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一年生(19)——夏期休暇

十一年前の事件——ジークの過去。

暗い話が続きます。


 真夜中、私はこっそり部屋を出た。


 別に危ないことをする訳じゃない。喉が渇いたので厨房に行けば何かあるだろうと思ったのだ。

 ついでに小腹も空いた。落ち込んでいてもお腹は空くのである。


 宵の口の騒動で気が高ぶっているだけでなく私は夕方まで寝ていたのだ。眠気は全然襲ってこなかった。


 お屋敷の中なら自由に動き回ってもいいとハーゲンから言われている。

 庭や敷地内の外に出るときは騎士を伴うようにとのことだった。


 マリアには声をかけなかった。昨夜は私が誘拐されていてろくに寝ていないだろう。今日の騒動でも疲れたはずだ。起こしたくはなかった。


 ぽてぽてと廊下を歩いていくとサロンからランプの明かりが漏れていた。扉が少し開いていたのである。

 お屋敷は深夜でも廊下はランプの明かりが灯っている。しかし部屋の明かりは消されているはずだ。


 誰がいるんだろうと私は扉の隙間から中を窺った。


 誰もいない。


 私はそっと室内に足を踏み入れた。


 サロンの外、テラスにジーク兄様の姿があった。

 サロンはお屋敷の二階にあり、掃き出し窓からテラスに出ることができる。

 ジーク兄様はテラスで手摺にもたれかかり星を見上げていた。


「ジーク兄様」


 私が呼びかけるとジーク兄様が振り向いた。

 私はその時初めてジーク兄様が涙を流していたことに気が付いた。


「ごめんなさい。お邪魔だったね……」


 私が引き返そうとするとジーク兄様が引き止めた。


「いや、邪魔じゃないよ。ヴィヴィも眠れなかったの?」


 涙を手の甲で拭いジーク兄様は何でもなかったように話しかけた。


「私は夕方まで寝ていたから……」


「ははっそうだったな。じゃあ少し付き合ってくれないか」


 私はテラスに出てジーク兄様の隣に立った。

 夏の夜風が心地いい。星が驚くほどきれいだった。


 二人で星を眺めていたがジーク兄様がぽつりぽつりと話し始めた。


「今日、トシュタイン王国の名前を聞いて……昔の事件を思い出してしまったんだ……もう乗り越えたと思っていたのに……」


 私は黙ってジーク兄様を見つめていた。


「僕は置いていかれてしまったんだ……」


「誰に?」と聞きたかったけど私は黙って見つめていた。

 ジーク兄様が()ではなく()と言うのも初めて聞いた。


「その時僕は四歳だった。前の日の夜に弟が生まれたことを知らされて浮かれていた。母上と弟に会いに行きたいとせがんだんだ。……明日会いに行きましょうと侍女の一人に言われた。わたくしが贈り物を用意しますわと」


「ジーク兄様、辛かったら……」


「いや、聞いてくれ。僕はきっと誰かに聞いてもらいたかったんだ」


 ジーク兄様は涙を流しながら話を続ける。


「ほかのメイドや侍従はまだ早いのでは?と止めたそうだがその侍女は地位が高かった。侯爵家の令嬢だったんだ。それで皆も押し切られた。僕は勿論大喜びだった……」


「母上の部屋に行くと母上は微笑んで僕を迎えてくれた。母上の姉のクラウディア伯母さまが僕の頭を撫でて『また来るわね』と出て行った。……僕は侍女から『プレゼントですよ。殿下の手から差し上げてください』と言われ箱を受け取ったんだ」


 ジーク兄様は言葉を切り下を向いた。本当に辛そうだった。


「母上に手渡そうとした時、箱が爆発した」


 ———私は息を呑んだ。


 暫く黙っていたジーク兄様はポツリと言った。


「母上も傍のベビーベッドで寝ていた弟も……メイドも侍従も近衛も……その部屋にいた者は誰も助からなかったよ……僕は立っていた。無傷で。加護が働いたんだ」


「ははっ笑えるだろ。一番爆弾の近くにいた僕だけ無傷だったんだ。僕だけ置いていかれてしまった……」



 深く深く傷ついているジーク兄様に何を言えるだろう……だからジーク兄様はあんなにも危うくて優しくて……


 私はジーク兄様の手をそっと包んだ。今は夏なのにジーク兄様が凍えているような気がした。


「ジーク兄様……お母様は優しい方でした?」


「母上はいつも微笑んでいた。僕を抱きしめてくれた」


 私はジーク兄様を抱きしめた。私の小さな身体では包み込むことはできないけれど精一杯優しく。


「だったらお母様はジーク兄様だけでも生きていて喜んだと思います。ジーク兄様は置いていかれたんではなくて託されたんだと思います」


「託された?」


「お母様の分も弟さんの分も幸せになってねって」


「幸せに……」


「そうです。ジーク兄様はこれからジーク兄様の分だけじゃなくてお母様の分も弟さんの分も幸せにならなきゃいけないんです。託されたんですから」


「ヴィヴィ……」


 ジーク兄様は私を抱きしめ返した。私の肩に顔を埋め小さく「ありがとう」と呟いた。


 私は大したことができるわけじゃない。ジーク兄様はこの痛ましい過去を乗り越えようとこれまでも努力してきたんだと思う。だけどほんの少しでもジーク兄様に私の言葉が届いてジーク兄様を支えられる存在になれればいいなと私は思った。







 私たちはその後お互いの部屋に戻った。ジーク兄様が部屋の前まで送ってくれたんだけど、部屋に入る前にジーク兄様が言った。


「遅くなっちゃったけどおやすみヴィヴィ。……あ、僕は兄様は卒業だな」


「え?兄様じゃなくなっちゃうの?」


「だってヴィヴィには情けないところも見せちゃったし」


 全然情けなくなんかない!ジーク兄様が遠くに行ってしまうような気がした。

 でもそれは思い違いで……


「これからはジークって呼んでくれる?」


「ジーク?様?」


「様はいらない。エルヴィンもそう呼んでるだろ。これからも情けないところ見せちゃうかもしれないけど」


「ううん、ジーク兄様……じゃなかったジークが情けないなんて思ったこと一度もないわ」


「ふふっ良かった。じゃあまた明日ね」


「うん。おやすみなさい、ジーク兄様じゃなかったジーク」



 私はその後いろいろ考えてしまって眠ったのは明け方頃だった。










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