謝っていた。
荷造りが終わった夕方、私とおかあさんは貴賓室に戻った。
アリーやカールたちのところに行こうと思ったが騒ぎになると言われてこっそり呼んできてもらうことにした。呼んできてもらうのはアリー、カール、トーマスの三人だ。リーネにもお別れの挨拶をしたかったがリーネは伯爵家の令嬢で家のしがらみなどがあるのでかえって教えない方がいいと判断した。
アリーたちはおっかなびっくり貴賓室にやってきたが部屋の中にいるのが私だとわかると駆け寄ってきた。
「ヴィヴィ!心配したわ!」
「そうだぞ!お前また休んでいただろ。怪我したとか犯人の一味だとかいろんな噂が飛び交っているんだ」
トーマスもうんうんと頷いている。
数日前のパルミロの騒動はパルミロの手下が騎士と戦ったり、その後騎士たちが学院の敷地内を探し回ったりしたおかげで学生たちの知るところとなり大騒ぎになっているようだった。
学生たちには詳細は知らされていない為凶悪犯が学院に潜入したとか、生徒に内通者がいるとか、いや襲われた生徒がいるとかいろいろな噂が飛び交っているらしい。
「それで、お前どうしてこんなところにいるんだ?」
私はこの三人には今までの経緯を包み隠さず話した。
三人は茫然として私の話を聞いていた。
「ヴィヴィが……王女様の子供……」
話している途中でおかあさんがお茶を持ってきてくれた。
おかあさんを見て三人はまたポカ――ンとしていた。メイドのマリアは何度も会ったことがあるけど眼鏡を外したおかあさんを見るのは初めてだったのだ。
「ひっひえっ!お、王女様にお茶を入れていたたたただくなんて……」
アリーにつられ三人が平伏しそうになったのでまいった。
「それは一旦忘れて!!私もおかあさんも何も変わっていないわ!」
三人はやっと落ち着いて話を聞いてくれた。そして絶対に他言しないと約束してくれた。家族にも。
その後は色々な話をして名残を惜しみ、手紙を書くからと約束をして三人は帰って行った。
そうして翌朝、私とおかあさんは王都へ向かったのだった。