ルードルフの調査(1)
王宮の宰相執務室にノックの音が響いた。
「どうぞ」
ルードルフは書類にサインをしながら返事をしたが入ってきた人物をチラッと見てほかの文官たちにしばらく出ていくように言った。
宰相という仕事柄秘密を要することも多々あるので文官たちは慣れたもので皆自分の仕事を抱えると別室に移動した。
「少しそっちで待っていてくれ」
応接セットのあるスペースを指し示すと急ぎの書類を片付けてソファーに向かった。
「ご苦労。進捗状況を教えてくれ」
男の名前はブルーノ・イェレミース。ルードルフが様々な調査を頼んでいる人間だ。平民だが非常に有能な人材である。
今はヴィヴィの本当の両親、マリアとその夫についての調査を依頼していた。
「まずは確認から。マリアさんは現在二十九歳。レーベンの孤児院で0歳から育ち、十五歳で孤児院を出た。
その時迎えに来たオリバーと結婚。トランタの町に移り住む。夫婦仲は円満。十七歳で女児を出産。二十二歳の時に夫が失踪。その一年後に王都に出てきて以後はアウフミュラー侯爵家でメイドをしている」
ブルーノは目の前の紅茶を一口飲むと続けた。侍従が退出する前に入れて行ったものなので大分冷めてはいたが。
「トランタではマリアさんは代筆業のような仕事をしていたようです。地方の平民は文字は何とか読めても書けない人も多いですから。王都に来た理由は町の有力者の男に付きまとわれて困っていたから。近所の知り合いの伝手で王都の子爵家のメイドになる予定だったそうです」
「ああ。その辺の事情は聞いている。文字や様々な知識は彼女の夫が教えたそうだな」
「はい。彼女の夫オリバーは孤児院に来た時から読み書きだけでなくかなり知識量があったようですね。本人は隠そうとしていたようで孤児院の職員も深くは追及しなかったそうです。最初は貴族の子供かと思ったそうですが魔力はなかったので裕福な平民の子供が何らかの事件に巻き込まれたのだろうと調べたそうですが該当するような事件は見当たらなかったみたいです」
「そうか」
やはりマリアの夫は只者ではない気がする。引き続き調査が必要だろう、とルードルフは思った。
「次にトランタの町に移り住んでからですが、オリバーは町の役場に勤めていました。孤児院育ちとしては異例ですがふとした折に知り合った領主に気に入られ役場の職を得られたようです」
「トランタは……フェルザー伯領だったか」
「オリバーが失踪したのは八年前の六月。もちろん失踪後は役場にも顔を出しておりませんし、失踪前はそれを匂わせる言動もなかったということです」
「突然の失踪というわけか。しかしマリアには必ず戻ると言って家を出たそうだ。なにかが無ければそんな言い方はしないだろう」
「八年前の六月、フェルザー伯爵領。思い当たることは無いですか?」
ブルーノの問いかけにルードルフは目を見張った。
「トシュタイン王国の襲撃か!」
「はい。トシュタイン王国がメリコン川を渡った地点はトランタの町から数キロ離れた場所だったそうですがトランタの町にも避難命令が出ました。メリコン川に数百という小舟が浮かんでいたそうですから町は半ばパニック状態だったそうです」
「確かあの時は巨大な竜巻が発生してメリコン川の小舟をほとんど巻き込んだんだったな。大半の兵を失ったトシュタイン王国の軍は浮足立ち立て直す間に竜騎士隊が間に合って事なきを得たと記憶しているが」
「初戦、迎え撃ったのはフェルザー伯の領騎士団で民間に被害は出なかったと聞いていますが……」
「何だ?」
「竜巻の発生する数時間前、そちらに向かうオリバーの姿を目撃した者がいるんです。隣国が攻めてきたから危ないぞと注意したそうですが、少し様子を見に行ってくるだけだからと言っていたそうです」
「……そうか」
これでマリアの夫が竜巻に巻き込まれた可能性が浮上した。
隣国の軍隊を追い払った後、周囲を調べて民間人に被害は無かったことはわかっている。
しかし竜巻に巻き込まれてメリコン川に落ちてしまえばわからない。
それともすぐに引き返して行方をくらませたのか……何のために?
結局マリアの夫の素性はわからないままだ。只者ではないとルードルフの勘は告げているのだが。
「次はオリバーが孤児院を出た後どこで何をしていたのか探ってみようと思います」
「当てはあるのか?」
「当てというほどの手がかりではないんですが……」
「わかった。よろしく頼む。資金は不足していないか?」
「十分いただいていますよ。ではまた」
一礼してブルーノは去っていった。
ルードルフは暫く思案の海に沈んでいた。