ヴィヴィ五歳(2)
「竜巻だ――!」
「みんな逃げろ――!」
聞こえてきた叫び声にジークハルトは足を止めた。傍らのルードルフを見上げる。
空は快晴で穏やかな日和の今日は竜巻が起こる気配など微塵もない。ましてや街中である。
「魔力暴走かな?」
「その可能性が高いですな」
「行ってみよう」
ジークハルトの言葉に周囲で距離を取っていた護衛たちが近づいてきた。
「殿下、危のうございます。我々がまずは調べてまいりますのでここでお待ちを」
ジークハルト・シューヴェルヴァルム。ヴェルヴァルム王国の第一王子で現在八歳。
お忍び中の彼は傍らの教育係を見上げ許可を取ると歩き出した。
「必要ない。私が直接行こう」
逃げる人々と逆方向に急ぐ。
その場所はすぐに現れた。表通りに交差した一本の路地。その路地にごうごうと風が渦を巻いている。路地に面した建物の窓は壊れ風の渦は表通りに触手を伸ばそうとしていた。
路地の入口付近の店は店頭の品物を急いでしまいながら避難をしようとしていたが、間に合わなかったのか果物やら陶器などが渦に巻き込まれ宙を舞っている。
「殿下、もう少しお下がりを」
護衛の声を聞き流して路地に近づく。付近にはもう彼ら以外人はいない。
「このままでは危険だな」
「左様。私が行って鎮めてまいりましょう」
ジークハルトの言葉にルードルフは頷き自らが行くことを志願した。
魔力暴走は魔力を持った人——貴族であろう——が何らかの原因で心の安定が図れなくなり魔力を制御できなくなった時に引き起こす。
それもこれほど大きな魔力暴走は相当の魔力の持ち主である。高位貴族の可能性が高い。
平民に被害が出る前に鎮めなければならないだろう。
ルードルフは衛兵が来るのを待たず魔力暴走の元凶を押さえることを決断した。
「お待ちください。宰相閣下とて危険です。ここは我々が突入します」
「何年前の話をしている。私はもう宰相ではない、殿下の教育係だ。私の方が魔力耐性が高い」
ルードルフは苦笑しながら護衛の申し出を断った。通常の防御だけでは魔力暴走の場合魔力に当てられることがある。
「しかし……」
「私が行く」
ルードルフと護衛が揉めていると突然ジークハルトが口をはさんだ。
そのまま路地に向かってスタスタと歩いていく。
「殿下!!」悲鳴に近い護衛の声にジークハルトは振り返るとふわりと笑って言った。
「私には〝加護〟があるから大丈夫だ。そこで待っていてくれ」
言い置いてジークハルトは路地に消えていった。
路地の中はひどい有様だった。竜巻は種々雑多なものを巻き上げて荒れ狂っている。路地に面した建物は軒が外れそうにガタガタ言っている。このままでは屋根も吹き飛ぶだろう。
そんな荒れ狂う風の中をジークハルトは歩いていく。風も、巻き上げた様々な物も何一つ彼の体を傷つけない。彼の体は薄く光りぶつかろうとしたものが次々に弾かれていく。
程なくジークハルトは渦の中心にたどり着いた。
ジークハルトは目を見張った。渦の中心、半径一メートルほどの無風の小さい円の中にいたのは小さな少女だった。
少女は虚ろな表情をして円の中心に立っていた。銀に近いプラチナブロンドの髪は大きく広がり表情は虚ろなのにその深い湖のような青い瞳だけが爛々と光っていた。
ジークハルトは少女に近づき声をかけた。
「大丈夫か?これはお前が起こしたのか?」
少女は答えない。虚ろな表情で立っているだけだ。
ジークハルトは少しかがんで少女と目を合わせた。頬を両手で優しく包みもう一度声をかけた。
「安心しろ。君を助けに来たんだ」
少女の瞳の焦点が合った。ジークハルトの青空のような澄んだ青い瞳を見て少女はにっこりと微笑み 気を失った。
くたりと崩れ落ちる少女の体を慌てて抱き留める。
その途端 風が止んだ。
ジークハルトが少女を抱きかかえて路地から姿を見せるとホッとした護衛がバラバラと駆け寄ってきた。その一人に少女を預けルードルフの元へ行く。
「殿下、お見事でございました。して魔力暴走を引き起こした人物は?路地の中ですか?」
「彼女だ」
「は?」
「魔力暴走を起こしたのはあの少女だ」
普通では考えられないことだ。少女の身なりは平民の者だ。それも田舎のものらしい素朴な服装だ。いくら田舎だとてあれほどの魔力が今まで発覚しなかったなどということがあるだろうか?
「ふぅむ……」しばらく考え込んだのちルードルフは言った。
「あの少女は我が屋敷に連れて帰りましょう。殿下は城にお帰り下さい。陛下にご報告を」
「わかった。何かわかったら使いをくれ」
「承知いたしました」
ルードルフは護衛たちに指示を出した。
この場に残り駆け付けた衛兵と共に事態の収拾に努める者、ジークハルトに伴い城に帰る者、自らに伴い侯爵邸に行く者。
そして待機させていた馬車を呼んで乗り込もうとした時だった。
「ヴィヴィ!!」
一人の女性が転びそうになりながらも必死に走ってくる。まだ若い、と言っても田舎の若い主婦といった感じの女性は必死で走ってくるとずれそうになった眼鏡をぐいと押し上げぺたりと膝をついた。
彼女は地面に頭をつけ必死に言った。
「あ、あ、あの、私の娘が何か粗相をしたのでしょうか?も、申し訳ありません!!どんなことでも償いますから命だけは!まだ小さい子です。お願いします!」
ルードルフは屈んで女性の体を起こした。
「あの少女の母親か?」
「はっはい!」
「私たちは少女を咎めている訳ではないよ。だが……そうだな。君にも話を聞きたい。一緒に馬車に乗って私の屋敷に来てくれ」
「ああああの……」
「私の名前はルードルフ・アウフミュラー。侯爵だ。君の名は?」
「ママママリアです。……いえ、マリアと申します、侯爵様」
(ほお……)ルードルフは目の前の女性を見直した。姿かたちは田舎の平民そのものだ。顔立ちはよく見ると整っているように見えるし髪の色もくすんでいるが金髪だ。しかし眼鏡のせいか全体的にぼんやりした印象だ。
だが、彼女は一瞬にして自分を立て直した。先ほどまでのオドオドした雰囲気はなくルードルフを見つめている。
「よろしい。では行こう」