二年生(5)
サロンでジークに「君と結婚したい」と言われて私はプチパニックに陥っていた。
「ヴィヴィ、落ち着いて。紅茶呑んで」
ジークに言われて紅茶を飲む。こっくん。
「ヴィヴィ、何も今すぐ結婚するわけではないんだよ。ただ、僕はこの先の生涯を共に過ごすのはヴィヴィがいいなって思ったんだ」
それならわかる。ジークとこの先ずっと一緒にいる……うん。嫌じゃない。むしろ一緒にいたい。
「私もジークと一緒にいたいわ」
「そうか!ありがとう」
「でもエル兄様やフィル兄様とも一緒に居たいしアリーたちとも一緒に居たい」
「そうか……」
ジークはちょっと落ち込んだようだが気を取り直したように言った。
「エルヴィンやフィリップもいずれ結婚するだろう。彼らの結婚相手についてヴィヴィはどう思う?」
「もちろん仲良くなりたいわ!お姉さまができるなんてワクワクしちゃう」
「じゃあ僕は?」
うーん……ジークはお兄様じゃないし結婚したら疎遠になっちゃうのかしら……
プレデビューの時ジークが王太子殿下だって知って遠い人になっちゃったような気がして寂しかったのを思い出した。
学院に入ってからはむしろ前より親しくなったような気がするけど、やっぱり遠い人になっちゃうのかな……なんだかそれはとっても嫌だった。
ジークに奥さんが出来て……その人は私よりジークに近い人で……もうジークに抱き着いたりできなくて……
なんだかじわっと涙が出てきたような気がする。
「私……嫌……なのかな。ジークが誰かと結婚することを想像したら悲しくなってきたの……」
私は泣きそうだったけどジークはとても嬉しそうだった。
「そうか!ヴィヴィは嫌だと思ってくれたんだね。僕も嫌だ。ヴィヴィがほかの男と結婚するのは」
「ジークも?」
「そうだよ。僕はヴィヴィが好きだ。愛してる」
あまりにストレートな言葉に私は真っ赤になった。
「あ、あ、あの……私ジークが誰かと結婚するのは嫌だなって思ったけど、ジークをあ、愛してるとかよくわからなくって……」
「うん、それもわかってる。もう少し時間をかけたかったけど父上に学院を卒業するまでに決めろと言われてしまったんだ。卒業パーティーが近づいたらパートナーを申し込むよ。その時までに返事を聞かせて欲しい」
期限は卒業パーティーまで……
しっかり考えなくちゃ。
「あ、と言ってもそれまで何にもしないわけじゃないから」
「?」
私が首をかしげるとジークはにっこり笑って私の手を取りキ、キスをした。
「もう告白しちゃったし、目いっぱいアプローチするから覚悟しておいて」
私は真っ赤になりながら呟いた。
「お手柔らかにお願いします……」
ジークとの関係はその後大きく変わったわけではない。
ただ何となくスキンシップは増えたような気がする。
例えば魔術の授業の後に「今日は頑張ったね」と頭を撫でてくれたり「ランチを一緒に取ろう」と言って私たちの席にエル兄様と混ざった時に何気なく頬に触れたり、階段で手を引いてくれたり。
私はそのたびに赤面してしまうのだけれど嫌ではなかった。
しかしある噂が突如学院内に広まり瞬く間に皆の間にはびこっていった
その噂を私が知ったのは夏期休暇の三日前だった。
昼食後食堂からの帰り道、またも二組の廊下でジモーネ様たちが声高に話をしていた。
それを見た途端、カールやアリーの顔が強張った。
「ヴィヴィ、食堂に戻ろう」
「え?でももうすぐ授業が始まるわよ」
「少しくらい遅れても構わないわ。行きましょう」
カールに続いてアリーも私をこの場所から遠ざけようとしている。トーマスはさりげなく私がジモーネ様たちの視線に晒されない位置に立った。
なので私はジモーネ様たちが何か私のよからぬ噂を喋っているのだと知った。
「みんなありがとう。ジモーネ様たちが何を言っていても私は大丈夫よ」
みんなに感謝しつつ教室に向かって歩き出したのだが……
「皆さま聞きました?あの卑しい庶子は庶子ですらなかったそうですわ」
「まあ!庶子ですらないとはどういうことですの?」
彼女たちのずるいところは決して固有名詞を出さないところだ。「ヴィヴィアーネが」などと言ってしまえば養子とは言え侯爵家令嬢の私に対して失礼に当たる。ジモーネ様は同じ侯爵令嬢だけどほかの人達は違う。だからいつも彼女たちは「あの庶子が」とか「愛人の娘」とか言う。話の流れで私を指していることが皆にわかっていたとしても。
「平民の娘だそうよ。魔力の高さを買われて養女になったのですって」
「侯爵家の血は一滴も流れていないんですの?」
「それどころか貴族の血も一滴も流れていないそうよ」
「ふふふ。やっぱり。だから同じ平民の男と仲がいいのですね」
「あら、わたくしも不思議でしたのよ。彼女、爵位無しや平民と仲がいいのですもの」
「下賤な血が呼び合うとか?」
もう聞くに堪えなかった。私どころかみんなまで馬鹿にされ何か言ってやろうとジモーネ様たちのところに向かおうとした時、一組から人が出てきた。
「ヴィヴィ!次の授業の予習をしていたのですけどわからないところがあるの。教えてくださる?」
リーネが話しかけてきた。
「ヴィヴィもみんなも教室に入れよ。またクラスの親睦会をしないかと話をしていたんだ」
今度はヘンデルス様だ。
「二組は一部の人間が威張っているようだけど、一組は本当にみんなの仲がいいからな。二組の奴でも羨ましいって言っている奴がいるんだ」
エーリク様まで顔を出した。
「爵位とか血とかくだらないよなあ。自分に人望がないからそういうものをひけらかしたくなるんじゃないか?」
ヨアヒム様の皮肉はなかなか痛烈だった。
「ふふっ。ヴィヴィはヴィヴィよ。気にすることは無いわ」
アリーが言った。
クラスに入るとみんながニコニコしていた。
私このクラスで良かった。みんなと仲良くなれて良かった。
休み時間にグレーテ様が私とアリ―、リーネが話しているところに近寄って来た。
グレーテ様とも竜の森の事件以来関係は良好になった。
ただ、グレーテ様はお父様がジモーネ様の家、ハンクシュタイン侯爵家の領地で家令をしているらしくジモーネ様には逆らえないという事情も分かった。
「グレーテ様、今回の噂はジモーネ様たちが広めていらっしゃるの?」
リーネが聞くとグレーテ様は困ったように眉を寄せた。
「あ、無理して答えなくていいのよ。それにもし聞いても私たちグレーテ様に聞いたなんて言わないわ」
アリーが言うとグレーテ様は「違うんです」と首を振った。
「ジモーネ様たちが噂を聞いて喜んで広めてらっしゃるのは事実なんですけど、出所はジモーネ様たちではありませんわ。四年生の方らしいです。お家からの手紙に書いてあったとか」
そうしてグレーテ様は噂について知る限りのことを教えてくれた。
今までもジモーネ様たちにはいろいろ言われて腹が立ったこともあったけど、今回の噂は物凄く堪えた。
それは密かに恐れていたことだったから。
私の記憶は五歳から始まる。その一番古い記憶からお父様はお父様だった。そしてエル兄様はお兄様だった。
お屋敷にある『お母様』の肖像画に私は全く似ていなかった。お父様にも、お兄様にも。
それでも私はお父様と血がつながっていると、お兄様たちと半分でも血がつながっていると信じたかった。
侯爵家の血筋云々ではない。ただ本当の家族でいたかった。
もしかしたら失った五歳前の記憶に私の本当のお母様がいるのかもしれない。でも記憶は失ったままで、私はお父様しか知らない。
去年の夏、フィル兄様に十一年前の事件の話を聞いて抱いた疑問。
フィル兄様の話でお父様は『お母様』を深く愛していたと感じた。では私は?私を産んだお母さまをお父様は愛したの?お母様の記憶はないけれどお父様が『お母様』アウフミュラー侯爵夫人以外の人を愛するとは思えなかった。
でも私はその疑問に蓋をした。
一人ぼっちになってしまうのが怖かったから。
私を娘として、妹として可愛がってくれる愛する家族が他人になってしまうのが怖かったから。