私の望み(2)
秋——夏の暑さが人々の身体の中から抜け朝晩だけでなく日中も過ごしやすい陽気になった。
もうすぐ竜の季節だ。竜が繭を作る季節が近づいてくる。
毎年この季節は貴族にとっては竜との契約の季節で特別な意味を持つ。今年契約を結ぶ令嬢令息を抱える家では特に。
しかし平民はそんなことは知らない。この季節は実りの季節だ。農民は収穫に忙しいし収穫物が出回る商人たちも忙しい。
ただ天を駆ける竜が多く見られるので人々が空を見上げる回数が多くなる。
昨年はこの時期にトシュタイン王国の襲撃があり人々は直接被害はないものの落ち着かない気持ちで日々を過ごした。
そして今年は別の理由で浮足立っている。
隣国はトシュタイン王国が滅びリードヴァルム王国と名を変えた。国交が結ばれ長い間閉ざされていた交易路が開かれた。目端の利く商人たちは早速隣国と交易を始めそれは日増しに活発になっている。
そして数日後、更に両国の絆を深めるためにこの国の王女様が隣国の王様に嫁がれるのだ。
王都では既にお祭りムードでパレードをする王都の大通りの周辺には既に沢山の出店が立ち並んでいるそうである。
これを機に地方から王都見物に出かける人々も多く大変な賑わいだという。
通常であれば隣国で開かれるはずの結婚式は竜との契約の関係でまずは我が国、ヴェルヴァルム王国で結婚式が行われ市中をパレード、宴が催された翌日、王女様と隣国の王様は竜に乗って隣国に渡り隣国で新しい王妃様のお披露目とパレード、宴が催されるそうだ。
王都民だけでなく王女様と隣国の王様が乗った竜が見られるかもしれないということで竜の森と王都を結ぶコース上にある町々では人々は一日に何度も空を見上げている。まだ契約の時期には少し早い今でもつい人々は空を見上げてしまうのであった。
私はジークと護衛騎士たちと学院の竜場に降り立った。
明日にはお母様とオリヴェルト様が学院に到着する。
お母様たち一行は今回はヘーゲル王国の許可を取りメリコン川を渡るルートでこの国にやってきた。数日前はアウフミュラー侯爵領の領主の館で宿泊し歓待を受けたと聞いている。
私とジークはここでオリヴェルト様とお母様を出迎え竜の森に入るまでを見届ける。
その後王都に戻りお母様たちの到着を待つことになっている。
私とジークがお出迎えの役目を頂いて学院に来ることが出来たのは有り難い。
お母様とオリヴェルト様だけでなく今回竜と契約するのは私と同年の生徒たちだからだ。アリーやカール達一組のみんなを見送ることが出来るのだ。
私は彼らを見送るだけでなく謝らなければいけないことがある。
「どういうことだよ!!」
カールが声を荒げるがそれを咎める人はいない。一組のみんなが怒ったような泣きそうな顔で私を見ている。
「ヴィヴィ、私たちの卒業式に来てくれるって約束したわよね」
涙声のアリーの言葉にも謝罪の言葉しか出てこない。
「本当にごめんなさい……」
「すぐに戻ってくるんだろう?」
「そうよね。ジークハルト殿下と結婚なさるのでしょう?」
ヘンデルス様とリーネが問いかける。
「多分……少なくとも三年……あ、でもジークとは結婚するわ。待っていてくれるって言ったの」
「そんな!三年なんて!!」
「そうだよ!三年もあっちに行っちゃったらどうなるか……」
「そもそも本当に三年で戻ってくるのか?」
みんなの言葉に何も言い返せない。
「なあ、あっちの国に行ってやりたいことって……ヴィヴィがやらなくてはならないことなのか?」
カールの言葉に首を振る。
「必ずしも私でなくてはいけないことではないと思うし私なんて大したことはできないかもしれない。でも、それでも知ってしまった以上は見過ごすことはできないしそれは今しかないと思うの」
「ヴィヴィは国民学校の事業に携わっていただろう?あれはどうするんだ?」
エーリクが静かに問いかけた。
「うん、国民学校は一応軌道に乗ったから信頼できるスタッフに引継ぎしてきた。けれどエーリクが協力してくれたら嬉しいわ」
エーリクはため息をついた。
「仕方ないな、ヴィヴィのためだ。国民学校第一校を開設してもらった領地の嫡男としてこれからの事業に出来るだけ協力するよ。僕が失敗させないから安心するといいよ」
良かった。手がけた事業はきっとうまくいく。
そう……私はこの国を離れるのだ。
生まれ育ったこの国を。大切な人が沢山いるこの国を。
期間は三年。もしかしたらもう少し。
リードヴァルム王国に渡ったお母様と手紙のやり取りをして私はリードヴァルム王国の現状を知った。
政治的な事はオリヴェルト様たち新しい国の中枢の人達が整えていくのだろう。
お母様の手紙によく書かれていたことは孤児の事だった。
リードヴァルム王国はトシュタイン王国だった時の無理な徴兵制度と重税で疲弊している。重税は改められ領主は代わり不当な暴利をむさぼっていた貴族や商人の財産は徴収され民に還元された。それでも戦争で働き手を無くした農地は沢山ある。
そして孤児がものすごく多い。徴兵によって父親を失い重税を払うために母親が無理をして働いて命を落とす。そうした孤児がものすごく多いのだ。食い詰めて盗賊などになった者もいてその被害にあった人たちも多いらしい。
ヴェルヴァルム王国のように設備の行き届いた孤児院などは少数で当然そこに入れる人数もたかが知れている。そしてもし入れたとしても満足に食事ができる環境ではなかった。
地方で領主に恵まれた地域では町々で町長などが孤児を集め面倒を見ている簡易孤児院などのような施設もあったそうだがほんの一握りだ。
都市部にはスラムが出来ている。誰にも顧みられなかった孤児たちはスラムで身を寄せ合い犯罪まがいのことをしてどうにか生きているらしい。
お母様はこのことがどうしても放っておけなくてまだ婚約者の身分である今のうちから孤児の救済事業を始めた。
孤児や平民の識字率云々ではない、まずは孤児たちが清潔な衣服を着てお腹いっぱい食べて健やかに成長できるように制度を整えたい。孤児たちが何か手に職をつけて自立できるような道しるべを示したいそう考えて奮闘しているようだ。
私はその手助けをしたい。
ゆくゆくはこの国に帰ってくるとしても私の身分は一時的にリードヴァルム王国の王女となる。リードヴァルム王国の王女として国造りに奮闘する両親の力になりたいし孤児たちの現状を見て見ぬふりは出来ない。
私はお父様にアウフミュラー侯爵家の養女にしていただいてお父様やお兄様方からとっても愛してもらい何不自由なく育った。
お父様もお兄様たちも全く血のつながらない私を慈しみ育て守ってくれた。だから身分が変わった今でも彼らが本当の家族だと胸を張って言える。
恵まれて育った私だから今恵まれていない子供たちに何かをしたい。せめて彼らが明日に希望を見いだせるようなお手伝いをしたいと思ってしまったのだ。
私がリードヴァルム王国でお手伝いをしたいと言った時陛下は難色を示した。もちろんリードヴァルム王国に行くか行かないかを決めるのはヴィヴィアーネの決定に任せるが期間は一年だと仰った。一年後にはジークとの結婚が控えているからだ。
でも結婚して再びヴェルヴァルム王国の王家に入ってしまえばリードヴァルム王国の内情に手を貸すのは難しい。ジークと結婚前の今の時期しかできないことだと思った。
ジークとの結婚をあきらめるつもりは無い。私の唯一はジークだ。それにこのヴェルヴァルム王国を愛している。
ジークが納得した上でだが……三年、と陛下は仰った。三年のうちに全ての問題を解決することは無理だろう、それでもマリアレーテに後を託していけるように三年で目処をつけてこの国に嫁いで来い、と陛下は仰った。
あとはジークをどうやって説得するかだなと笑った。あいつはきっと拗ねるぞと。
ジークと一晩かけて話をした。本当は離れたくない。ジークの胸の中が一番安心する場所だ。
「でも行きたいんだよなヴィヴィは」
とジークは笑った。
「納得はしていないけれど待っているよ。僕の唯一はヴィヴィだから。君以外僕の隣に立つ人はいないから」
こんなに我儘な私のお願いを聞いてくれて待っていてくれるという。
私に甘すぎるよジーク。
私はジークが好きでジークのお嫁さんになるつもりだった。いいえ、今でもなるつもりだ。それなのに今ジークの元を離れるつもりだ。自分が後悔しないために。
この国の貴族は学院を卒業してすぐに結婚する人達から職業を得て職場で知り合って結婚する人まで千差万別なので適齢期も学院卒業後の十七歳から二十代前半までと幅広い。それでも王太子であるジークの結婚を引き延ばすのは良い事ではないだろう。
他にも良縁があるのだから最悪婚約解消となるかもしれないと覚悟していた。
覚悟しながらもジークが愛しているのは私一人だという自信もあった。だから待っていてくれるのではないかという期待もあったのだ。
そしてやっぱりジークは待っていてくれるという。
甘いよジーク。 ……でもありがとう、愛しているわ。
あと数話で完結となります。
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