ヴィヴィ五歳(4)
鑑定士立会いのもとヴィヴィの魔力封印が行われた。
ヴィヴィは昏睡したままで意識のないまま封印は行われた。
マリアは立ち会うことができなかった。アウフミュラー侯爵とヴィヴィの養子縁組は既に成立しており侯爵令嬢のヴィヴィと平民のマリアでは身分が違うのだった。
それでもルードルフの恩情でヴィヴィが目を覚ますまでヴィヴィの傍で付き添うことが許された。
お金を受け取ってもともと勤めるはずだった子爵家に行ってはどうかと勧められたが、マリアはルードルフにどうかこの屋敷で働かせてほしいと頼み込んだ。立場の変わった我が子を見ることは辛いだろうし子供の方も母親を慕っていくだろうから子供の目に触れる場所に行くことは許されない。
それでも、物陰から見るだけでもいいのでヴィヴィの近くにいさせて欲しいと頼みこみ、マリアは侯爵邸に雇われることになりヴィヴィが目を覚ますときまでは近くにいることを許されたのだった。
勤めるはずだった子爵家にはお詫びの手紙を書き、アルバおばさんにもお詫びと夫のオリバーが帰ってきたらアウフミュラー侯爵家で働いていることを伝えてほしいと手紙を書いた。
そしてヴィヴィが意識を失って三日、目が覚めたヴィヴィは記憶を失っていた。
ふかふかのお布団、あったかいお部屋……目を覚ましたヴィヴィの前に二人のおじさんの顔があった。
「だあれ?」
「君は自分の名前を言えるかい?」
ヴィヴィの問いを無視して一人のおじさんが言った。もう一人のおじさんはヴィヴィの手を取ったりおでこに触ったり目をのぞき込んだりしている。
ヴィヴィは少し考えて言った。
「わかんない」
部屋の隅から息を呑む音が聞こえた。そちらを見ると眼鏡をかけた優しそうな女の人の姿があった。
(あ、このひとはさっきいた人かな?)ヴィヴィは一度目が覚めた後もう一度寝てしまったのだが、先ほど目が覚めた時のことはぼんやりとしか覚えていなかった。
今ヴィヴィの体を調べているおじさんにさっきも色々聞かれた気がする。
ぼんやりとしか覚えていないが部屋の隅の優しそうな女の人のことはとても気になった。
「私は君のお父様だ」
目の前のおじさんが言った。
「おとうさん?」
「お父様だ。君の名はヴィヴィアーネ・アウフミュラー。このアウフミュラー侯爵家の令嬢だ」
「こうしゃく?れいじょう?」
「ああそうだ。事情があって君は別の場所で暮らしていたんだがこれからはこの家で暮らすんだ。私のことはお父様と呼びなさい。一刻も早く礼儀作法を身に付けて侯爵家の令嬢として恥ずかしくないように頑張りなさい」
ヴィヴィにはおじさんが何を言っているのか難しくて理解できなかったがおじさんがお父様だということとこの家で暮らすということは理解できた。
ヴィヴィが目を覚まして一週間ほど。ヴィヴィはここでの暮らしに順応していった。
ヴィヴィの部屋付きメイドはお姉さんみたいな明るいアメリーとおっとりしたおばさんのエリゼでヴィヴィにいろいろな事を教えてくれた。
ヴィヴィの部屋がノックされた。アメリーがドアを開けると執事のオットーが立っていて旦那様がお呼びですと告げた。
ヴィヴィはオットーの後をエリゼとついていきある部屋に入ると部屋の中にお父様と男の子が一人いた。
男の子と言ってもヴィヴィよりだいぶ大きい。赤みがかったクルクルの茶色の髪とよく動くヘーゼルの大きな瞳の活発そうな男の子だった。
お父様はヴィヴィを手招くと男の子の方を向いていった。
「来たかヴィヴィアーネ、君の家族を紹介しよう。君の兄のエルヴィン・アウフミュラーだ」
「エルヴィン、君の妹のヴィヴィアーネだ。仲良くしてやってくれ」
ルードルフは最初は息子と会わせるのをもう少し後にしようと考えていた。だが、エリゼの報告で考えを変えた。
エリゼの報告ではヴィヴィは凄い勢いでいろいろな事を吸収しているそうだ。そして言葉使いこそ平民の子供のものだが立ち姿や歩き方、所作の基本的なところに品があるらしい。
それに驚くことに五歳にして読み書きや簡単な計算ができたらしい。
「旦那様、ヴィヴィアーネお嬢様はもう家庭教師をつけても良いと思います」
このエリゼの言葉を受けて家庭教師をつける前に正式に次男のエルヴィンと会わせようと思ったのだった。長男のフィリップはヴァルム魔術学院に在学中で寮生活なので引き合わせるのはもう少し後になるだろう。
エリゼの報告を聞いた後、ルードルフは現在は屋敷の下働きをしているマリアを呼び出した。
聞くとマリアも読み書き計算など一通りのことはできるらしくその知識量は平民のものではなかった。思えば最初に応接室で話を聞いたときにもマリアの所作は綺麗だった。貴族の女性としか付き合いがないので気が付かなかったがマリアはオドオドしていても貴族の女性と遜色ない綺麗な所作だったのだ。
マリアに聞くと読み書きや様々な知識は夫に教わったらしく、立ち居振る舞いも夫に指導されたらしい。決して厳しく言うわけではないが彼女の夫は辛抱強く彼女や娘に指導したらしい。
マリアの夫も同じ孤児院出身だがマリアの夫は彼女より八歳年上で先に孤児院を出た後、彼がマリアを迎えに来るまでの八年間に独学でいろいろな事を学んだと言っていたらしい。
ルードルフは(マリアの夫は本当は貴族なのだろう)と考えていた。何らかの事情で孤児院で育ち孤児院を出た後貴族としての教育を受けたのだろう。貴族であればヴィヴィの魔力の多さも納得がいく。
しかしそれでもまだ疑問は残る。彼女の夫はどうして平民として暮らしていたのか。どんな理由でいきなり失踪したのか。ヴィヴィの魔力が今まで発覚しなかったのはどうしてなのか。そして彼女の夫に該当するような貴族を侯爵は知らない。
ルードルフとてすべての貴族を知っているわけではないがルードルフは現在は王太子の教育係だが嘗て宰相を務めており数年後に復帰することも決まっている。
ヴィヴィのように魔力量が多い貴族でマリアの夫に該当するような年齢の人物が思い浮かばなかった。
「父上!この子が僕の妹というのは本当ですか?」
エルヴィンの声にルードルフは物思いから覚めた。
「ああそうだ」
「妹ということは……」
エルヴィンの声にばつの悪い思いをする。貴族が養子縁組をするのは二つの場合がある。下位貴族は魔力量の確保のために養子縁組をすることが多いが、高位貴族は庶子を引き取るときに養子縁組をすることが多い。養子縁組の事情を話すつもりは毛頭ないが息子に愛人との子供がいると誤解されるのはいささかばつが悪かった。
「僕の子分ということですね!」
エルヴィンは弾んだ声で言った。
「エルヴィン、子分ではない。妹とはお前が守る存在だ」
八歳の子には愛人とか庶子とかわからないか。とホッとしながらルードルフは言った。
「はい!僕は子分を守ります!」
エルヴィンはヴィヴィのもとへ行き頭を撫でた。
「ヴィヴィアーネ、ヴィヴィでいいよね。僕はエルヴィン。エル兄様って呼ぶんだよ」
「エルにいさま?」
「うん。エル兄様はヴィヴィのことを守るからヴィヴィは僕を頼ってね」
「いっしょにあそんでくれる?」
「もちろんだ!ヴィヴィは僕の妹なんだから」
ヴィヴィの顔がパッと明るくなりニコニコとエルヴィンの手を引いた。
「エルにいさま、おにわであそびましょう」
「いいよ!父上遊んできていいですか?」
そうして仲良く部屋を出ていく二人を見てルードルフは安堵したのだった。