ジークハルトの遠征と失踪(1)
ジークがトシュタイン王国に行った。
それは私の心に言いようのない不安を掻き立てた。
目の前が真っ暗になる。
「ヴィヴィ、落ち着け。ジークは竜騎士隊に守られている。ジークと共に行ったのは王国騎士団長のフーベルトゥスだ。無類の強さを誇る国王陛下の最側近の騎士だ。それに竜騎士隊を率いているのは竜騎士団第一隊長のブルクハルト・シュプリンガーだ。ジークは精鋭に守られている。無事に帰ってくることは俺が保証する」
どんなにエル兄様が言葉を尽くしても私の不安は拭えなかった。
私も頭ではわかっている。ジークは戦争をしに行ったわけではない。トシュタインの王宮に竜に乗って乗り込むと言ってもすぐ攻撃される訳ではないのだ。もちろんこちらからも攻撃はしない。ただ我が国はトシュタインの王宮をいつでも直接攻撃できるんだという示威行動だ。我が国とトシュタイン王国の武力の差を見せつけるための行動なのだ。
頭ではそれがわかっていても私の心は警鐘を鳴らして止まなかった。
「学院長、そういうわけでジークハルト殿下は暫く学院に戻ってくることができません。殿下の契約竜は黒竜であるということと共にしばらくの欠席をご報告します」
エル兄様の言葉に学院長は頷いた。
「ああ……いやもちろんそういう事情であれば欠席もやむを得ない事である。そちらは了承した。それに殿下の契約竜が黒竜であったということは喜ばしい限りだ。私も殿下が早く帰ってきて黒竜を見せてくれるのを楽しみにしているよ」
エル兄様は更に言葉を続けた。
「私も報告のために学院に戻ってまいりましたが王都に引き返すつもりでいます。殿下の帰還と共に学院に戻ってまいりますのでそれまでの欠席をご了承ください」
私は弾かれたように顔を上げた。
反射的に言葉が出た。
「私も王都に行きます!」
皆が驚いたように私を見た。
「ヴィヴィ、何を言うんだ!さっき言ったようにジークは安全だ。ヴィヴィはここでジークの帰りを待っているんだ、いいね」
エル兄様は私に諭すように言った。
学院長も私に向かって言う。
「エルヴィン君の欠席については認めるが君は認めるわけにはいかない。おとなしくここで待っていなさい」
それでも私は引き下がらなかった。ここで大人しく待っていることなど出来ない。なにかしたかったし少しでもジークの近くに行きたかった。本当はトシュタイン王国に飛んで行きたかったが行けるわけもない。せめて情報が一番に入る王都に居たかった。
「それでも私は行きます。我儘なのは十分わかっています。もし許可がもらえなくても一人でも行きます。すみません……」
エル兄様は困ったように私を見た。
「ヴィヴィ……俺たちは竜に乗って飛べば王都へは半日で着く。でもヴィヴィは馬車で向かわなければならないだろう?王都に着くまでにジークは戻ってくると思うよ」
「馬で行きます。頑張れば四日、いえ三日で着くわ」
「そんな無茶させられるわけないだろう」
「大丈夫よ。エル兄様はそのまま竜騎士様たちと王都に戻って下さい。私は一人で向かいます」
絶対に引き下がらない私を見てエル兄様がため息をついた。
「どうしてもというなら俺がヴィヴィに付き添う。あなたたちは先に王都に戻って陛下と父に報告をしてくれませんか」
エル兄様が竜騎士様に言うのを見て学院長が慌てた。
「冗談はやめてください!侯爵家の令嬢と令息を二人だけで王都に向かわせるなんてできるわけないでしょう。ヴィヴィアーネ嬢、我儘を言わずここで王太子殿下の帰りを待っていなさい」
そこまで言われても私は頷くことができない。とにかく不安で不安でたまらないのだ。
私の代わりにエル兄様が答えた。
「こうなったらヴィヴィは頑固です。一人でこっそり抜けだされても厄介なので私が付き添って王都に向かいます」
ついに学院長が折れた。
「わかりました。そこまで言うのなら学院の警護の騎士を二名護衛に付けます。ヴィヴィアーネ嬢、最悪の事態を招きたくはないので許可は出しますが殿下の帰還後ペナルティーはあると思っていてください」
最悪の事態とは私が勝手に抜け出して一人で王都に向かうことだろう。そこで事故や事件に遭遇すれば学院の落ち度になる。もちろん私は許可が出なければ何としても学院を抜け出して王都に向かうつもりだった。
そうして急ぎ支度を整えて私はエル兄様と二名の護衛と共に四頭の馬で王都に向かった。
王都に行くことはカール達にも誰にも告げていない。学院長室から寮に戻り支度を整えるとそのまま出発した。ただおかあさんにだけはエル兄様と王都に行ってくると告げた。
私たちはかなりの強行軍で三日で王都に着いた。
乗馬は領地に居たときにフィル兄様に少し手ほどきをしてもらっていて授業でも習った。私は得意だと思っていたが全然違った。一日中馬に乗って駆け続けるのは想像以上に辛かった。大きな街で替え馬をしながら駆け続け暗くなったら野宿をする。それでもエル兄様は私が乗りやすいように小型で馬力のある馬を選んでくれた。かなり体力を削られ私は疲労困憊だったが弱音は吐かなかった。いや吐けなかった。エル兄様も護衛の騎士たちも私の我儘でしなくてもいい苦労をしているのだ。その元凶の私が弱音を吐くわけにはいかなかった。
三日後、ボロボロに疲れながら王都のタウンハウスに到着した。
お父様とフィル兄様は王宮に滞在しているそうだ。私は執事のオットーに迎え入れられメイドのエリゼにかいがいしく世話を焼かれた。
すぐに王宮に向かいたかったが一晩ゆっくり休んで明日王宮に来るようにとお父様の伝言を聞かされた。
三日ぶりの湯あみを済ませ慣れ親しんだ私の部屋のベッドでぐっすりと眠った。実は湯あみの最中から半分寝ていた。不安でいっぱいのはずなのに肉体の極限までの疲労のおかげで私は夢も見ずに熟睡することができた。
次の日、エル兄様と共に王宮に向かう。
私は初めて国王陛下の執務室に通された。
今日ジークは戻ってくる予定だという。私はジークが帰ってくるのに間に合ったのだ。ここで一番におかえりなさいということができる。
暫く待ったがジークを含めた竜騎士隊は戻ってこなかった。
私やエル兄様は一旦国王陛下の執務室を辞去した。
タウンハウスに戻るようにお父様に言われたがどうしてもここで待ちたいというと王宮内の客室を手配してくれた。
その部屋で私はジークの帰りを待った。待って待って待った。
次の日の昼に差し掛かるだろう時間、三頭の竜が王宮に向かって飛んできていると報告が入り竜が着陸するであろう竜場に向かって私は走り出した。
隣の部屋のエル兄様も部屋から出て来て私と一緒に走った。お行儀が悪いなどと気遣っている余裕はなかった。
竜場には陛下や護衛の騎士たち、お父様やフィル兄様も既に来ていた。
舞い降りた竜は赤竜一頭と青竜二頭。
赤竜から降りて来た厳つい騎士様は陛下の元に行くと跪いた。
王国騎士団団長のフーベルトゥス・ブルックナー様だとエル兄様が教えてくれた。ジークと一緒にトシュタイン王国に行った騎士様だ。
フーベルトゥス様が陛下の前でがっくりと膝をつき謝罪をした。
「陛下……申し訳ありません……ジークハルト殿下が行方不明になりました……」