ヴィヴィ十一歳(1)
領地に行って二年半、ヴィヴィは十一歳の秋に王都に帰ってきた。
もちろんフィリップも一緒である。
フィリップはこの二年半で領地について学びそして来春からは王宮勤めになる。領地の運営はマインラートにそしてゆくゆくは彼の息子に任せることになるだろう。
王都のタウンハウスに着き馬車を降りると屋敷の使用人たちとルードルフが立っていた。
「お父様!」ヴィヴィは駆け寄りハグをする。
ルードルフはヴィヴィの額にキスを落とし
「大きくなったな。もうすっかりレディだ」と目を細めた。
「父上、ただいま戻りました」フィリップが挨拶する。
「ヴィヴィと仲良く過ごせたようだな。領地に関する勉強も滞りなく終えたと聞いている」
「ヴィヴィは可愛い妹です。でも僕は父上が母上を裏切ったことを許す気にはなれません」
フィリップの直接的な物言いに周囲がハッと息を呑む。
「私の愛しているのは生涯クラウディアただ一人だよ」
ルードルフは柔らかく微笑んだ。クラウディアはフィリップの母、ルードルフの妻の名前だ。
「では何故———」
「さあ、中へ入ろう!」
ルードルフはフィリップの言葉を遮る。それはこのことについては話す気はないというルードルフの意思表示だった。
サロンに落ち着き久しぶりに会ったエリゼの入れた紅茶を飲む。
エリゼも成長したヴィヴィの姿を見て目を細めた。
「お嬢様、すっかり大きくなられましたね。それにおしとやかになられて……」
「おしとやか?」フィリップが揶揄うような視線をヴィヴィに向けた。
「ふうん、おしとやかって小川を飛び越えようとして落ちたり剣術の真似事をしたり焦げたクッキーを食べさせたりすることを言うんだ」
ヴィヴィは急いで席を立つと走ってピョンとフィリップの膝に乗り両手でフィリップの口をふさいだ。
その姿を見てエリゼは目を丸くし、ルードルフは「前よりお転婆になってないか?」と呟いた。
領地に居た二年半、フィリップはヴィヴィをでろでろに甘やかした。
甘やかしたと言っても贅沢をさせたわけではない。ヴィヴィは贅沢や着飾る事には興味がなかった。
フィリップは自分が見ているときに限ってだがヴィヴィのやりたいことを何でもやらせた。
ヴィヴィの好奇心は旺盛で糸紡ぎの工房に視察に行けば綿花の収穫からやりたがり、ピクニックに行けば大人しく草花を愛でるどころか従者見習の少年と小川まで走って行ってどちらが川幅の広いところを飛び越えられるか勝負していた。護衛騎士に剣術を教えてくれとねだったり厨房に顔を出してお菓子作りを教わりフィリップに焦げたクッキーを食べさせたりした。
ヴィヴィは勉強にも意欲的で様々な事に疑問を持つ。それに沿ってフィリップはヴィヴィに課題を出して調べさせたり考えさせてレポートを提出させたりした。
領地は自由で「淑女だからこれはやってはいけません」とか言う人がいない。いや、唯一ヴィヴィの監督を任されたフィリップが自由にさせたのでヴィヴィは王都で淑女教育を受けていた時よりかなりお転婆になっていた。
もう一人、ヴィヴィの専属メイドのマリアもヴィヴィのお転婆については何も言わなかった。マリアはヴィヴィが伸び伸びと育つことが嬉しかったのだ。
「明日からまた淑女教育頑張ります……」
すごすごとフィリップの膝を降りヴィヴィが言った。
「はははっ。別にお転婆でもいいぞ。公の場所でちゃんと振舞えればな」
「それは大丈夫ですよ。僕がちゃんと教えましたから」
ルードルフの言葉にフィリップが答えるが、ルードルフは念を入れた。
「男性と女性では礼儀やマナーに違う部分も多いだろう。明日からしばらくはタウアー夫人に来てもらおう」
タウアー夫人は以前ヴィヴィに淑女教育をしていた夫人だ。厳しい人だが気性がさっぱりしているのでヴィヴィは嫌いではなかった。
「それと明後日、プレデビューのドレスの仮縫いに服飾店の者が来る。午後は空けといてくれ」
プレデビューとは来春ヴァルム魔術学院に入学する者が王族にお目見えする会のことだ。社交シーズンの始まりの秋の夜会の時に行われる。
夜会と言ってもプレデビューはもっと早い時間に行われる。
来春学院に入学する者は大勢の貴族が見守る中、会場の中央に敷かれた漆黒の絨毯の上を家族と一緒に進み国王陛下、並びに王族の人達に挨拶する。
その後ダンスを一曲踊って少々歓談をしてプレデビューの子供たちは会場を後にする。
プレデビューの子供たちが帰った後に本格的な夜会がスタートするのだ。
ちなみに学院に在学中の者もプレデビューのお披露目には参加できる。
つまり王族にお目見えだけでなく、来春一緒に入学する者たちの初顔合わせであり、先輩たちとも会う機会である。
母親と一緒にお茶会等に顔を出して既に同年代の友達が多い者もいるが、地方に住んでいる者や、ヴィヴィのように社交に無縁の子供は初めて同年代の子供と顔を合わせることになるのだった。
「父上、ヴィヴィのダンスの相手は僕が努めます」
機先を制してフィリップが言った。
「ファーストダンスは婚約者か父親だろう」
「婚約者か父親か兄弟ですよ。父上と僕とエルヴィンだったらずっとヴィヴィと練習していた僕が適任でしょう」
苦笑してルードルフはヴィヴィに聞いた。
「ヴィヴィはフィリップが相手でいいか?」
「はい!フィル兄様が踊ってくれたら嬉しいです」
「じゃあフィリップに大役は任せることにしよう」
「フィル兄様やエル兄様のファーストダンスのお相手はどなただったんですか?」
ふとヴィヴィは聞いてみた。
途端にフィリップは苦虫を嚙み潰したような顔をしてボソッと言った。
「タウアー夫人」
実はフィリップもエルヴィンも物凄く人気が高かった。学院に入学してから婚約を決める者が多いにも関わらず入学前から婚約の打診は山のようにあった。
婚約を結ばずともプレデビューのダンスの相手を務めて欲しいとの申し入れも沢山あったのだが、本人たちは令嬢に興味がなく顔もわからなかった。
結局申し込みの中から一人を選ぶと角が立つということで親戚筋で当時ダンスを教えに来ていたタウアー夫人が二人とも相手を務めたのだった。