第六十話:マルグリットの決意
私は割れた窓ガラスから下を覗き込み、ペトラの様子を伺ってみると、彼女は落下した勢いで地面に叩きつけられたが普通に起き上がり、キョトンとした表情で周囲の状況を確認している。
まさか子供に蹴り飛ばされて二階から叩き落とされるなんて予想もしていなかったのでしょう。
その時、背後からバタバタとこちらの部屋に向かってくる足音が聞こえた。
ドアが開かれた場所に立っていたのはクララだった。
「クララ、目が覚めたの?」
クララは暗がりの部屋で明かりもつけてなく、窓ガラスが大破している部屋の状況に困惑しているようだった。
「突然大きな音が聞こえたので目が覚めたんです。一体、ここで何が……」
今ここで『ペトラと戦ってまーす』なんて言った所で、彼女がいきなり信じる事も出来ないでしょうし、一旦ここはさっさと戻ってもらう事にしましょう。
「不審者が突然現れたから撃退している所なのよ。貴方は危ないから部屋に戻っていて頂戴」
あれ…… 何か突然考え込んでる。さっさと戻ってくれないとこっちが先に進めないのだけれど……。
「あ、あの…… わ、私もお手伝いできませんか?」
何を言ってんの、この子は……。意を決したような表情で訴えて来るけど、少々魔法を習った程度でいきなり実践――しかも下手すれば殺し合いになるのに、そんなことさせられるわけないでしょう…… 一つ間違えたらトラウマものだわ。
「ダメよ、これは遊びでも無ければ訓練でもない。相手は平気でこちらを殺しに来るのよ。貴方は大人しくお屋敷の中にいなさい………… もし、何かしたいのであれば屋敷で住み込みしている女中たちを庭から遠く離れた場所で集まる様に指示してきて。巻き添えを食らいたくないでしょう?」
「で、でも…… 私は屋敷内では嫌われてまして……」
嫌われているというか怖がられているが正しいのでしょうけど、キッカケでも与えなければこの子はずっと孤立したままになってしまう。
それに…… 唯一の心のよりどころでもあるペトラが実は自分を騙して連れ去ろうと知ってしまったらこの子の心は余計に閉ざされてしまう。
後悔と自責の念で押しつぶされそうなときだからこそ、尚のこと行動を起こさないといけない。ここが貴方の踏ん張りどころよ、クララ。
「このまま放っておくと、被害が出て、下手をすると見殺しにする事になるかもしれないのよ。被害を抑える為にも早く行きなさい。貴方は私の弟子なのだから自信を持ちなさい」
クララはうつむき加減で私の話を聞いていたが、突然ハッとして私を見つめている。
「わ…… わかりました。が、頑張ってみます。マルグリット様の弟子として恥ずかしくない様にしてみせます」
おぉ、思いのほか効いてる。私の弟子と言う言葉にこれ程の効果があったとは……。
クララはそう言うと、部屋から走って出て行った。
さて、こちらの方もそろそろ始めますか。
私は窓から飛び降りてペトラに向き合うと、ようやく現状把握をしたのか落ち着いた表情をしている。
「なるほど…… 貴方が先ほど言った事はこういうことでしたか……」
「貴方が勝手に魔法が多少詳しいだけの令嬢と勘違いしたのでしょう。もう察しはついたでしょうけど、私が最も得意とするのはガチンコよ」
メデリック公爵家で見習い騎士として学んでいた頃は剣術が一番得意だったんだけど……
今は完全にこっちなのよね。
「……あ、貴方は一体何なんですか?」
「随分と漠然とした質問ね」
「……では、質問を変えます。貴方の目的は何なのでしょうか?」
「――目的? 元々の目的はクララの魔力暴走の原因を特定する事…… だけど、貴方の話を聞いて”絶対”にやるべき事が増えたわ」
「……それは……なんでしょうか」
「クララをここから連れ出す事を阻止する事……
そして……
ヴェルキオラ教団を滅ぼす事にしたわ」
「――!?」
ペトラは茫然としている。
私の言葉は届いているはずなのだけど…… きっと私の言葉が理解できていないのではなく、言葉の意図をそのまま受け止められないのでしょう。もしかしたら、曲解すらしているかもしれない。
何しろ大陸最大の教団であり、その歴史は実に数千年以上とされている。
教団を信仰している教徒や孤児などを含めても数百万にも上るかも知れない。
その歴史と実績を持つ教団を”滅ぼす”と言ったのだ。
そうだ、私の…… 私達の人生はヴェルキオラ教団によって滅ぼされたと言っても過言ではない。
ならば、逆に滅ぼされても文句は言えないはず。
数千年の歴史……? それがどうしたというの。
数百万の教徒……? そんなこと私には関係ない。
私達が味わったあの地獄は経験した者にしか理解できない。
だから知ってくれとは言わない、理解して欲しいとも言わない。
小説の主人公の様に「みんなで平和の道を模索しよう」などという頭の中がお花畑の様な事を言うつもりは一切ない。
ただ、味わえばいい。私達が受けたあの恐怖と絶望の数千分の一でもいい…… お前たちに刻みつけてやる。
今の発言を普通に考えたら私は頭のおかしい狂人と思われるでしょう。
だけど、私の本気の目を見ているペトラは私の発言が虚言でない事を理解しているだろう。
だから言葉が出ないでいる。
時が止まったかの様なペトラが唾を飲み込み、ようやく口を開いた。
「あ…… 貴方…… だったんですか…… 貴方が…… 予言に現れた…… 教団の…… 敵」
あぁ、そういえばそんな事を言っていたわね。
たしか…… 黒い靄で敵が見えない…… そんな話だったはず。
けど、今なら納得できる。
本来の私は今頃実家で本の虫で引きこもっていたから、ここにはいない存在。にも関わらず、今はここにいる。
その矛盾が正確な姿を映し出す事ができなかったのかもしれない。
教団の敵…… か…… 間違いではないでしょうけど、けどね……
「そこは訂正が必要ね。教団の敵が私なんじゃない…… 私の敵が教団なのよ」
「そっ、それは――」
「同じ事ではないわよ。どちらが狩るもので狩られるものか立場をハッキリさせてあげる」
「――っ!?」
「おしゃべりが過ぎたわね。そろそろ――」
始めましょうと言いかけた瞬間に二つの高速移動する影が私とペトラの近くまで来たことを察知した。
一つ目の影は…… 見た事のない男だった。
中肉中背で一目見た感じはパッとしないというか、印象に残りにくい様な容姿と恰好をしている。
男はペトラに近寄っている。教団の関係者かもしれない。
「ペトラ、何をやっている。何か異変を感じてきてみたらどういう状況だ」
「すみません…… 邪魔が入ったのですが、目の前にいるあの少女が私達の…… 教団の敵です」
男は私の方を見て何か驚愕している。まあ、見た目子供だしね。
「あんな子供が……。 いや、あれ本当に子供か? 殺気も佇まいも普通じゃないぞ……」
「ええ、彼女さえどうにか出来れば…… 後はもうお嬢様を無理やりにでも連れて行く事にします」
「わかった。向こうにも援軍が来たようだから、そっちの相手をしておこう」
男が現れたとほぼ同時にこちらにも二つ目の影が近づいてきていた。
二つ目の影…… それはメリッサだった。
「お嬢様、夜中にあるまじき物音が聞こえて来たので不安になって侵入してきたんですが正解だったようですね」
「入口に衛兵がいたはずなのだけど……」
「騒がれても侵入しにくいと思いましたので、当身で眠らせてきました」
「そうね、いい判断だったわ。下手に割り込まれても邪魔になりかねないし」
メリッサはペトラを視界に入れると今まで見た事のないようなものを見た不思議な表情をしている。
「お嬢様…… あの異形のモノは一体……」
「今回の魔力暴走事件の実行犯であり、クララの侍女であるペトラよ」
「はっ!? あれがペトラ殿? …………なるほど、確かに面影はあるようですが…… 隣の男は?」
口調は驚いている様だけど、表情はあまり変わっていない。
メリッサって案外表情筋が硬いのかしら? 話し方からすると感情は結構豊かだと思うんだけど……。
「恐らくペトラの協力者かと思う。私も今初めて会ったわ」
「お嬢様、ご指示を」
「貴方はそっちの男を抑えてくれるかしら。私がペトラとやるから」
「お嬢様…… だ、大丈夫なのですか……?」
メリッサは不安そうに私を見ている。
幼女が異形の何かと戦うなんて普通は誰だって止めるでしょう。
だから何か言ってくるのは想定の範囲内だけど…… コイツだけは誰にも譲るつもりはない。
「詳しい事は差し控えるけど、私にとって因縁みたいなもの。だから…… 手を出す事は許さないから」
私は軽くメリッサを睨む様な目つきで視線をやると、軽くため息を吐いて諦めたような表情をしている。
「畏まりました。ですが…… 万が一、お嬢様の命に関わると判断した場合はお叱りがあったとしても割って入らせて頂きます」
そういうとメリッサはどこからともなく取り出した短剣を二本手に取って、ペトラの協力者――教団員と思われる男の方を向いていた。
「分かったわ。そうならないように私も努力しましょう」
私はペトラと向き合い、メリッサは教団の男と向き合って二対二の戦いが今始まる。
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