第八十四話:マルグリットとイグニスフィールの攻防
一瞬、意識が飛びそうになりました。
目の前がぐにゃあって歪んでいって意識が…… 飛ばなかったんですけどね。
悪夢だと思った。
いえ、悪夢でもいいから夢であってほしかった。
現実であってほしくなかった。
来ているお客様がよりによってイグニスフィール・フレイムロードだったなんて……。
正体伏せてたのに…… 全部台無しになってしまったわ。
向こうは向こうで時が止まったかのように動きが止まっている。
その上で目は見開いたままこちらを見ている。
目の前にいる私とあの時助けに入った少女が同一人物なのか、計りかねている状態なのね。
落ち着きなさい、マルグリット!
とりあえず平静を保ってあくまで初対面を演じるのよ。
あの場にいた少女はマルグリットではないとアピールするのよ。
ククク、演技派令嬢マルグリットの真骨頂はここからよ。
そんな事を考えていたら、時間が止まっていたイグニスフィールが『コイツ…… 動くぞ!』という感じでハッ!と我に帰って来た。
しかし、後ろに立っていた護衛の人は未だに固まっている。
私は作り物の笑顔でニッコリと微笑みつつ、学生時代のマナー授業で手に入れた渾身のカーテシーで貴族令嬢を演じる。
「グラヴェロット家当主の娘、マルグリットと申します」
…………ん? 違う違う、私は本物の貴族令嬢なのよ、何よ演じるって……。
普段は森の中で魔獣とキャッキャウフフなランデブーばかりしてるから自分が貴族である事を本当に忘れてしまいそうだわ。
ちらりとお父さまの方に目をやってみると『???』な顔をしている。まるで『本物のマルグリット?』とでも言いたげだ。
すみませんね、普段は貴族令嬢らしくなくて……。
イグニスフィールの顔を見ると、どうやら今は落ち着いているみたい。
先程のテンパり具合が消えてなくなっているように見える。
流石は次期宰相と名高い(当時)イグニスフィール…… あの頃の陰キャ具合が全くない。
これが本当のイグニスフィールという事ね。
「素敵なご挨拶をありがとうございます、マルグリット嬢。私はフレイムロード伯爵家の嫡男、イグニスフィールと申します。以後、お見知り置きを」
『お見知り置きしたくないので、さっさとお引き取りください』と言えれば、どれだけ心が楽になるのかしら。
兎に角、今は上手くやり過ごして先程割り込んだ少女イコールマルグリット説を否定しなければならない高難易度ミッション!
ここは先手必勝!
「遅くなりまして申し訳ございません。私、本を読むのが趣味でして、つい……」
イグニスフィールの表情がパアッと明るくなる。
予想通り食いついてきたわね、やはり餌に食いつく魚程度の知能しかない残念な男。
所詮、このマルグリットの敵ではないわ。
「僕も本を読むのが好きなんです。グラヴェロット領に来た理由も大きい書店あるからと噂で聞いたからなんですよ。マルグリット嬢はどのような本を読まれるのですか?」
クク、ここからが罠師令嬢マルグリットの本領発揮よ。
「――という純文学小説がおススメなんです。今日も朝からずっと読んでおりまして…… 読書をしてますと、つい時間を忘れてしまいがちでして……」
イグニスフィールの眉がピクッと動くのを見た。
――おそろしく細かい表情の変化 私でなきゃ見逃しちゃうわね
これで私の方が数歩リードもしてるんじゃないかしら?
「ずっと朝からですか…… 今日はどこにも行かれていないのですか?」
「はい。先程も申し上げました通り、ずっと自室で本を読んでおりましたわ」
私はニコニコした表情で当たり前の様に自信を持って発言する。
その直後「代わりのお茶をお持ち致しましたぁ」とナナが応接室に入って来た。
私はその時嫌な予感がした。ナナって今日私が外に出てから私の部屋に来てないかしら?
しまったわ、場所を指定して言うんじゃなかった。そこを突っ込まれたらナナが反応してしまうかもしれない。
一旦話をそらしましょう。
「フレイムロード様が最近読まれているおススメ等あったら教えて頂きたいですわ」
「そんな…… イグニスフィールと呼んで頂けませんか?」
ウザッ! 陰キャ仲間認定してた当時であれば考えてやらんこともなかったかもしれないけど、貴方は私の敵なの。馴れ馴れしくしないでほしいわね。
「宰相家、それも…… ご嫡男の方相手に恐れ多いですわ」
ニコニコしながら断固拒否の姿勢を取る。
そこに何故かお父さまが割って入ってくる。
「マルグリット、イグニスフィール殿のお父上であらせられるフレイムロード卿はパパとも仲がいいんだ。次世代のフレイムロード家とグラヴェロット家も同じ様に仲良くなってくれるとパパは嬉しいな」
欲しくもない情報ありがとうございます、お父さま……。
この男は王子側の立場、私はフィルミーヌ様側の立場があって、この両者には分かり合えない程に深い…… とにかく深い溝があるのです。
お父さまとフレイムロード卿の仲がいいのは分かりましたが、十年後にこの男が私達を罠に嵌めた結果、娘が命を落とす事になると知ったらお父さまはどう思うのでしょうね?
それでも貴方達は仲良く居られますか?
ふぅ…… 言いたい事を心の中でズバズバ言ったら少しではあるけど心が落ち着いた。
私も貴族だから、本音と建前はうまく使い分けなければならないのは理解できる。
今から喧嘩を売って両家に徹底的な溝を作ってしまうよりも、上っ面だけ仲良くして後から叩き潰すのもありかも知れない。
仕方がない、油断を誘うためにも嫌々ながらに呼んでやるわよ。
わざとらしく、もじもじしながら「あの…… それではイグニスフィール様とお呼びしても?」と少々上目遣いで尋ねてみる。
イグニスフィールは嬉しそうに頷いている。
その光景を見たお父さまはうんうんと頷きながらも「仲良くなるのはとても良い事ですが、未婚の男女である以上”限度”というものはありますので、その点をお気を付け頂ければ……」と圧をかけている。
イグニスフィールは引きつった笑顔で首を縦に振った事を確認した後、お父さまは仕事の続きがあるという事で執務室に戻っていった。
その様子を見ていたナナは「フフッ」と嬉しそうに小声で微笑んでいた。
「ナナ?」
私が反応すると、ナナはバツの悪い顔で「も、申し訳ございません。お二人の会話に入るつもりではなかったのですが……」と口にしたところイグニスフィールがフォローを入れて来た。
「構わないよ。何か嬉しい事でもあったのかい?」
「あの…… その……」
ナナは私にチラチラ視線を送ってきて話を続けていいか確認を取ってくる。
私がにっこりと首を縦に振ると嬉しそうに語り出した。
「私、嬉しいんです」
「嬉しい……?」
「はい、マルグリットお嬢様は数年前まで体調を崩しやすい御身体でした。最近はご病気になられる事も無くて、外に出られるようになってから同年代のご友人が出来て、悩みを解決されたりして、お嬢様が毎日イキイキ過ごされているのが嬉しいんです」
「ナナ……」
ずっと私の事を心配してくれていたものね。そう思っていてくれる貴方が傍にいて私も嬉しいわ。
「イキイキか…… フフッ、先程聞いていたマルグリット嬢の印象とは違うみたいだね」
「そうなんですよぉ、最近は本当にお屋敷にいるより外にいる時間の方が多いくらいなんですよ。今日だって朝からいませんでしたし……」
「……ん? 今日の朝から?」
イグニスフィールがナナの発言を聞いて、先程の私との会話を頭の中で整理しているのか、無言で私を見つめ始めた。
ちょっ! ナッ……ナナァッ!
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