二年生(7)——夏期休暇
その日の放課後、私たちが帰り支度をしていると教室のドアが突然開いた。
「ジークハルト殿下!」
ヘンデルス様の驚いたような声が聞こえた。
ジークは振り返った私の姿を見つけるとつかつかと歩み寄ってきた。
「噂を聞いた……ヴィヴィ、大丈夫か?」
「あの……私は大丈夫です。クラスのみんなが支えてくれたので」
ジークは私の手を握って言った。
「噂の真偽がどうであれ私が以前言ったことは変わらない。それを言いたくて来たんだ」
ジークが私の手を握るとアリーやリーネがポッと顔を赤らめ教室のドアや窓から覗いていたほかのクラスの女生徒からキャーという声が上がった。
「ジークは知っているの?噂が本当かどうか……」
「そのことについては今ここでいうことはできないが……」
ジークは私の耳元で囁いた後、クラスのみんな、そしてドアや窓に群がっている人たちを見回して言った。
「ヴィヴィアーネ・アウフミュラー嬢は私の大切な人だ。彼女に対する誹謗中傷を私は許さない!」
その時「おい!通してくれ!」という声が聞こえてエル兄様が教室の中に入ってきた。
「ジーク、先に行くなよ」
エル兄様の姿を見て私はビクッとなる。
でもエル兄様は何事もなかったように私のところに来るとポンと頭を叩いた。
「もう帰るだけなんだろう。たまにはこの優しいお兄様が寮まで送ってあげようか?」
「待てよエルヴィン、ヴィヴィを送るのは私だ」
ジークがさりげなく私の腰を引き寄せる。
また教室の外から悲鳴が聞こえた。
「何だよ、独占欲か?二人で送って行けばいいだろう」
私がアリーを見るとアリーが笑って言った。
「ヴィヴィは私たちと帰る予定でしたけど今日は殿下とエルヴィン様に譲って差し上げますわ」
「ありがとうアリー」
エル兄様がウインクする。
それにも教室の外から悲鳴?嬌声?が聞こえた。
そうして私たちは教室を後にしたが、歩き出す前にエル兄様は主に教室の外に群がっている人たちに向かって言った。
「ヴィヴィは俺の大切な妹だ。傷つける奴がいたらジークだけでなく俺も敵に回すと思っていてくれ」
帰り道、エル兄様は私に言った。
「ヴィヴィ、今回の噂は俺も初めて耳にした。俺はヴィヴィのことを大事な妹だと思っている。それは八歳の時父上にお前の妹だと紹介されたときから変わらない。本当の事なんて実は俺にはどうだっていいんだ。俺がヴィヴィを妹だと思ったんだからそれが俺の真実だ」
「ありがとうエル兄様。私夏期休暇で王都に帰ったらお父様に確かめてみるわ。弱虫な私は今まで怖くて聞けなかったの。でもエル兄様はずっと私のお兄様でいてくれるんでしょう?」
「当たり前だ」
とエル兄様は私の頭を撫でてくれたが、ジークが帰り道もずっと私の肩を抱いたままだったので「撫でにくくてしょうがない」とぼやいていた。
寮の部屋に戻るとマリアが青い顔をして私の帰りを待っていた。
「マリア、聞いてくれる?」
私はマリアに噂の事、クラスのみんなが支えてくれた事、ジークやエル兄様が庇ってくれた事、すべて話した。それから今まで怖くてお父様に聞けなかったこと、今回の噂で感じた事いろいろな話をした。
毎日ではないけれど迷った時や心が弱った時、私はマリアに話をする。マリアは全て受け止めてくれる。すべて包み込んでくれる。マリアに話すと私は落ち着いて心が決まったり前向きになれたりする。
今日も黙ってマリアは私の話を聞いてくれた。
私が話し終わってマリアが言ったことは一つだけ。
「ヴィヴィ様、私はいつでもヴィヴィ様の味方です。ヴィヴィ様がどこの誰であっても。いつでもヴィヴィ様が幸せになれるようお手伝いします」
何故だかわからないけれど私はマリアの言葉は全面的に信じることができる。お父様やお兄様たちは家族ではないかもしれないと不安になったのに家族でもないマリアだけは無条件で信じることができた。
マリアの言葉でまた一つ強くなれたような気がした。
翌日、ジークとエル兄様が二年の教室までやってきて私を守る宣言をしたことは瞬く間に学院中に広まり、騒然としたまま私たちは夏期休暇に突入した。
私は今年は王都のお屋敷に帰る。トーマスはお姉さまの結婚式があるので王都に帰るらしいがアリーは寮に残ると言っていた。しばらくの間お別れだ。
「ヴィヴィ、今こんな時に傍にいてあげられないのは心配だけど……」
「大丈夫よアリー。クラスのみんなが心の支えになっているもの。アリーはその中でも一番太い柱だわ」
「あら、私そんなに太くないわよ」
「「ふふっ」」 二人で笑った。
「それよりアリーは一人で寮に残るんでしょう?」
「あー……うん」
なんか歯切れの悪いアリー。私が黙って見つめていると口を開いた。
「今年はカールも寮に残るんですって」
「へ――ほーーふ――ん」
途端にニヤニヤしだした私を見てアリーが言った。
「偶々よ。偶々」
「ねえ、アリーとカールって——」
「仲のいい友達よ」
やけに友達を強調してアリーが答えた。
「わかった。カールと夏期休暇、楽しんでね」
馬車に乗って一週間、私とエル兄様は王都のお屋敷に帰って来た。
着いたのが夕刻だったのでお父様とフィル兄様はお城から帰ってきているらしかった。
「お帰り。疲れただろう」
出迎えてくれたのはお父様だ。いつものようにハグをして私はお父様に言った。
「お父様、お話があるのですが」
決心が鈍らないように私は一気に言ったがお父様はいつものように穏やかに言った。
「今日は疲れただろう。夕食を取ってゆっくり休みなさい。明日は午後から王宮に行けばいいんだ。朝食後に話を聞こう」
「兄上は?」
エル兄様が聞くとお父様は苦笑して「部屋にいるよ。様子を見てきてくれないか」と私を見て言った。
フィル兄様の部屋の前に行きノックした。
答えはない。
もう一度ノックした。
答えはない。
「フィル兄様?」
私はそっとドアを開けた。
室内は暗かった。廊下から漏れる明かりでぼんやりと見えるだけだ。
寝ているのかな?とドアを閉めようとした時ベッドの上の塊が見えた。
「フィル……兄様」
私はゆっくりその塊に近づいた。
フィル兄様はベッドの上で膝を抱えて丸くなっていた。
「フィル兄様、どうしたんですか?」
「ヴィヴィ……ごめん」
弱々しく言うとフィル兄様は膝の上に顔を伏せた。
「フィル兄様お腹痛いの?気分が悪かったら——」
「違う。僕はヴィヴィに顔向けができないんだ……」
「それはどういう——」
「僕の不用意な発言のせいでヴィヴィが社交界で噂の的になってしまっているんだ」
フィル兄様はガバッとベッドから降りて膝をつくと頭を下げた。
「ごめん!ヴィヴィ」
フィル兄様の態度で私が明日お父様に聞くことの答えの半分は出ているような気がした。
「フィル兄様、フィル兄様は私が嫌いですか?」
「そんな事あるわけないだろう!!ヴィヴィのことは大好きだ!この国で一番、いや大陸で一番愛してる」
「もう私のことは妹と思えない?」
「ヴィヴィは僕の最愛の妹だ!」
「私はまだフィル兄様の家族ですか?」
「あたりまえだ!違うなんて言うやつがいたらウルバンの餌食にしてやる!」
フィル兄様……竜は人は食べません……
「フィル兄様、ありがとうございます。おかげで自信が持てました。明日お父様と話をするので同席していただけますか?」
私がにっこり笑って言うとフィル兄様は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて私を抱きしめた。
「ヴィヴィ、おかえり。会いたかったよ」
「私もですフィル兄様」
そうしてフィル兄様の顔をタオルで拭いてあげた。