二年生(15)
五年生が竜の森に入った。
私は去年にも増して授業に身が入らなかった。
何度も何度も空を見上げる。
一日目の夕方、最初の竜が飛んできた。私たちはもちろん学院の南東にある竜場に走った。
最初に飛んできたのは緑竜だった。
みんな歓声を上げて竜を迎えた。
一日目に飛んできた竜は八頭、二日目には二十頭余りの竜が飛んできたがエル兄様もジークも戻ってこなかった。
私はじりじりする思いで空を見上げていた。
三日目の夕方、ついに待っていた人のうちの一人が帰って来た。赤竜が飛んできたのだ。
竜場に着陸しその背から降りてきたのはエル兄様だった。
物凄い歓声の中エル兄様は地上に降り立つと私に向かって手を振ってくれた。
「おい!ヴィヴィ!凄い!凄いぞ!さすがエルヴィン様だ!」
カールは私より興奮している。アリーもトーマスも滅茶苦茶喜んでいる。
エル兄様は赤竜の前足部分を撫でると私たちの方に歩いてきた。
「エルヴィン様!赤竜との契約おめでとうございます!」
「エルヴィン様!素晴らしいですわ!」
様々な声が掛けられそれに手を振って答えながらエル兄様は私のところまでやってくると私に囁いた。
「ヴィヴィ、話があるんだ。こっそり抜けて学院長室に来てくれ」
エル兄様は私に囁くと何事もなかったかのようににこやかに竜のところに戻っていった。
エル兄様の言葉に私は一瞬目の前が真っ暗になる。ふらっとした私を咄嗟にトーマスが支えてくれた。
「ヴィヴィ、どうしたんだ?エルヴィン様は何て?」
カールの言葉に私は無理矢理笑顔を作る。
「え?何でもないわ。エル兄様は流石ね。ホッとしたら気が抜けちゃっただけなの。ちょっと休んでくるわ」
三人は何かを察したかもしれないが何も言わなかった。ただ心配そうに私を見ている。
私はもう一度微笑んでその場を離れた。
校舎の中は閑散としていた。今はほとんどの生徒や教師が竜場にいる。
人気のない廊下を歩きながら私は考えていた。
エル兄様の話は十中八九ジークのことだ。それも学院長室で話さなければならないほど重要なことだ。
それが何なのか想像はつかなかったけれどあまりよくない話であることは察することができた。
私は血の気が引きそうな気分を必死に奮い立たせて学院長室まで足を動かしていた。
学院長室に着きノックをすると室内に招き入れられた。
室内には学院長となぜかアルブレヒト先生がいて難しい顔でソファーに座っていた。
その二人に向かい合う形で座っているのは二名の竜騎士だった。
「ああ、来たかヴィヴィアーネ嬢。君は本来なら呼ぶつもりでは無かったんだがな。エルヴィン君がどうしても同席させたいということで特別に許可をする。座りたまえ」
私は学院長に礼を述べ竜騎士に挨拶をして端の一人掛けソファーに座った。
暫く待っているとノックの音がしてエル兄様が入室してきた。
エル兄様は青ざめた私の顔を見ると安心させるように微笑んだ。
竜騎士と並んで腰を掛けると学院長に話を始めた。
「まずは学院長にご報告します。ジークハルト殿下は昨日竜との契約を無事済ませました。契約竜は黒竜です」
学院長やアルブレヒト先生の口から喜びの声が漏れた。
私もホッと安堵の息を吐く。ジークの契約竜は黒竜だった。つまり今の王家は竜神によって認められたのだ。ジークは間違いなく王家の人間であるという証明だ。
ジークには竜の色なんか関係ないと言ったけれどジークの契約竜が黒竜であることは嬉しかった。ジークは王太子として努力を重ねてきた人だから。
「俺、いや私も昨日竜との契約を済ませ王都にいる父のもとに報告に行きました。私と殿下は示し合わせたわけではありませんがほぼ同時期に竜と契約を終え、また気になる事があった為通常では挨拶を済ませるとすぐ学院に引き返すところですが一日王宮に留まることにしました」
ここまでエル兄様が話した時にアルブレヒト先生から待ったがかかった。
「ちょっと待ってくれ。殿下の契約竜が黒竜であったことは喜ばしい限りだがここから先の話はヴィヴィアーネ嬢がいない方が良いのではないか?それとも機密を要さない話なのかね?」
アルブレヒト先生から私を排除するような発言があったことはショックだった。アルブレヒト先生とは魔術の授業を介して良い関係を築いてきたと思っていたから。
固くなった私の表情を見てアルブレヒト先生は私に言った。
「ヴィヴィアーネ、誤解しないで欲しい。私は君のことを嫌っているわけではない。むしろ将来が楽しみな生徒だと思っているよ。ただ部外者には聞かせられない話ではないのかと聞いているだけだ。機密を知るということは危険も伴うことだからね」
エル兄様は頷いた後はっきりと言った。
「アルブレヒト先生、ヴィヴィは部外者ではありませんよ。むしろジーク……殿下に関しては話を聞く権利があります。昨日私と殿下が王宮にとどまった理由は二つ。一つは竜の森に何者かの侵入の痕跡があったということ」
ここまで話すと皆が息を呑んだ。思い出すのは今年の春、密猟者が竜の森に入っていて私たちが遭遇した事件だ。でもあの時の犯人は捕まっていてどこから侵入したのかも洗い出されたはずだ。
この時期に竜の森に侵入者があったということは春の事件とは比較にならないほど重要な意味を持つ。今が竜が繭を作る時期だからだ。つまり侵入者が他国の魔力持ちであった場合竜と契約ができるということである。今は他国の貴族でも魔力持ちは少ない。高位貴族や王族ぐらいしか魔力を持っていないだろう。他国の高位貴族や王族がこの時期竜の森に侵入するというのは極めて可能性が低い。可能性は低いがゼロではないのだ。
「ただこれに関してはまだはっきりしたわけではありません。私は竜の森で野営の跡を発見した。それが私たち生徒のものと違っていたというだけで侵入者を見たわけではないのです。ただ王宮に報告に上がった時殿下も野営の跡を発見していた。少なくとも二カ所は野営の跡があったんです。これは今後の調査ではっきりするのでまだ何とも言えません」
エル兄様は一旦言葉を切りお茶で喉を湿らせるともう一度口を開いた。
「それからもう一つの理由ですがジークハルト殿下と私の妹ヴィヴィアーネ・アウフミュラーとの婚約の下打ち合わせの為です」
エル兄様ははっきりと私とジークの婚約と口に出した。ということは王家とアウフミュラー侯爵家では話がまとまったということだ。
私がジークに返事をしたのが三日前だからかなり早い決定だ。
「ちょっと待ってくれ、それは決定なのか?私たちは何も聞いていないが」
アルブレヒト先生は少し焦った口調だった。
私はさっきから疑問に思っていた。この場で話をしているのはエル兄様とアルブレヒト先生だ。学院長は一言も口を挟まない。まるでアルブレヒト先生に遠慮しているように。
「まだ内々の決定です。殿下が黒竜と契約して王都に報告に行った時に陛下に申し出たばかりですから」
「殿下の意向だけでは決定とは言えないだろう。私は反対している」
え??意味が分からない私にアルブレヒト先生は説明した。
「ヴィヴィアーネ、黙っていてすまない。私はビュシュケンス侯爵家の当主だ。私はジークハルトの伯父だ。ジークハルトの伯父として彼にはどこからも反対が出ないような婚約を結んでもらいたいと思っているんだ」
「それは私が平民出身の養女だと噂されているからですか?」
私が震える声で聞くとアルブレヒト先生は頷いた。
「私が心配していることはもうすこし複雑だがそう取ってもらっても構わない」
「それは……そのことは私にはどうしようもありません。私はこれからの行動でジークに相応しいと認めてもらえるよう頑張るしかありません。私はジークと人生を共にすると決心したのです。反対されても……です」
アルブレヒト先生は私を痛ましいものでも見るような目で見つめた。
「ヴィヴィアーネの決心は素晴らしい事なのだろう……しかし王家の評判を落とすような決定は私は賛成できない」
「それは王家の求心力が落ちていたからでしょう」
エル兄様が割って入った。
「そうだ」
アルブレヒト先生が応えるとエル兄様は言った。
「だからジークはトシュタイン王国に行ったんだ」
え? 私はエル兄様が何を言ったのかわからなかった。
「今日ジークは竜騎士団第一隊と共にトシュタイン王国に向かいました」