三年生(2)
次の日は一日中落ち着かなかった。
手紙は朝一番で出した。最速便だ。通常の手紙は馬で届けられるので数日かかるが緊急連絡の場合は竜で届けられるので王都まで一日で届く。値段は通常便の十倍だが気にしている場合ではない。学院長や駐在の騎士に相談しようかとも思ったが判断が付かなかった。
失踪令嬢の事件は内密に調べられているようだった。だからパルミロという人物をジークたちが追っていることは皆知らない。王太子の婚約者として発表されたばかりの私の言葉をどれだけ信用してくれるか、そして動いてくれるかわからなかった。
それなら不用意に人に話して怪しまれるよりはジークが手配してくれた人が来るのを待つべきだと思い私は表面上は普段通りの生活を心がけた。
二日目の夕方、私は迎えに来てくれたおかあさんと寮に向かって歩いていく途中、またしても木立の中に入っていくアンゲリカを見かけた。
この時間は寮の夕食時間なので出歩いている生徒は少ない。そのおかげで遠目でもアンゲリカだとすぐわかった。
私が後を追おうとするとおかあさんに制止された。
「ヴィヴィ様危険です。殿下の手配してくださった方が来るまで大人しくしているべきですわ」
「大丈夫よ。遠くから覗き見るだけだから。あの男が何の目的でここにいるか少しでもわかったらジークの役に立つわ」
おかあさんはため息をついて「本当に遠くから見るだけですよ」と言った。
忍び足でアンゲリカが消えたあたりの木立に入る。
少し進むとやっぱりアンゲリカの声が聞こえた。
「……無理だわ。五本しか……」
なにかをパルミロに手渡している。
「……」
「そんなこと言って!あなたが……」
「……」
やはりパルミロが何を言っているのかは聞き取れない。声が高くなったアンゲリカをパルミロが宥めているようだった。アンゲリカにカップに注いだ何かを手渡している。アンゲリカがそれを飲んだ。
少しするとアンゲリカは落ち着いたようだった。いや落ち着いたというのか……
アンゲリカはパルミロにしなだれかかりベタベタとくっついている。パルミロは時折アンゲリカにキスをしながら何かを言い聞かせている。
アンゲリカは素直に頷いている。
パルミロが何か薬物を飲ませたことは明白だった。ああやってご令嬢たちを虜にしていたのね。
私とおかあさんがそろそろと後ずさろうとした時だった。
トンっと背中が何かにぶつかった。
途端に私は誰かに羽交い絞めにされた。
助けを呼ぼうとしたが口を塞がれる。
おかあさんも同様だった。
私たちが拘束されるとパルミロはニヤニヤ笑いながら片手にアンゲリカを抱いて近づいて来た。
「ネズミが二匹引っ掛かったな。ほう!これは美しい。ネズミじゃなくてうさぎちゃんだな」
じろじろと私の顔を覗き込みながら言う。
「ヴィヴィアーネじゃないの!!」
アンゲリカは声を張り上げた。
「あんたまた私の邪魔をしに来たの!?エルヴィン様との仲を邪魔して今度は愛しのパルミロとの仲を邪魔するの!?本当に性根のくさった女ね!自分はちゃっかり王太子を誑かしたくせに」
私に対する雑言にあかあさんが怒りの目を向けたが羽交い絞めにされているし口は塞がれたまんまだ。
「へー!王太子の婚約者なんだ、この子が。これはいい手土産が出来たかも……」
パルミロがニヤニヤ笑いながら何か言っている。
「ねえうさぎちゃん、私が君を素敵なところに連れていってあげるよ」
冗談じゃない。どこに連れて行く気か知らないけれどこんな奴と行きたい訳がない。
抗議の声を上げたくても口は塞がれている。「んん」とか「むご」とか意味不明の声が出るだけだった。
でも思わぬところから抗議の声が上がった。アンゲリカだ。
「ちょっとパルミロ!私を置いてその女を連れていくの!?」
「僕の子猫ちゃん、君を置いていくわけないだろう」
パルミロがアンゲリカの頬に口づけながら言うと途端にアンゲリカが大人しくなった。
もっと喧嘩してくれればつけ入る隙もあったかもしれないのに……
「でん……パルミロ様、こっちの女はどうします?」
おかあさんを羽交い絞めしていた男が聞いた。
「んーー、メイドはいらないから殺しちゃおうか」
それを聞いて私の頭に血が上った。
体内の魔力がグルグルと渦を巻く。
まずい!暴走する!封印解除してまだ日が浅い私は体内の魔力量を見誤っていた。
必死に気持ちを落ち着ける。大丈夫。私はコントロールできる……
暴走は防げたけど魔力が漏れ出していたみたいだ。小さなつむじ風が起こる。
「わっ!何だ?」
私を抑えていた男の手が緩んだ。
私はすかさず叫んだ。
「助けてーーーー!誰か来て―――!」
バタバタと複数人が走ってくる足音が聞こえた。
「こっちだ!侵入者だぞ!」
「手配犯かもしれん!」
足音は騎士のようだ。
「チッ!!」
パルミロは舌打ちをすると私たちを抑えている男たちに言った。
「お前たち、引き上げるよ!もし私が捕まりそうになったらちゃんと盾になってね」
私とおかあさんは地面に打ち倒された。私たちを放り捨てて男たちは逃げていく。アンゲリカも置き去りだ。
「パルミロ!何処へいくの?私を連れていってくれると言ったのに……」
アンゲリカが追いすがろうとしたがパルミロの部下の一人に突き飛ばされた。
「きゃあ!」
騎士たちが駆け付けて来た。
「あっちに逃げたわ!!」
私が指し示すと騎士たちがバタバタと追っていった。
私は未だ地面に倒れたままだったので立ち上がろうとすると目の前に手が差し出された。
「大丈夫?ヴィヴィ。怪我は無い?」
「ジーク!」
驚いた。ジーク本人が来てくれると思わなかった。
ジークと一緒に居た騎士がおかあさんも立たせてくれていた。
「大丈夫よ。怪我は無いわ」
私を立たせるとジークはため息をついた。
「全く君は……なんで僕が来るまで大人しく待っていられないんだろうな」
「あら、昨日は大人しく待っていたわ。今日もさっきアンゲリカを見かけなければ……」
ちょっと口をとがらせて言うとおでこをこつんと弾かれた。
「痛っ!」
おでこをさすりながらアンゲリカを見ると何やらぶつぶつと言っている。
騎士の一人が戻ってきた。
「すみません、逃げていた男達の内二人は取り押さえたのですが主犯格の男を取り逃がしました。しかし学院内にはいると思うので学院に常駐の騎士たちの手を借りてくまなく捜索するつもりです」
「ああ、頼む」
ジークが答えたときに頭上から竜の鳴き声が聞こえた。
「珍しいな、こんな時間にこんなところを飛ぶなんて」
ジークに釣られて私も空を見上げた。この場は騎士たちが持っている明かりがあるけれど辺りはすっかり闇に包まれている。月明かりの中を飛んで行く竜が見えた。
私は空を飛ぶ竜に気を取られていた。
だから全く気が付いていなかった。
いきなり後ろから衝撃が来た。誰かにぶつかられたのだ。いや抱きかかえられたと言った方がいいのか。
辺りが一瞬眩く光った。
「きゃっ!……え?何?」
私を抱きしめていた人の身体がずるずると崩れ落ちていく。
その後ろにウォンドをこちらに向けたアンゲリカ……
崩れ落ちていく人を見て私は叫んだ。
「いやーーーー!!おかあさん!!」