クーデター(5)
オリヴェルト様たちと話し合いをしている間この館の主のエリオ殿下はずっと隅に控えたままだった。
「エリオ殿下、ありがとうございました」
ジークがお礼を述べるとエリオ殿下は顔の前で手を振る。
「やめてください、もう殿下ではありません。トシュタイン王国は滅びたのですから『エリオ』とお呼びください。今はまだこの館を使わせてもらっていますが。なにしろ王宮でまともなのはこの離宮しかないので貴方たちをお泊めするのにここしかなかったのですよ」
彼の言葉で王宮のいたるところに戦いの跡が残されていることが察せられた。真実は戦いの跡ばかりでなく逃げ隠れた国王や幹部の捜索で荒らされた部屋の方が多かったのだが。そして部屋が荒らされていないだけではなくメイドや従者がきちんと働いているのもこの離宮だけらしかった。
「殿下……エリオ様はこれからは父の臣下となるのでしょうか」
私が聞くとエリオ様は頷いた。
「オリヴェルト様のお情けに縋ればそういうことになります」
「お情けに……?エリオ様はこのクーデターで十分な功績を上げられたのではないですか?」
「私はトシュタインの国王の息子ですから。リードヴァルム王国建国となればこれからトシュタインの王族は全て処刑されるでしょう」
「そんな!王族には子供も———」
「全てですよヴィヴィアーネ殿下。王族の血を残すわけにはいかないのです。民を虐げていた領主や私腹を肥やしていた貴族も軒並み処刑されることでしょう。そうでないと民衆が納得しません。それだけ腐っていたのですよ、この国の中枢は。その象徴たる王家の血は全て絶やされます。私が今回のクーデターの功績を評価され生き延びることが出来たとしたら……私は生涯独身を貫きます。トシュタインの王家の血は残しません」
エリオ様の決意を聞く間ジークは震える私の手をずっと握りしめてくれていた。
フィル兄様は私の背中を慰めるようにずっととんとんと叩いてくれていた。
違うのに。辛いのは私ではなくてエリオ様なのに……
「エリ……オ様は……どうして……そんな思いまでして父の……クーデターに力を貸してくれたのですか……?」
震える声で聞くとエリオ様は微笑みながら教えてくれた。
「私の母は身分の低い側妃でした。正確に言うと母は旧リードヴァルム王国の王妃付きのメイドだったのです。トシュタインの国王が……当時は第三王子でしたが、あの男が旧リードヴァルム王国を亡ぼした時母は戦利品として持ち帰られてあの男のものになりました。その時母はまだ十代でした。そして私を産み側妃と言う身分にはなったのですがいつまでも反抗的な母はすぐにあの男に飽きられて後ろ盾もない私たちは離宮に追いやられました。私は王子とはいえ王太子レースにはエントリーもされていないような力のない王子だったのですよ。王太子になどなりたくもなかったですがね。母は十年ほど前に流行り病で亡くなりました。最後まであの男を恨んでいました。旧リードヴァルム王国の敵だと言っていました。ただ私のことは可愛がってくれましたよ、あの男の血を引いているというのに」
私は何も言えなかった。彼は……母を攫って無理矢理自分のものにした父を憎んで育ったのだ……自分の中に流れる父の血を憎んでいるんだ……なんて辛く悲しい事なのだろう……それなのに彼は優しく微笑んでいる。生涯愛する人を作らないのだろうか……自分の子供が欲しいと、温かい家庭が欲しいと思わないのだろうか……
「ああ、泣かないでくださいヴィヴィアーネ殿下」
彼は困ったように言う。
「そんなに悲惨でもないのですよ、以前に比べれば。異母兄弟に馬鹿にされ父を憎んで私は育ちましたが今は信頼できる友や忠義をささげるべき主君と出会うことが出来たのです。自分の命を懸けるほどの使命にも出会うことが出来それを成し遂げることが出来た。今の私は幸せです」
彼は微笑みながら続ける。
「最初はこんなことを言うつもりでは無かったのです。王族の処刑のこともね。あなた方には関係のない話だと思っていましたから。わざわざご令嬢の前で血生臭い話をする必要はない。しかし先ほど私はあなたがオリヴェルト様の娘だと知ってしまった。だから知っていて欲しいのですよ、新しいリードヴァルム王国がどうやってできたのかを。こんな思いを抱えていた男のことを。あなたはもしかしたらリードヴァルム王国の次代の女王になるかもしれない人だ」
エリオ様がそう言った時、ジークが私の手を握りしめる手に力が入った。
「エリオ殿、すまない。ヴィヴィは私の妃になるんだ。この国の女王になる事は出来ない」
「そうですか」
エリオ様はあっさり引き下がったが「未来は不確定ですからね」と小声で呟いた。
明朝、昨日と同じまだ夜が明けきらない時刻に私たちは旧トシュタイン王国の王宮を発つことにした。
エリオ様と従者に案内されまだやっとほの明るい廊下を進む。
本宮近くまで来た時だった。
「あのっ!夫を助けてください!」
メイド服の女性がよろめき出て私たちの前で跪いた。
「あなたは?」
「私は第三側側妃様付きのメイドです。夫は第五王子リヴィオ殿下の近衛騎士をしておりましてリヴィオ殿下と共に捕えられたと聞きました。夫は職務で殿下を守っていただけで悪いことはしておりません。どうかお力添えをお願いします!」
彼女はそう言いながら私の方ににじり寄る。私がこの中で唯一の女性だから与しやすいと思ったのかもしれない。
「私は……」
スッと私の前にエリオ様が立った。
私に「ヴィヴィアーネ殿下は後ろへ」と言いながら彼女に向き直る。
「彼女はわが軍を助けてくれたヴェルヴァルム王国の方だ。彼女に助力を乞うのは筋違いだろう。悪いことをしていなければ捕らえられている者も釈放になる。おとなしく待っていなさい」
しかし彼女は更に私の方に近づこうとする。
後ずさりした私はグンと誰かに引っ張られた。
一瞬強い力で引っ張られたのだがすぐにその手は離れた。
後ろを振り返ると薄汚れた騎士服を着た人物がお腹を押さえて蹲っていた。
その傍で剣を構えるアロイス。
「え?誰?アロイス、切ったの?」
「剣の柄で殴っただけです」
メイドと言う女性と薄汚れた騎士はリードヴァルム王国軍の兵士に引っ立てられていった。
「アロイス、ありがとう」
「護衛ですから」
私がお礼を言うとアロイスはむすっとした顔で返す。でもちょっと付き合いの長くなった私はアロイスが決して不機嫌ではないということがわかるようになった。
「彼女たちは?」
私がエリオ様に聞くと
「本当に夫を助けたかったのか芝居だったのかは今はわかりません。大丈夫です、ちゃんと取り調べますよ。すべての人を有罪にする訳ではない。そんなことをしたら人がいなくなってしまいますからね。大きな罪を犯していなくて新リードヴァルム王国に恭順の意を示せばほとんどの者は釈放されます」
私はエリオ様の言葉に安堵した。
似たようなことは王宮の前広場でルーナに乗り飛び立つまでにあと二回ほどあった。
そうして私たちは旧トシュタイン王国の王宮を飛び立ちペーレント伯の館で一泊させてもらったのちようやくヴェルヴァルム王国の王宮に帰ってきたのだった。