第八十二話:閑話 少年、初めての感情①
――初めてだった。あんな強烈な印象を残した女の子は。
魔獣に襲われたと知った時、戦う力のない僕は馬車の中で蹲っている事しか出来なかった。
護衛の二人の内、一人が魔獣に倒された時にきっと僕はここで死んでしまうのだと思っていた。
その時、突然狼の悲鳴の様な声が聞こえた。それと同時にうちの護衛が誰かと話をしている?
状況が分からない事が余計に怖くなって、つい声を出してしまった。
「そっ、そこにいるのは…… 誰?」
すると、返事が返って来た。
「通りすがりの助っ人です。私の事はお気になさらず、大人しく中にいてください。危ないですから、決して外には出ない様に…… いいですね?」
「は、はいっ!」
その言葉からは力強さを感じた。とても頼もしくて、つい声を大きく張り上げてしまった。
声からすると女の子? どんな子なんだろうと思い、怖いながらも馬車の中から外を見た時に先程話しかけてくれたであろう女の子がうちの護衛と狼型の魔獣の間に立っていた。
周辺を見渡してみると、既に三体の魔獣が地面に転がっていた。
まさか、これを全て彼女が? その子は年齢が年下と思う程に幼かった。
けど…… その姿は幼いながらもとても凛々しく、顔つきから雰囲気は大人の女性と見間違うほどの印象があった。
そのギャップについ彼女の姿を追っていた。
残っていた狼は巨大で彼女の十倍…… いや、それ以上あろうかという体格差だった。
大丈夫なのだろうか…… ドキドキしながら彼女の戦いを見守る。
彼女は目の前から消えたかと思ったら、次の瞬間に巨大な魔獣は吐血しており、気が付いた時には顎を跳ね上げられた後に遠くに飛ばされていた。
何が起きたかさっぱりわからなかったが、彼女が倒したという事だけは理解した。
僕は夢でも見ているのだろうか……。
「今みたいな魔獣とは比較にならないほど強い魔獣をソロで倒す人はこの領にいたりしますよ」
「今のより…… 強い魔獣を…… ソロで……」
僕が住んでいる領は王都から比較的近い事もあって、周辺が整備されているため、あまり魔獣の類が出現するという事は少ない。
だから正直口にしづらいんだけど、兵士の質もそこまで高くない。ほぼ、人間の犯罪者などを相手にしているから。
魔獣の様な人間の力を超越した存在と戦える人間は少ない。だから彼女の発言には正直びっくりした。
この領には彼女の様な存在が他にもいるという事を言っているのだろう。もしかしてこの領はそんな人ばっかりなのだろうか?
同じ国内なのに別の国に来たみたいな感じがする。
「失礼ですが、皆様はどちらからいらしたのでしょうか? 今の話の流れだと他領から来られたのかと思いますが……」
「えっと…… 我々は……」
護衛が話しにくそうにしている。国の『宰相』を務めている家の人間がいきなり領の外で、しかも子供一人と護衛二人のいわばお忍び旅行みたいな事をしているから言い難いのはわかる。
喧伝しすぎて良からぬ輩に金銭目的等で狙われる様な事は避けたい。だからと言って、命の恩人に隠し事はしたくない。彼女と直接話がしてみたくて僕は勇気を振り絞ってドアを開けた。
「命の恩人に何を隠す事があるのですか、誠心誠意お伝えしなければフレイムロード家の名折れというもの。話しにくいのであれば僕からお話ししましょう」
彼女は時が止まったかのように目をぱちぱちさせている。
あれ、上手く伝わらなかったのだろうか……。それとも家名が通じていない?
事前情報ではグラヴェロット領には領主家以外の貴族はいなかったはず。
ということは、彼女は間違いなく平民なのだろうけど……。領主の娘がこんな所で魔獣を狩っている訳ないよね。
でも佇まい、話し方はまるで貴族そのものだ。余程教育熱心な家庭なのかもしれないけど…… 彼女の育ちはさておき、とりあえず自己紹介を続けることにした。
「申し遅れました。僕はフレイムロード伯爵家のイグニスフィール・フレイムロードと申します」
あれ、彼女の顔色が悪くなっているように見える。
露骨に”伯爵家”と言ってしまったのが良くなかったのだろうか。
平民からすると領主は天上人の様な存在ではあるのは分かる。僕の家の爵位はそれより上だから委縮してしまったのだろうか。
失敗した…… 爵位に関しては濁しておけばよかったと後悔した。
「だ、大丈夫です。伯爵家なんて大貴族様に生きている内に直接お会いできるなんて思いもよりませんでしたから緊張しちゃいまして……」
ああああああっ、やっぱり無駄にプレッシャーを掛けてしまった。そんなつもりは毛頭ないのに。
どうしよう、どうしよう…… とりあえず平民にも親しまれる伯爵家をアピールしてみよう。
「伯爵家はそこまで大貴族ではありませんよ。多少王族と仲良くさせて頂いている程度の事です」
あれ? なんかテンパっているせいか余計な事を言ってしまった気がする。
「何をおっしゃいますか、若! 次期宰相となられる若を擁するフレイムロードが大貴族でなく誰が大貴族だというのですか」
ちょちょちょちょ、お願いだから余計な事を言わないで!
これ以上彼女が委縮してしまったら会話もしてくれないかもしれない。
僕はまだ彼女と会話を続けたいんだ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…… あっ、そうだ。
「もしよければ、一緒には来てくれませんか? また道中で魔獣に襲われるかもしれないので、貴方のような方が護衛に付いていただけると、とても助かるのですが……」
一旦爵位から話を逸らせばどうにかなるかもしれない。
それに自分で言うのもなんだけど、女の子にお願い事をして断られた経験がない。
僕の周りにいた女性は、僕がお願いするとすぐに言う事を聞いてくれる。
だから彼女も…………
「申し訳ありません、そうして差し上げたいのはやまやまなのですが、家の方向が逆という事とあまり遅くなると両親に叱られてしまいますので…… それにこの先の道は舗装されていて定期的にギルドから巡回もありますので滅多に魔獣と遭遇する事も少ないので、問題ないかと思います」
…………えっ!?
なんで? どうして? 訳が分からなくなった。僕が貴族だから?
正直、立場とかどうでもいいんだ。僕は君ともっと話がしたい、君と一緒に居たい…… それにまだ君の名前すら聞いていない。
だから、彼女が急いで僕達の前から立ち去ろうとした時、咄嗟に言葉が出た。
「あっ、待って! 君の名前を…… って行ってしまったか。それにしても凄いスピードだ」
僕の言葉なんて一瞬で届かなくなる程の猛スピードで僕達の目の前から去ってしまった。
「既に何人ものご令嬢を虜にしてきた若のスマイルが全くきかないお嬢さんがいるなんて世界は広いですなあ」
「前から言ってるけど僕はそんなつもりは全くないんだけどね……」
そう、本当にそんなつもりはないんだ……。
虜にしたい訳じゃなくて、悪印象を与えたくないだけなんだ。
誰だって最初から他人に嫌な印象なんて与えたいなんて思わないだろう。
だから今まで出会ってきた女の子は僕は第一印象が悪くならないように微笑みかける。
今までの女の子たちはと頬を赤らめて喜んでくれる。
だから笑顔で接する事にしているんだ。これは父上からの助言でもある。
でも彼女からは頬を赤らめるどころか、不快感を示しているように見えた。
「であればご自重なされた方がよろしいかと。もしくは…… 婚約者を早く決めてご令嬢達との無用なやり取りを避けるという手もありますな」
婚約者か…… 父上からも言われている。
彼女がもしも貴族であれば……。
いや、余計な希望は空しくなるだけだ……
せめてもう一度だけでもいい……
「…………また、彼女に会える時があるだろうか」
また会いたい。
そう思った女の子は初めてだった。
次に会えた時は名前を教えてほしいな。
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