一年生(18)——夏期休暇
残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。
私たちは急ぎ地下牢に向かった。
地下牢のある、お屋敷の西側の周辺は喧騒に包まれていた。
慌ただしく騎士たちが地下牢に向かう階段を行き来している。
私たちはその隙間を縫って地下に下りる階段を降りかけたが、先に下りたハーゲンから制止の声が響いた。
「来てはいけません!引き返してください!」
なんとなくわかった。地下に下りる階段に足を踏み入れた途端、濃い血の臭いがしていたから。
私は大人しく引き返すことにしたがエル兄様は違った。
「ハーゲン、俺はアウフミュラー家の人間として現状を見るべきだと思う」
「わかりました。覚悟をして来てください」
ハーゲンの言い方から現場が凄惨であろうことは予測できた。
「ジーク、お前はどうする?」
エル兄様は心配そうにジーク兄様に聞いた。
ジーク兄様は真っ青な顔をしながらも「行く」と言った。
私は密かに心配だった。ジーク兄様はずっと青い顔をしていたのだ。
そう、サロンで私がトシュタイン王国の名前を出してからずっと……
私は思わずジーク兄様の袖を引いたが、ジーク兄様は「大丈夫だよ」と微笑んで階段を降りて行った。
私は騎士に付き添われて元のサロンに引き返し待機することになった。
暫くして青い顔をしたエル兄様とジーク兄様が戻ってきた。もちろん騎士が護衛についている。
その時にはサロンにカール、アリー、トーマスも駆けつけていた。部屋の外には騎士が護衛に立ってくれている。不安に駆られながらも四人でいることに安堵を覚えた私は何とか冷静に待っていることができたのだった。
ハーゲンとマインラートは事態の収拾に奔走していた。エル兄様とジーク兄様は立ち会いはしたものの未だ学生の身分では決定権はない。
この事態はお父様に急ぎ報告され指示を仰ぐことになるだろう。
この事実はずっと後になって判明したこと、大まかには重体であった騎士の容体が回復し話せるようになった後、詳細についてはもっと後で判明したことであるが——
密猟団の頭、名をジャンという。
彼は元々はトシュタイン王国で曲芸師をしていた。曲芸団を作り王国各地を回りながら強盗、窃盗、恐喝何でもやった。
やがて第三王子ガスパレの目に留まる。ジャンは捕えられることなくガスパレの子飼いとなった。
今度はガスパレの手先として何でもやった。捕らえられる心配なく悪事を働けるのは気持ちよかった。
ジャン一味は十人。倉庫に踏み込まれたときに切り殺された一人を除いて残りの九人は傷を最低限度治療され三人づつ三つの牢に入れられた。
ジャンはさりげなく一味の中で一番大人しいマルコと一緒の牢に入るように誘導した。
牢に入れられる前には入念に身体検査され武器の類は全て取り上げられたが
このマルコはある特技を持っている。
自在にいろいろなものを飲み込んだり吐き出したりできるのだ。
トシュタイン王国を回っていた時は剣を飲み込んで見せたりする芸を披露していた。
牢の中でジャンはマルコに飲み込ませていたナイフを吐き出させた。
地下牢は薄暗くろうそくの明かりだけでは隅で何かをしていてもわからない。
吐き出させると鞘を抜き、いきなりマルコを刺した。近寄ってきたもう一人の子分も刺す。
牢内にうめき声が響いた。
「うぐっ!」
「ううう……お……頭……なんで……」
「おい!見張り!大変だ!急病人だ!」
ジャンは大声で喚く。
騎士の一人が牢に近づく。急病人なら上に戻って報告して指示を仰がなくてはいけない。
ジャンの声に合わせてほかの牢からも声が聞こえた。
「おい!俺も腹がいてえ。こっちも見てくれ!」
厳つい大男がもう一人の騎士に声をかける。この男はベニート。竜を弓で射た男でありジャンの長年の相棒だ。
「少し待て!順番だ」
「いてえ!いてえ!我慢できねえ!」
尚も喚く男を黙らせようともう一人の騎士が近づいた。
ジャンに近づいた騎士は牢の中を見ようと鍵束を取り出した。
途端にジャンは格子の隙間から手を伸ばし騎士の襟をつかんで引き寄せた。騎士の身体が格子にぶち当たる。
同じようにベニートももう一人の騎士を引き寄せた。
「おい!何を——」
皆まで言わせずジャンは騎士の腹にナイフを突き立てた。
「ぐっ!うう……」
崩れ落ちる騎士から鍵束を奪う。
「どうした!?おい!放せ!」
もう一人の騎士が藻掻くがベニートは剛腕だ。騎士は剣を抜きたいが剣は騎士の身体と格子に挟まれ上手く抜くことができない。
ジャンは素早く牢の鍵を外し外に出ると倒れた騎士から剣を奪う。
そしてベニートに抑えられているもう一人の騎士を刺した。
騎士が崩れ落ちるとベニートの牢の鍵を開ける。
ベニートがもう一つの剣を奪った。
子分どもは大はしゃぎだ。
もう一つの牢も開けてくれとせがむ。
ジャンはもう一つの牢も鍵を開け———
ベニートと二人で子分たちを殺して回った。
ベニートと二人なら逃げおおせる自信がある。何度も修羅場をかいくぐってきた相棒だ。
他の子分たちは足手まといになるうえに口を割る危険があった。
全ての子分を処分したジャンとベニートは地下牢の階段を上り扉の中から声をかけた。
「おい!腹が痛いんだ。見張りを交代してくれないか」
「何だって?よく聞こえん」
扉を開け中を覗き込んだ騎士の腕を取り引っ張り込む。刺すと同時に階段下に蹴り落した。
もう一人の騎士が異変に気付き抜剣する。
ベニートと二人で外に躍り出た。
相手は騎士だ。まともにやりあっては勝ち目がない。
ベニートと目配せし二人一緒に剣を投げつけ同時に窓をぶち破って逃げ出した。
暗がりを走り途中で不幸にも二人に出会ってしまった庭師を脅し彼の妻を人質に取って庭師の家に隠れると夜も更け屋敷の騒ぎが一段落した頃に逃げたのである。
途中騎士たちが聞き込みに回ってきたときには妻を人質に取り庭師に「何も異変はない。気が付かなかった」と返答させ、その後庭師と妻をぐるぐる巻きに縛って口も塞いだうえで出て行ったのだった。
剣を投げつけられた騎士は二人を追おうとしたが外はもう暗い。
一人で追いかけるよりはと大声で「囚人が逃げ出したぞ――!」と叫びながら報告に走った。
駆け付けた騎士に逃げた大まかの方向を告げるとハーゲンのもとへ走った。
騎士たちは急ぎ屋敷の外を探索するとともにエルヴィンやジーク、ヴィヴィアーネ、その友人たちの安全確保に走った。
屋敷内の特にメイドや非力な者は数人で固まっているようにと指示を出し屋敷の敷地内ではあるが家を構えている者たちに注意喚起と聞き込みに回った。
地下牢はひどい有様だった。
幸いなことに刺された騎士たちはわずかだが息があった。
ジャンとベニートは逃げることを優先したためとどめを刺すことまではしなかった。
子分たちの方は……口を割らないようにと急所を刺されていたが何とか二人、一命を取り留めた。
息があった騎士と子分は急ぎ運ばれ医師が呼ばれて懸命の治療が続けられた。
夜も更けたころ、私たちはサロンから自室に引き上げた。
屋敷の安全が確認できたとハーゲンから知らされたからだ。
地下牢は凄惨だったらしくエル兄様もジーク兄様も一言も私たちに教えなかった。
ただ、騎士に死者はいないということだけ教えてもらった。
私はホッと息をついたが騎士以外には死者がいるということ、そして三人の騎士が重体だということが私たちに重くのしかかっていた。
私の無謀な思い付きがこの事態を引き起こしてしまったことに私は項垂れた。
ハーゲンはそんな私を見て言った。
「今回の事は騎士団の失態です」
「でも私のせいで……」
「いいえ、ヴィヴィ様のせいではありません。ヴィヴィ様が誘拐されるされない関係なく騎士団の調査で密猟者が捕えられれば地下牢に入れていた。そうなれば今回の騒ぎは起こった。むしろもっと警戒して監視するべきだったのです。全面的に私の落ち度です」
難しい顔でハーゲンは部屋を出て行き、私たちも重い足を引きずって部屋に戻った。
私も皆も青い顔をしていたが特に思いつめた表情のジーク兄様が気にかかった。