父との対面(2)
オリヴェルト様の話は続く。当時を思い出して辛そうな顔をしながらも彼は話を続けた。
「トシュタイン王国が攻めてきた、その報に私は目の前が真っ暗に……いや真っ赤になった。物凄い怒りが身体の奥底から湧いて来たんだ。またあいつらは私の大事なものを奪おうとしている。父を母を殺し祖国の人達を殺し私をたった一人にした。私がやっと家族を、大事なものを持ったこの時にまた壊しにやってくる……いてもたってもいられなかった。今度は奪わせないと私は決意したんだ。町の人達は右往左往していた。トシュタイン王国の軍は領都サルバレーに上陸したらしく領騎士団と交戦中だと知らせが回ってきていた。思いもよらない場所からの侵攻で竜騎士団の到着が遅れているらしいとも聞いた。トランタの町まで敵の手が伸びるのは時間の問題だと思われた。私はメリコン川に向かった。大挙して押し寄せてくる敵をどうにかできないかと思ったのだ」
お母様はいつしか彼の隣に座り彼の手を両手で包み込んでいた。
「その時にはもちろんすぐ君のところに帰ってくるつもりだったんだ。私の幸せは君とヴィヴィの傍にあると知っていたからね」
オリヴェルト様はお母様の瞳を覗き込んで言った。
「メリコン川を埋め尽くすようなトシュタイン王国の小舟を見て私は魔力暴走を起こしたんだ。制御できると思った竜巻は怒りのせいで暴走した」
国王陛下とお父様が息を呑むのがわかった。十年前トシュタイン王国の侵攻の時偶然にも発生した巨大竜巻。あれは偶然ではなかった。彼が巻き起こしたものだった。
その竜巻のおかげでヴェルヴァルム王国は救われたのだ。竜騎士団が間に合い民衆に被害が出なかった。
「私が目覚めた時、私はトシュタイン王国の北部に向かう敗走軍の中、荷馬車に揺られていた。私を助けてくれたのがラーシュだ。無理矢理従軍させられていたラーシュたちの軍は一番に特攻する役目を与えられていた。そのおかげで早々とメリコン川を渡り竜巻に巻き込まれないで済んだ。私は八歳の時から身に着けていた魔道具が壊れ本来の髪色に戻ってしまっていた。私を見つけたラーシュは思うところあって私を匿い領地に連れ帰ったんだ」
「魔道具で髪の色を?」
お父様が聞くとオリヴェルト様は説明してくれた。
「この国のように魔道具研究が発達しているわけではない。王族周辺しか魔力の残っていなかったリードヴァルム王国は魔術も残っていなかったし魔道具は王宮の宝物庫に残されていただけだった。ただ王族に限っては魔力量は豊富だったと思う。竜神の血を引いているからだろうか。特に私は魔力量が豊富で初代の再来かとまで言われていたんだ。私は王宮を脱出する際に宝物庫の魔道具をいくつかを持ち出した。その一つが髪色を変えることのできるピアス型の魔道具だったんだ。後に王立魔道具研究所に勤めていた時に私は持ち出した魔道具を研究していくつかの魔道具を開発したよ。発表は他の人の名前にしてもらったけど」
オリヴェルト様の説明にお父様は納得したようだった。
「私は意識が戻っても魔力暴走の影響で身体を動かせなくてね。やっと人並みに動けるようになったのはラーシュの領地に着いて暫くしてからだった。ラーシュの領地では私の看病を彼の奥方がしてくれた。彼女に会った時驚いたよ。彼女は最後まで私に付き添って逃げてくれた乳母の娘、私の乳兄弟だったんだ。ラーシュの父はリードヴァルム王国に攻め入った時従軍させられていたらしい。そしてこっそり子供を保護したり民衆を逃がしたりしてくれたらしい。彼女は保護された子供の一人で成長してラーシュの妻になった」
長い長い話も終盤を迎えようとしていた。
私は『おとうさん』を恨んだことが無い。記憶を失っていたから。私が父親を慕う気持ちはお父様が補ってくれたから。
でもお母様は?ずっとずっと帰ってこない夫を待ち続けるのは辛すぎる。生きているのか死んでいるのかもわからない。オリヴェルト様の話を聞いてすぐに帰るのは難しかったのだろうと思う。でも手紙を出すことは?せめて生きていると知らせることはできなかったの?
そう思いお母様を見るがお母様は穏やかな顔でオリヴェルト様を見つめていた。
「私は静養しながらトシュタイン王国の現状を知った。ラーシュたちはその頃からクーデターを計画していた。しかし味方は思うように集まらなかった。トシュタインの王族の権力は強い。その力を恐れて尻込みしてしまうものも多かった。彼らは強い指導者を欲していた。竜神の血を受け継ぐリードヴァルム王族の最後の生き残り、私は彼らが欲していた強い旗印だったんだ。クーデターを起こした時なるべく迅速に民間の被害を少なく王族を打ち取るために私は名を変えて王宮に潜入した。数々の手柄を立てて宰相補佐までのし上がった。王宮の抜け道や騎士、兵士たちの配置などつぶさに調べ上げた。ようやくここまで来た。やはり私は父や母たちの復讐から逃れられなかった。でもこの復讐が終わったら、この大陸からトシュタインという国を消すことが出来たらいつかはトランタの町に帰りマリアとヴィヴィの行方を捜したいとずっと思っていた」
「あの……」
「何だい?ヴィヴィ」
「オリヴェルト様はお母様に手紙や……生きていることを知らせることはできなかったんですか?」
私がオリヴェルト様と呼んだ途端彼は物凄く悲しそうな眼をした。
「そうだね……無理をすればできたかもしれない。でもトシュタイン王国から国交のないヴェルヴァルム王国に手紙を出すことは大変なんだ。何人もの手を経ることになる。どこで秘密が漏れるかもしれない危ない橋を渡るわけにはいかなかった。私だけでなくラーシュや他の仲間も危険にさらすことになる」
「クーデターが成功してその後にトランタの町に帰ってきたら私やお母様が待っていると思っていましたか?」
「いや……正直なところわからない。待っていて欲しいとは思っていたが五年を過ぎたあたりからもう無理だろうと半分諦めていた。ただマリアとヴィヴィが幸せでいるかそれだけが気がかりだった。ヴィヴィはもう私の事なんか覚えていないだろうしマリアも新しい夫がいるかもしれない……それでも私の家族は君達だけだから」
「あなたは諦めていたかもしれませんけど私は信じていたわ」
お母様がオリヴェルト様の手をぎゅっと握ってきっぱりと言った。
「そうですね。あなたは私の家、アウフミュラー侯爵邸で働くことになった九年前から今まで一貫して夫は必ず帰ってくると信じていた」
お父様は昔を思い出すように感慨深げに言った。
「あなたは終始揺らがなかった。必ず夫は帰ってくると信じていた。その強さに私は感銘を受けていたのです」
「ありがとうございます、アウフミュラー侯爵。でも強いわけではないんです。ただ信じていただけです。私の夫は……私が人生を共にしたいのはこの人だけです。仮令離れた場所に居ても」
オリヴェルト様はお母様をぎゅっと抱きしめた。彼の眼に光るものが見えた。
私は……私は……
もちろん感動はしている。彼はなんて過酷な人生を送ってきたのだろうと、そしてその中で精一杯お母様を愛し私を愛してくれた事は信じられる。十年間帰れなかった事情も納得できる。幼いころの思い出もある。ただ……
私は振り返ってお父様を見た。
お父様……アウフミュラー侯爵はただ静かに私を慈しむように見つめてくれていた。
お父様のこの瞳に守られてきたのだ。十年間ずっと。今はお父様ではないけれどもフィル兄様やエル兄様、アウフミュラー侯爵家の皆が私の家族だという思いが消えないのだ。ずっと。
実の父親に距離を感じてしまう私は薄情なのだろうか?一目会っただけで『おとうさん』だとわかったのに。血のつながりははっきり感じているのに。
「ヴィヴィ。無理しなくていいのよ。あなたはあなたの心のままに」
お母様が席を立って私の前に来ると私を抱きしめながら言った。
私はお母様の胸に顔をうずめて頷いた。
それをオリヴェルト様は複雑な表情で見ていた。
暫くしてオリヴェルト様は口を開いた。
「ここで会えて嬉しかったがまだ待ってもらわなくてはならない。けれど必ず迎えに来る。勝って必ず君たちを迎えに来るよ」
そうだ、戦いはこれからだ。オリヴェルト様たちはこれから戦争をするんだ……絶対に生き残るなんて保障はどこにもない……
「オリバー、必ず迎えに来て。信じて待っているわ」
お母様に続いて私も言った。
「必ず生きて……私たちのところに戻ってきてください」
国王陛下はオリヴェルト様の話の間も私たちのやり取りもずっと静かに見守っていてくれた。陛下としては思うところもあったに違いない。お母様はヴェルヴァルム王国の王女なのだから。でも静かに見守っていてくれた。私たちは陛下に改めてお礼を言った。
もう帰らなくてはいけない時間だった。
席を立とうとした時にオリヴェルト様が陛下に向かって言った。
「第一王子サロモネの事ですが……来年の大規模侵攻の折に何かまだ企んでいるようなのです」
「それは……?」
「いえ、詳細はわからないのですがメリコン川を渡っての侵攻の他に何か手を考えているようで……私ももう少し探っては見ますが」
「無理はなさらないでくれ。貴殿が怪しまれてはクーデターの計画に差しさわりが出る。私たちもこれから一年万全の備えをする。大丈夫です。ヴェルヴァルム王国は強い」
「ありがとうございます。お互いの勝利を信じましょう」
陛下とオリヴェルト様は再び固く握手を交わして会談は終わりになった。
部屋を出るとき、陛下とお父様は先に出た。
そして私はオリヴェルト様とハグをするとお母様とオリヴェルト様を残して部屋を出た。
たった数分だけれど二人きりにしてあげたかった。




