ジークハルトの遠征と失踪(8)
目の前の男、ラーシュはのんびりとした調子でジークに尋ねた。
「君の名前は?」
「ジ……」
「ジ?」
「ジャン……です」
「……そうか」
「三日前、ここより少し南東にある我が領の町が魔獣の大群に襲われた」
どうしていきなりそんな話を始めたのだろうと訝しく思いながらもジークは黙っていた。
「町は壊滅的な被害にあいその大群の進路に当たるところは全て被害を被るだろうと思われた。もちろん私は報告を受けてすぐに兵士を招集し魔獣退治に向かわせたが町の一つや二つは既に潰されていることを覚悟したし一度の派兵で退治しきれないことも予想できた。私が近隣の領主や王都に派兵の要請をしようかと迷っているときに兵士の一人が報告に戻って来た」
一息ついてラーシュは微笑んだ。
「どこからともなく竜の大群が現れ竜に乗った御使い様たちが魔獣の大群を追い払ってくれたというものだった」
「御使い?」
「町の人達の証言では金の髪で青い瞳の神々しいまでに美しい竜神様の御使い様は漆黒の竜に乗り魔獣の群れをあっという間に撃退してくれたそうだ。そうして魔獣の向かった先に村があると知ると配下の御使い様と共に颯爽と竜に乗って去っていったそうだ」
そこまで話してわざとらしく驚いたようにラーシュは言った。
「なんと!君も金の髪に青い瞳なのだな!」
「……偶然でしょう」
一応ジークはそう言ったが信じるとは思えなかった。
「まあいい。そこで私は数名の兵士を偵察に出したんだ。予想した通り峠の付近で魔獣たちの大量の死体が見つかった。魔獣たちはそこで殲滅されたらしい。どこの誰かはわからないが私は竜神様の御使いたちに感謝したよ」
そこまで話してラーシュは「疲れないかい?」とジークを気遣った。
「まだ大丈夫です」とジークが答えると話を続けた。
「魔獣を退治してくれた御使い様たちだがなぜかまだこの地にとどまっているらしい。なにか探し物をしているようだと報告を受けた私は御使い様たちを刺激しないように隠れて見守るよう指示を出した。そうこうしているうちに山の西側で暮らす木こりから報告が入った。河原で人を拾ったというものだった。この山にも偶に遭難者が出る。でも木こりの話では拾った人はボロボロになっているがもとはかなり上等だった衣服を着ているというものだった。気になった私はその人をここに運び込むように言った。そうして運ばれてきたのが君……というわけだ」
木こりの上等な衣服の話の部分でジークは不覚にも反応してしまった(そうだ!僕が着ていた服があった筈だ)トシュタイン王国の王宮に殴り込みに行ったのだから王太子に相応しい豪奢な服だ。今は夜着を着ているのだから当然着替えさせてくれたのだろうしこの男はその服を見ているだろう。
ジークの正体に気づいているだろうに知らないふりをするこの男の考えがわからなかった。
それとも既にトシュタイン王国の王宮に連絡して僕を捕縛する兵が到着するのを待っているのだろうか?
それが一番可能性が高いような気がした。
それなら僕は何とかここを逃げ出さなくてはならない。
いろいろ考えすぎたせいか頭がボーっとしてきた。また熱が上がってきたようだ。
「どうし……て……あなた……は……」
「これはいけない!熱が上がってきたようだ」
ラーシュは若干慌てたように言った。
「よく聞いてください。私はあなたのことをどこにも漏らしていない。特に王宮には。だから安心して体力の回復と怪我の養生に努めてください。また明日話をしに来ます。良いですね、くれぐれも無理をしないように」
ジークはラーシュの言葉を夢うつつに聞きながら眠りに引き込まれていった。
その後何度か目覚めて蜂蜜入りの薬湯を飲まされた。体中の湿布も何度か張り替えてくれたようだ。朝方にはスープを飲むことができた。昼にはパンがゆや野菜の入ったスープ。そうして昼過ぎにラーシュは部屋を訪ねて来た。
「ほう。若いというのは素晴らしいな。昨日に比べ顔色が格段に良い。食欲も出て来たようだね」
そんなことを言いながらベッドの脇の椅子に腰掛ける。
「ありがとうございます。今日は気分がだいぶ良くなりました」
お礼の言葉を述べた後、ジークは探るように言葉を紡いだ。
「あなたにはとても感謝をしている。あなたに拾われなければ僕は命を落としていたかもしれない。しかし疑問も沢山ある。なぜあなたは僕の手当てをしてくれた?なぜ王宮に知らせていない?あなたも気が付いているだろう、僕は——」
「私は!」
ラーシュは急に大きな声を出してジークの言葉を遮った。
「私はジャンという青年を拾った。彼が怪我をしていたので手当てをした。それだけだ。それだけでなければ困るのですよ」
ラーシュは困ったように笑った後「少々世間話に付き合ってくれないか」と言った。
「シュトレーム子爵……」
「んー、その呼び方はあまり好きではないんだ。私のことはラーシュと呼んでくれ」
「ラーシュ殿」
「それでいい。さて、今日はこの土地の話をしようか。私の家は先祖代々このあたりの土地の領主を務めている。この辺りは竜神信仰が盛んな土地でね。いやこの辺りだけではない。もともとゲレオン王国が竜神信仰が盛んな国だった。トシュタイン王国と名前が変わって百年ほど経つがこの辺りの人々は未だにゲレオン王国の風習を引き継いでいる」
ラーシュは一瞬迷ったような顔をした後話を続けた。
「トシュタイン王国というのはとてもいびつな国でね。いびつというか……一部の富裕層と大多数の虐げられている人々で成り立っている国なんだ」
ジークは吃驚した。聞いているものがジークしかいないとはいえそんなことを領主が言ってしまっていいのだろうか?
「国の土地の中でも豊かな土地の大多数は国王が握っている。そこの土地を治める領主は国王に税金を納めるわけだ。それ以外の土地は王子たちに割り振られる。王子たちは自らの力を誇示するためにギリギリまで税金を搾り取る。それから徴兵制度がある。王子たちは侵略戦争を起こして手柄を上げるために無理な徴兵を行う。私たち地方の領主は常に圧政に苦しみどうやって領民を守るかをいつも考えているんだ」
ラーシュの話は重かった。しかし何故彼はそんな話をジークに聞かせるのかわからなかった。
「私の領は数年前まで第六王子の管轄だった。かなりの重税に加え徴兵も過酷で十年ほど前にもヴェルヴァルム王国に攻め込む戦に駆り出された。ここから遠く離れたヘーゲル王国を経由して攻め込む作戦で私たちは過酷な行軍を余儀なくされた。幸いにも、と言ってはいけないかもしれないがその作戦は失敗に終わり第六王子は力を失って権力争いに負けた。第六王子が暗殺されてこの地は第七皇子の管轄になった」
「待ってくれラーシュ殿……僕はあなたの目的がわからない。僕にそんな話をする目的が……」
ジークは戸惑っていた。ラーシュはそんなジークを見て微笑んだ。
「私は今回君を助けて恩を売った。でも返してもらうのは今じゃないという話なんだ」
ますます意味が分からない。ジークの戸惑いを無視してラーシュは話を進める。
「第七皇子のエリオという人は王族の中ではかなり変わった人物でね。まあ彼の生まれがその一因なのだが権力争いに興味がない。というか……」
ここでラーシュは一段と声を潜めた。
「彼は王室を憎んでいると言ってもいいだろう」