トシュタイン王国大使一行
謁見の間で国王ヘンドリックはトシュタイン王国の一行と対面した。
護衛や使用人を除けば国王ヘンドリック、宰相ルードルフ、王太子ジークハルトの三名が謁見に臨んだ。
前に進み出て口上を述べた第七王子は年のころは二十代後半か。栗色の巻き毛の柔和な顔つきの青年だった。柔和な顔つきだからと言って性格も柔和だとは限らないが。現にクーデターを画策している。
後ろに護衛よろしく立つ壮年の精悍な人物はラーシュ・シュトレーム子爵だろう。
そして一際目を引く人物、宰相補佐官のグラート・カルドッチと紹介された人物をヘンドリックはそれと気づかれないよう観察した。
グラート・カルドッチという人物は一目で他の者たちと違っていた。オーラが違うとでもいうのだろうか。態度こそ殊勝に第七王子の後ろに控え、目を伏せているものの只者ではない何かをヘンドリックは感じた。
これは後でルードルフの意見も聞いてみようとヘンドリックは思った。
年齢的にはヘンドリックより少し若いぐらいだろうか?長めの黒髪を後ろで一つ結びにし、黒縁の眼鏡を掛けているため瞳の色はわからないが顔立ちは非常に整っていた。顔が整っているせいだろうか、怜悧な刃物のような印象だった。
「よく参られた。夜会まで一週間ごゆるりと過ごされよ」
とだけヘンドリックは言った。
他の国の賓客たちにはもう少し長い言葉を掛ける。彼らは夜会まで滅多に来られないヴェルヴァルム王国を楽しむのだ。王都の街に繰り出したりつてを頼って他の貴族とお茶会をしたり、貿易に伴う話し合いをしたりすることもある。その為に西方のある国などは一か月も前に我が国にやってきた。学院への視察を受け入れることもあるが、今は五年生が竜と契約する時期だ。今回は学院や竜の森の近くへの視察はすべて断っていた。
謁見終わりに第七王子が言った。
「王太子殿下にもご挨拶申し上げたいのですが」
要請に従いジークが一歩前に進み出る。
第七王子が手を差し出したのでジークは近づき握手を交わした。
そのまま一行の者たちと握手をかわしていく。ラーシュと握手をしたときにほんのわずかではあるがジークの目が見開かれた。
一行が退出した後、ジークは手の中の紙をヘンドリックに見せた。
その紙には内密で話をしたい事、王都の街のどこかに場所をセッティングして欲しい事、一行のほかの者に気取られないように連絡は内密にラーシュを通して行って欲しい事などが書かれていた。
「トシュタインの者は気が早いな。まだ到着したばかりだぞ」
「でも父上や私に会う機会はそんなにないでしょう。まごまごしていると夜会が終わって帰国しなくてはならなくなります」
「それもそうか。早速場所を手配しよう。こちらの読み通り第七王子は内密に接触を図ってきたな。やはりお目付け役は宰相補佐官のグラート・カルドッチだろう」
そこまで言ってヘンドリックは傍らのルードルフを振り返った。
「ルードルフ、君は彼を見てどう思った?」
「一筋縄ではいかない人物……いえ、もっと何か……カリスマのようなものを感じました。急遽宰相補佐官のグラート・カルドッチなる人物について調べさせたのですが近年急激にのし上がってきた官僚の一人らしいです。それ以外は報告が上がってきておりません。過去は不明」
「彼についてはなお一層注視する必要があるだろう」
ヘンドリックはルードルフに指示を出した。トシュタイン王国の一行については一人一人に王国騎士団第四隊の騎士が内密に張り付くことになっている。第四隊は調査や諜報活動などに特化した隊だ。
密談は二日後。王都の繁華街から一本外れた閑静な場所に建つ隠れ家風レストラン。その個室で行われることになった。
そのレストランは王家の息がかかっている。当日は貸し切りにし万全の警備体制を敷いた。
会談に赴くのは宰相ルードルフ、王太子ジークハルト、ビュシュケンス侯爵アルブレヒト、フーベルトゥス騎士団長の四名。
ヘンドリックは自分が参加するつもりだったが国王と王太子が同時にお忍びで出かけることに懸念を示された。代わりにアルブレヒトが向かうことになり全権はジークに託された。
アルブレヒトはのんびりしたソフトな話し方と反比例して実際は気性の激しい人物だ。最愛の妹を二人も殺されたトシュタイン王国に深い恨みを抱いている。恨みを抱いているのは国王ヘンドリック自身もルードルフもジークも同じだがアルブレヒトが暴走しないとは言えない。そこは冷静にルードルフが抑えてくれるだろうと期待している。
今後のことは二日後の密談次第だろう。
私は本宮の庭園をレーベッカとアロイスを従えて歩いていた。
お母様のお披露目の夜会が近づいた最近はアルブレヒト先生の魔術の授業もお休みになりがちで、かといってお披露目の準備に忙しいお母様のところに顔を出すのも気が引けて。同じように忙しいジークやフィル兄様のところにも顔を出しづらく……要するにちょっと暇だったのだ。
というわけで本宮にある庭園が今は秋薔薇の盛りだと言うので見に来たのである。
お披露目の夜会に急遽トシュタイン王国の大使がやってきた事情はジークから聞いた。もちろん極秘事項である。レーベッカもアロイスも本当の事情は知らない。
秋薔薇の庭園は見事だった。グッと色味を増した深い赤の薔薇が華麗に咲きほこりその区画を抜けると紅葉に彩られた樹木が広がる。紅葉の美しい色彩と金木犀などの香りを楽しんでいた時、私は庭園の奥に見慣れない人たちがいるのに気が付いた。
今の時期は外国からの賓客が多い。その賓客の誰かだろう。この本宮の庭園は夜会などで使われるホールの外に広がっており比較的出入りが自由な庭園だ。外国の賓客もこの庭園には出入りを許されている筈である。
見慣れない一団の中の一番背の高い人物がふとこちらに気が付いた。
私は遠目に簡単な礼をしてその場を去るつもりだった。
その人物が私を見つめたまま動きを止めた。
身体を電流が走り抜けた。
その人物はこちらを見ていた。黒髪で黒縁眼鏡を掛けている人物だ。私はこんな容姿の知り合いはいない。眼鏡のせいで瞳がどこを向いているのかもわからない筈なのにその人物が私をじっと見ていることは確信できた。目が合ったのがわかった。そして私もその人物から目が離せなかった。
暫く立ち尽くしたまま動かない私を不審に思ってレーベッカが声を掛けた。
「ヴィヴィアーネ殿下どうされましたか?」
「あ、あそこにいるのは……誰?」
ああ、声は震えていないだろうか?足はガクガク震えている。声の震えに二人が気が付かないで欲しい。
レーベッカは遠くにいる人たちが誰だかわからずアロイスが答えた。
「たぶん……トシュタイン王国の一行の者です」
……目の前が真っ暗になった。でも倒れる訳にはいかない。気取られる訳にもいかない。力の入らない足に必死に力を入れて私は立っていた。
トシュタイン王国の者だと聞いた途端レーベッカが眉を吊り上げた。
「ヴィヴィアーネ殿下、関わり合いにならない方がいいと思います。どんな危険が潜んでいるかもしれません。早く離宮に引き上げましょう」
「そ、そうね……」
必死に足を動かした。去って行くときにも背中にその人物からの視線を感じていた。