ヴィヴィ十一歳(2)
「ご無沙汰しております。お嬢様」
「お久しぶりです!タウアー夫人!」
ヴィヴィはぴょこんとタウアー夫人に飛びつき手を握った。
タウアー夫人の眼鏡の奥がキラーンと光った。
「お嬢様、やり直しをお願いいたします」
「あっ!ごめんなさい!」
ヴィヴィはスカートをつまんで腰を下げた。
「ごきげんよう、タウアー夫人」
「よくできました。それではここからそちらまで歩いてソファーに座って下さいませ」
午前中いっぱいタウアー夫人の指導を受けた後、顔を出したフィリップにタウアー夫人は言った。
「お嬢様は基本的な所作は出来ておられますね。矯正するとしたら言葉使いですか。それと領地でかなり自由に過ごされたようで日焼けしていらっしゃいます。こちらはメイドの方にケアをお願いしました」
日焼けと言ってもフィリップにはヴィヴィの肌は十分白いように見える。しかしタウアー夫人の及第点はもらえなかったようだ。
言葉遣いに関してもヴィヴィは知識量も豊富で大人のような言葉使いができるのでフィリップは問題が無いように感じたのだが、
「お嬢様は物言いがストレートすぎます。男の方はよろしいのですがご令嬢はもう少しオブラートに包んでお話しされた方がよろしいでしょう。それとお言葉が元気すぎますね」
「なるほど。そういうものか?」
フィリップは令嬢たちと深く付き合ったことがないのでよくわからないがそういえば学院時代よくまとわりついてきた令嬢たちもはっきりものを言わず思わせぶりだったような気がする。
(だから何が言いたいんだ?)と何度も思ったものだ。
「とは言え、素直で元気なところはお嬢様の魅力ですわ」
タウアー夫人はにっこり笑った。タウアー夫人も本来はストレートな物言いをする性格なのだった。
「ただ社交界にはにっこり笑って愛想のいい言葉を言いながら足を掬ってくるご令嬢も多いですからねぇ。プレデビューまでになるべく問題のない会話の仕方をお教えしますわ」
そして迎えたプレデビューの日
ヴィヴィはあれからマリアとエリゼに毎日肌を磨かれ抜けるような白さと輝くような肌つやを取り戻していた。
純白のドレスはその肌を引き立たせ幾重にも重なったシフォンのスカートはヴィヴィが歩くたびにふわふわと揺れた。レースに縁どられた胸元や袖も可愛らしく天使が舞い降りたような愛らしさにアウフミュラー家の男性陣の目は釘付けになった。
「ヴィヴィアーネ、とても可愛いよ」
「お父様ありがとうございます」
ルードルフはヴィヴィを軽く抱き寄せ額にキスを落とす。
「はー!化けるもんだなあ。お転婆ヴィヴィには見えないな」
ヴィヴィのプレデビューに間に合うようにと学院が冬期休暇に入るとすぐに駆けつけてきたエルヴィンの言葉にヴィヴィがむくれるとエルヴィンは軽くヴィヴィのおでこを弾いた。
「僕の天使、さあ王宮に向かおう」
フィリップが腕を差し出す。
「ふふっ、フィル兄様よろしくお願いします」
フィリップのエスコートでヴィヴィは馬車に乗った。
もう抱え上げられなくても馬車に乗れるようになったのだった。
ジモーネ・ハンクシュタインは自慢げに弧を描いた口元を扇で隠していた。
このプレデビューを待っている控室にはジモーネの父より高位の貴族はいない。
今年プレデビューを迎える令息令嬢はざっと見まわしたところ五十人くらい。
広い控室も本人と家族合わせて百五十人近くの人でほどほどに混雑していた。
ホールへの入場は爵位の高い順だ。今この国の公爵家は一つで次に同じ侯爵家でも序列は存在する。ジモーネのハンクシュタイン侯爵家は六つの侯爵家の中で三番目にあたる。
しかし王妃も筆頭侯爵家の夫人も数年前に亡くなり序列二位の侯爵家の夫人は滅多に社交界に出てこない。
ゴルトベルグ公爵家は代替わりしたばかりで公爵夫人はまだ年若い。ジモーネの母カルラは社交界の夫人たちの頂点と言って良かった。
社交界の頂点に君臨する母はジモーネや姉のゲルトルートを王太子妃、または筆頭侯爵家の息子の嫁にしようと画策しており、このプレデビューはジモーネが彼らと知り合いになれるまたとない機会であった。
筆頭侯爵家、アウフミュラー家の嫡男フィリップは年が離れすぎているが、王太子やアウフミュラー家の次男エルヴィンとジモーネは三歳違い。ジモーネとちょうどよい年回りである。次男は侯爵家を継がないのだが、嫡男のフィリップにはジモーネの姉ゲルトルートとの婚姻を画策している。ゲルトルートがアウフミュラー侯爵家に嫁ぐのならエルヴィンを婿に迎えても良いかしら、と勝手にカルラは妄想を膨らませていた。
控室に新たなざわめきが起こった。
プレデビューの者が新たに入ってきたらしい。
入り口の方に視線を向け———ジモーネは固まった。
まず目に入ったのは濃い茶色の緩やかにウエーブした髪のすらりとした美しい青年。
そしてその隣のやや背は低く幼いが赤みがかった栗色の髪の青年。こちらも美しい顔立ちをしている。
二人の美しい青年の登場にジモーネの目は釘付けになった。
「お父様!お母様!あの方たちは———」
その時二人の青年に囲まれて見えなかった一人の少女の姿が目に入った。
銀に近いプラチナブロンドのお人形のような美しい少女。
「誰?」
ジモーネの父母、ハンクシュタイン侯爵と夫人も唖然と今入ってきた三人を見ていた。
「あれは……アウフミュラー侯爵の息子たちではないか?」
「ええ。見覚えがあるわ。ゲルトルートがいればわかるのだけれど」
「アウフミュラー侯爵家に娘などいたか?それとも二人で知り合いの娘をエスコートしているのか?」
「と、とりあえずご挨拶に行きましょう。ジモーネを紹介するチャンスだわ」
夫妻が動き出そうとしたとき遅れて入ってきたルードルフが三人と合流した。
それと同時に「皆さま入場のご準備をお願いします」との声が響いた。
ジモーネは得意満面に扉の近くまで進んだ。一番に名を呼ばれるのは自分だ。衆人の注目を浴びて漆黒の絨毯の上を歩くのはさぞ気持ちがいいだろう。
まさに踏み出そうとしたその時、
「アウフミュラー侯爵家、ヴィヴィアーネ・アウフミュラー様!」と声が響いた。
「え?」
思わず足を止めたその横をアウフミュラー侯爵にエスコートされた先ほどの少女が通り過ぎて行った。
その後ろに麗しい二人の青年が付き従う。
ホールに入った途端、この四人は会場全ての人の視線を釘付けにした。
その後ろを歩くジモーネ達のことなど誰一人注目していなかった。