ディートフリート第二王子(8)
室内には国王陛下、エミーリア様、私、ジークそしてディーだけが残っていた。
私は抱きしめていたディーをそっと放してエミーリア様の方に押しやった。
ディーはきょとんとしている。ディーにとっては蔑まれ蔑ろにされていることが日常だったのだ。いきなり私たちが現れたことも理解できなければどうして私たちが泣いたり怒ったりしているのかも理解できないのだろう。
エミーリア様はポロポロと涙をこぼしながらディーに向き直る。膝をついてディーの目線に合わせた。
「お母様……どうして泣いているのですか?僕……僕何かいけないことをしてしまいましたか?……ごめんなさい……僕……」
「違うの。違うのよディー。いけないのは私の方なの。こんなに近くにいたのに……あなたの言葉よりあんな人たちの言葉を信用するなんて……ディー……ごめんなさい……」
ポロポロと涙をこぼすエミーリア様にディーはおずおずと手を差し出しては引っこめている。
「ディー、お母様を抱きしめてあげて」
私はそっと後ろから囁いた。「いいの?」とディーが聞くので「もちろんよ」と答えた。
ディーがためらいながらもエミーリア様に触れる。
「お母様……抱きしめてもいいですか?」
その言葉に益々涙腺が崩壊してむせび泣きながらもエミーリア様はディーを抱きしめた。
本当は抱擁が必要なのはディーの方だ。抱きしめていっぱいキスをされていいっぱい微笑まれて甘やかされてディーは皆に愛されていることを知るべきだ。
ディーはダメな子なんかじゃない。とても優しいいい子だと自信を持つべきだ。
「お母様……お母様……」
抱きしめられながらディーはいつしか泣いていた。泣きながらエミーリア様にしがみついていた。
二人でひとしきり泣いた後我に返ったのはディーが先だった。
「どうしよう……お母様……すみません……お母様のお洋服が僕の涙でくしゃくしゃになっちゃいました……」
「いいのよ、ディー。既に私の涙でくしゃくしゃだったんだもの。そんな事より抱きしめてもらえて嬉しいわ」
「ディー、私からの謝罪も受け取ってくれるかな」
今度は陛下が膝をついてディーに向かい合った。
「忙しさを言い訳にして君のことをエミーリア様に任せきりだった。君にちゃんと向き合っていなかった。君があんな目に遭っていることを気が付いてあげられなかった。私は君の父親なのに……君に信頼されるような関係を築いてこなかった。許して欲しい……」
「あ、あの……国王陛下……あの……」
「お父様と……呼んでくれないか。今更虫のいい話かもしれないが君と……ちゃんと親子関係を築いていきたいんだ」
「お父様……」
国王陛下に抱き寄せられてディーは緊張した顔をしていた。陛下とちゃんと親子になるのはもう少し時間がかかるかもしれない。
陛下の次はジークだ。
ジークはディーを抱き上げた。
「わっ!ジーク兄様!」
「ふふっ重くなったなディー。前に抱き上げたときはまだよちよち歩きだったんだ。ごめんな、兄として今まで何もしてこなかった。これからもっと話をしよう。ディーの好きな事、興味ある事、いっぱい教えてくれないか」
「はい!僕ももっとジーク兄様とお話がしたいです」
「そうだ、今度東の離宮に遊びに行くときは私も誘ってくれないか?」
「わあ!」ディーは手を叩いて喜んだ。
ジークはディーを抱きかかえながら私の方を向いてお礼を言った。
「ヴィヴィ、ありがとう。君が動いてくれたから私たちはディーの現状に気が付くことができた。ディーを救うことができたんだ」
エミーリア様も私に向かって言った。
「ヴィヴィアーネ殿下、本当にありがとうございます。私は自分の殻に閉じこもってばかりでした。そしてそれをディーに押し付けました。だからディーは使用人たちにあんなに蔑ろにされていたんです。私の責任です。陛下にディーは私が立派に育てますと申し上げたのに……」
「私はディーが好きです。私が好きなディーが心配だっただけなんです。これからみんなで沢山笑っていられたらそれでいいんです。これからみんなで東の離宮に行きましょう。お母様がお茶の用意をしてくれて待っているんです。お母様のいれるお茶は美味しいですよ」
私はパンと手を叩いていった。
そうしてみんなで東の離宮に移動し楽しくお茶会を……とはならなかった。
ジークと陛下は文官たちに引っ張られて連れていかれてしまったからだ。
今回の件で陛下とジークは度々公務を抜けた。その穴埋めをしていたのは宰相であるお父様と筆頭補佐官のフィル兄様だ。
トシュタイン王国の侵攻に備えての下準備が始まり、プレデビューの夜会の準備、お母様のお披露目の夜会の後処理やトシュタイン王国の官吏が接触していた貴族の洗い出し、監視報告など通常業務以外にもやることは山積みらしい。
というわけでジークと陛下は仕事に戻らなくてはならなかったのだ。でもお父様はともかくフィル兄様も今回の事でジークが仕事を抜けることに一言も不満を漏らさなかったらしい。
「弟や妹のことで兄が動くのは当然のことです」
とジークに言ったらしい。
その後で「だから僕が仕事よりヴィヴィを優先するのは当然のことです」と言わなければ素直に感謝できたのに……とジークがぼやいていた。
このことがあったのは冬のさなか。そして方が付いたのは早春の頃だった。
ディーの家庭教師やメイドたちは数十年の鉱山労働、主犯格のアルフォンスは死刑。ただし十五年の懲役の後となる。真面目に刑に服し罪を償えば恩赦もあるということだ。
ディーには新たな家庭教師が付けられた。ジークが最初に学んだ家庭教師だそうだ。
従者やメイドも厳選された。ディーは大手を振って東の離宮やジークの部屋に遊びに来ることができるようになりエミーリア様もお母様とよくお茶をするようになった。その流れでゴルトベルグ公爵夫人やビュシュケンス侯爵夫人とも親しくなったようだ。
あ、ディーの部屋のバカでかい書棚は飾り棚と書棚にリメイクされた。書棚の部分は目隠しの扉ではなくガラス扉で中の本が良く見える。そこにディーが好みそうな物語や植物動物図鑑、歴史の本など多種多様な本が納められディーが目を輝かせていたそうだ。
もちろん隠し通路はしっかり塞がれました。
ディーやエミーリア様が外に出るようになったので彼らにも専属護衛騎士が付くことになった。今まではエミーリア様が断っていたのだ。
そうして早春、学院の新学期の時期に人事異動があり私の護衛騎士もちょっと変更があった。
「リーゼロッテ・シュトイデルと申します。本日付でヴィヴィアーネ殿下の専属護衛騎士に任命されました。よろしくお願いいたします」
長い髪を高い位置でひとくくりにしスッとした立ち姿の女性騎士は私に深々と頭を下げた。
女性騎士じゃないと付いて行けない場所をあるだろうと私やお母様には女性騎士が一人配属されることになったのだ。
今までの私の護衛騎士で配置換えになったのはローラント。彼はディーの筆頭護衛騎士になったのだ。これにはディーがものすごく喜んでいた。
「リーゼロッテさん?」
「はい。お久しぶりですヴィヴィアーネ様。今後は『さん』抜きでお呼びください」
リーゼロッテさんは微笑みながら言った。
私が学院の一年生の夏、誘拐されて閉じ込められていた時に助けてくれたのがリーゼロッテさんだった。あの時に最上級生で騎士コースで一番の成績だと聞いていた。竜騎士団じゃなくて王国騎士団に入団していたことを私は初めて知った。
リーゼロッテさんが護衛騎士になってくれるのはとても嬉しい。
そしてもう一人。
ジークに会いに行くと一番に声を掛けてくるのがフィル兄様。
「やあヴィヴィ。僕に会いに来てくれたんだね、嬉しいよ。仕事はジークに押し付けてあっちでお茶しようか?」
「フィリップ!!ヴィヴィは私に会いに来たんだ!毎回毎回邪魔しないでくれ!」
プンスコ怒るジークの後ろでため息をつく人が一人。
「おまえら……全く変わらないな……」
「エル兄様!!」
そう。私は今回はこの人に会いに来たのだ。
ジークの護衛騎士も一人エミーリア様付きに移動した。そして代わりに配属されたのが……
「どうだ?ヴィヴィ。最速でジークの近衛にまでのし上がったぞ。まだ筆頭ではないけどな」
そんなことを言うからジークの筆頭護衛騎士のラウレンツに拳骨を食らっている。
それでも。
「エル兄様、凄いです!!護衛騎士就任おめでとうございます!!」
ジークの傍にエル兄様が戻ってきた。それはすごく嬉しい事だった。