決意
夜会前日の午後、ジークはやっと暇を見つけてヴィヴィに会いに来た。
このところずっと忙しく婚約者としてのお茶会も暫くお休みになりヴィヴィに会える機会が全くと言ってよいほどなかったのだ。
週に何度か一緒に取っていた食事も時間が合わずヴィヴィはずっと東の離宮の自室で食事をとっていると聞いていた。
これから訪問する旨の連絡を入れヴィヴィの私室を訊ねる。
出迎えてくれたヴィヴィを見てジークは密かに息を呑んだ。
しかしジークが声を掛けるより前にジークに付き従っていた人物が後ろから飛び出した。
「ヴィヴィ!ヴィヴィ!どうしたんだ!?こんなにやつれて!目の下に隈もできているじゃないか!」
フィリップがヴィヴィをぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「どうした?悩みがあるなら僕に話してごらん?すべて解決してあげる。それともレーベッカに苛められたのか?はっ!もしかして僕に会えなかったからか?寂しかったのか?ごめんよヴィヴィ!」
フィリップの言葉を聞いてレーベッカが眉を吊り上げた。
ジークはフィリップを引きはがしにかかった。
「ふふっふふふっ……」
私は笑いだしていた。
この二、三日よく眠れなかった。食事もあまり喉を通らず目の下に隈もできた。と言っても二、三日の事なのでやつれたとまではいっていないと思うが。レーベッカが酷く心配して原因を訊ねてきたがとても話せなかった。
そうして二、三日経ち、私は悩むことに疲れたのだ。長い間悩んでいても問題が解決するわけではない。それなら当たって砕けろだ!私の性格は悩み続けることに不向きだった。
ジークとトシュタイン王国のあの人、どちらに最初に当たって砕けようかと思っていた時ジークから今から行くと連絡が入ったのだ。
そして最後の一押し。フィル兄様がいつもと変わらない愛情で接してくれたから私は踏み出せる。私の懸念をジークに話す。そうして彼が少しでも嫌悪感を見せたら、トシュタイン王国の貴族の血を引くかもしれないことにためらいの表情を見せたら……すっぱりと婚約を解消しよう。そう決心して私はジークに向き直った。
ジークはブツブツと文句を言っていた。
「どうしてフィリップは僕がヴィヴィに言ってあげたい事ややってあげたいことを先にやってしまうんだ……ヴィヴィが悩んでいたら悩みを聞くのは僕の役目だ。悲しんでいたら慰めるのも僕の役目だ……それなのに……今更僕が言っても二番煎じじゃないか……」
二番煎じじゃないよ。ジークの言葉はいつだって私にとって特別だ。
そんなことを思いながら私はジークに言った。
「ジーク、お話があります」
部屋には今私とジークしかいない。
ドアは開いているので婚約者同士ならセーフだろう。
と言ってもフィル兄様がドアの隙間から恨めしそうにこちらを覗いているが。
防音の結界を張ってもらって私は先日の出来事を話した。
出来事と言ってもただ庭でトシュタイン王国の人に会っただけだけど。
「それで……それで私はその人を見たときにこの人は『おとうさん』だって確信してしまったの。今となってはどうしてそう思ったのかわからないのだけど。髪の色も違うし遠目で見ただけで顔立ちもはっきりわからない。でも……その確信が消えないの」
ジークは私が思っていたのと違う反応を見せた。
もっと驚くかそんなことあり得ないと一笑に付すと思っていたのだ。
ジークは何やら考え込んでいるようだった。
「私……ジークと婚約を解消した方がいいのかなって——」
そこまで言った時初めてジークは驚いた表情を見せた。
「えっ!?どうして!?僕、なんかヴィヴィにしたかな?なかなか会えなかったから?」
「違うわ。でもトシュタイン王国はジークのお母様の敵でしょう?嫌じゃない?」
「はっ!?トシュタイン王国の全ての人間が敵なわけじゃないよ」
「でも……あの人は国王の手先でしょう?敵方の人間だわ」
ジークは私の眼を覗き込んだ。
グッと顔が近づいたのでどぎまぎしてしまう。こら!今はときめいてる場合じゃないでしょう……自分で自分を叱りつけた。
「いいかいヴィヴィよく聞いて。僕が君と婚約したいって言った時には君の出自は全く明らかになっていなかった。アルブレヒト伯父上が君がトシュタイン王国の王族の血を引いている可能性もあると言っていただろう?でもそれでも僕は君と結婚したかった。君が誰の血を引いていようと関係ない。僕は君だから一生を共にしたいと思ったんだよ。君は違うの?」
私は首を振った。そうだった。あの時にジークはアルブレヒト先生に「ヴィヴィが誰の血を引いていようと関係ない」とはっきり言ってくれたんだった。どうして忘れていたんだろう。おまけにジークの愛情を疑うようなことを考えた。
「いいかいヴィヴィ、これからは二度と婚約を解消するなんて言わないでくれ。心臓が持たない」
「ごめんなさい……」
私は素直に謝った。
心はすっきり晴れ渡っていた。私が誰の娘でも関係ない。私はジークと結婚する。
あとは心置きなくトシュタイン王国のあの人と対面するだけだ。
対面して父親でなければそれでいい。父親だったら縁を切る。十年間放っておかれたのだ、切るような縁があるかもわからなかったが。それでも血がつながっていたとしたらけじめは必要だろう。
「それはちょっと待ってくれないか?」
ジークからストップがかかった。私がトシュタイン王国の者と会うことは政治的に何か不味いのだろうか?それとも身の危険があるとか?
「必ず彼と会う機会を作るよ。約束する。しかしそれについては僕に任せて欲しいんだ。大丈夫、ヴィヴィが心配しているようなことにはならないから」
そう言ってジークは帰って行った。
そして夜会の次の日、私はお母様とお忍びで街に出かけた。なんと国王陛下とお父様も一緒に。
夜会の次の日で忙しいだろうに大丈夫なのだろうか?と思ったが明日からは帰国する賓客が挨拶に訪れるのでこのタイミングしかないそうだ。今は夜会の次の日の午前中なのでさすがにまだ帰国する人たちはいない。というか国内の出席した貴族たちも午前中はゆっくり寝ているだろう。
しかしどうしてジークじゃなく陛下が一緒なのだろう?トシュタイン王国のあの人と会う機会はジークが作ってくれると言った。陛下が一緒ということは私があの人を『おとうさん』じゃないかと思ったことは陛下も知っているということだ。やはり昨日の夜会で何かあったのだろうか?お母様はあの人を見てどう感じたのだろう?
お母様に聞いてみたいことは沢山あったが陛下も一緒のこの馬車の中で聞いていいものかわからない。もちろん陛下やジークに隠し事をするわけではないがすべてがあやふやな今の状況でどこまで話していいのか?それとも陛下も一緒に馬車に乗っているということは陛下はもっといろいろな事がわかっているのだろうか?
わからないことだらけだった。
陛下に聞いてみたら「前回は私はお留守番だったからな。今度は私の番だ」と答えられ謎が深まるばかりだった。前回って?
そうして私たちは王都の繁華街から一本外れた閑静な場所に建つ隠れ家風レストランに着いた。




