第二十七話:トラウマ
「お嬢様、今日使用人達の間で話題になってたんですけど、北方にあるゲンズブール辺境伯が何者かに襲われて殺されたという事件があったという話を聞いたんですよ」
ナナの口から『殺す』という単語はあまり聞きたくないが、知っておかねばならない内容ではある。
自国の貴族でしかも辺境伯という大貴族が殺されたとなるとかなり一大事だ。その国の貴族として私たちも他人事ではなくなる可能性がある。
「北方ねえ、巨大な山脈に挟まれているとはいえ、超えた先には帝国があるし、もしかしたら帝国の刺客かもしれないわね」
――レガエリス帝国
国力はエシリドイラル王国の比ではない。大陸最大の巨大な国で、国土だけでも五倍、兵士数に至っては十倍とまで言われている。
うちの国ではどうあがいでも勝ち目がない。そんな国に万が一にでも攻め込まれようものなら忽ち蹂躙されてしまうだろう。
よりによってその玄関口となる辺境伯が倒れたのだ。今頃王宮は揉めに揉めてる事だろうな。次の辺境伯ないしはあの場所に誰を据え置くのかとかね。
今は平和条約があるから帝国も表立って攻めて来たりはしないだろうが、いつ突然破棄されて襲い掛かってくるかわかったもんじゃないからこちらも準備はしておくに越したことはない。
「辺境伯の件については、他にもいくつか不自然な点があるみたいです」
「ムッ、なんか途端にミステリーみたいになって来たわね」
不謹慎なのは承知だが、ワクワクしている自分がいる。ゲンズブール辺境伯閣下、お詫びとお悔み申し上げます。
「まず一つ目は犯人が外壁をよじ登った形跡がなかったとの事です。
辺境伯は窓を割って侵入してきた犯人に殺されてしまったとの事なのですが、辺境伯のお部屋は二階とのことでしたので、外から侵入した場合は壁をよじ登って窓を割って侵入すると考えるのが一般的です。
ですが、その跡がなかったようですので、どうやって二階の窓から侵入したのかが不明です」
「風魔法を使えば出来ない事もないけど…… 周りに気付かれずに人が浮くほどの魔力なんて使ったらバレそうよね
もしくは魔力検知が出来ない程遠い場所から高魔力の風魔法で飛んできて辺境伯の部屋の窓に突撃すれば出来ない事もないわね。遠くからピンポイントで辺境伯の部屋の窓に突撃するなんて緻密な魔力制御ができればの話だけどね。
うーん、でもそんな高魔力で魔力制御が出来る程の人であれば、一気に辺境伯邸を破壊した方が早そうだからわざわざ隠すメリットもないわよね。
ちょっと今の所はわからないわ。次は?」
「はい、では二つ目です。辺境伯は魔獣の様な爪で体を切り裂かれた結果、絶命したとのことです。身体にもその痕跡が」
「爪? 人間の仕業ではないって事? はたまた魔獣を操ったって事? まさか…… あいつらは本能のみで生きる獣よ。人間が魔獣を操る術なんて聞いたこともないわ。
魔獣を意のままに操るなんて書籍の中の話だけよ。もしかしたら、何れパラスゼクルの魔道具研究所の連中が作り出すかもしれないわね。魔獣を操る魔道具とか」
「お嬢様、そういうのを書籍では『ふらぐ』って言うのではありませんでしたっけ?」
「ナナ、不吉なこと言わないで頂戴。私も悪かったとは思うけど…… 話を戻しましょう。その二つだけなのね?」
「いえ、三つ目もあります。犯人は辺境伯殺害後、飛び去ったとのことです。これは見回りの衛兵さんが証言したらしいのですが
窓が割れた音を聞きつけて庭から回って確認しに行ったところ、犯人らしき物体が辺境伯の窓から飛び去ったとのことです」
「んんん? 今の話を聞く限りだとやっぱり魔獣になっちゃうわね。しかも空を飛べるタイプ…… 物体と表現しているみたいだけど、何かまではわからなかったって事よね?」
「だそうです。何分深夜の事でしたから、暗くて見えなかったそうですが、何かが飛んで行ったという事だけはわかったそうです」
「魔獣とは言ったものの、ピンポイントで辺境伯の部屋の窓を突き破って、辺境伯だけ殺害して、窓から去っていくとか辺境伯に対する殺意高すぎるでしょ。行動だけ見れば完全に人間のそれなのよね。頭脳は人間で性質は魔獣なんて生物存在するのかしら?」
「そうですよね…… あっ、そろそろ時間。お嬢様申し訳ございません。奥様からの頼まれごとがありますので、この辺りで失礼しますね」
お母さま、私のナナを使うだなんて後で一言言っておかないといけないわね。
「ミステリー関連の話をしてたら読みたくなってしまったわ。買いに行きましょう」
ミステリー脳になってしまった私は本屋に繰り出すべく準備を始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一人で馬車に乗って街に繰り出そうとすると、誰かをつけられてしまうのでコッソリ抜け出して街まで走って来たのだ。
「ナナはいないし、油断するとヘンリエッタがついて来ようとするし、馬車で二人きりにでもなった日には貞操の危機だわ」
本屋に向かって歩いている最中にミステリー以外も物色しようかなど考えている最中に横道から突然現れた少女に気づかずぶつかってしまった。
少女は尻もちをついてしまったが、私は普段の訓練のおかげで微動だにすることもなく、ただ少女をはじき返す形になってしまった。
「考え事をしていたから、気付かなくてごめんなさい。立てるかしら?」
私は少女に手を伸ばすと、私の手を掴んだが、その手は汗ばんでいる。よく見ると少女は息を切らしており、急いで走ってきたことがわかった。
少女の手を引っ張り立たして顔を見ると、見覚えのある少女であることがわかった。
「あら、あなたこの間人攫いに誘拐された子じゃないかしら?」
お祭りの日に誘拐された少女だった。私が潜伏場所を突き止めて、少女を救出するだけの予定だったのだが、人攫いが『赤狼の牙』と関りがあったため、ひと騒動起こしたという思い出に浸ろうとすると彼女が息を切らしながらも口を開いた。
「ハァハァ…… ぶつかって…… ハァハァ……すみません……」
「一旦深呼吸して落ち着きなさい。何かあったのかしら?私でよければ話を聞くわよ」
少女は大きく深呼吸をして落ちつた所で私の顔を見てようやく私の事が分かったようだった。
「あ! あの時のお貴族様ですか? その節は本当にありがとうございました。あ、あの…… マークを…… 弟を探しているんですが見ていませんか?」
少女の弟と言えば、お祭りの際に私に助けを求めてきた、つまりは事件を知るきっかけとなった人物でもある。
今度は弟が誘拐でもされたのだろうか? もしそうだとしたらどれだけ誘拐されやすい姉弟なのだろうか。とりあえず聞いてみることにした。
「今後は弟さんが誘拐でもされたのかしら?」
「いえ、違うんです。多分街の外に出ちゃった可能性があって……」
「街の外? 言い切れるということは見当がついているという事かしら? であれば事情を話してもらえるかしら?」
少女は神妙な面持ちでポツリポツリと話し始めた
「実は祖母が前々から慢性的な病にかかってるんです。しばらくは下級回復薬でなんとか体調維持はしていたんですが、今日の明け方に急に容体が悪化し出して…… やはり根絶治療しないとダメみたいなんです。その薬があまりにも高価でうちの家計では到底手が出せる金額ではありません。その最たる要因となっている素材がとある魔獣の角なんです」
「とある魔獣?」
「グランドホーンです」
まさか、ここでその名前を耳にするとは思ってもいなかった。
私はその魔獣の名前を聞いた瞬間に背筋が凍っていくのが自分で解った。心なしか息も荒くなって来ているのが自分でもわかるほどだ。
それもそのはず、グランドホーンとは前回の人生の冒険者活動で死にかける寸前まで私を追い込んでくれた魔獣の名前である。
当時学園に通っていた貴族令嬢が冒険者の真似事をするなど嘲笑の対象でしかなかった。
しかし、フィルミーヌ様の剣となるべく自分が強くなるための手段として使えるものはなんでも使った。
冒険者活動はその一環だ。気が付いた時には学園に通う貴族令嬢として初のソロでDランクを達成した。
この事実は学園にすぐに広まり、フィルミーヌ様もイザベラも喜んでくれたし、嘲笑していた令嬢達も絡んでこなくなった。
その時から私は調子に乗っていたんだと思う。CランクどころかBランクも夢じゃないなど考えていた。
ところが現実はそんな甘いものではなかった。書籍で良くありがちなフレーズの様に『〇〇で世界最強』なんてものは存在しない。
よせばいいのにランク上位の魔獣討伐をソロで行う気満々で、受付のお姉さんには散々止められたはずだったのに受けてしまったのだ。
元々グランドホーンの名前は知っていた。魔獣図鑑とか読むのも好きだったから。
殺気を向けると執拗に追ってくるなどといった性質に関しても勿論知っていた。
遭遇したグランドホーンは穏やかな表情で草を貪っていた。その光景を見て思ったより簡単なのでは?と考えていた。
試しに向けた殺気に気付いたグランドホーンがこちらを振り返った時に発したグランドホーンの殺気と雄叫びが威圧となって襲い掛かってくる。
これほどまでとは思っていなかった。私は一瞬で足が竦んでしまい、息も碌に出来ない状態に陥ってしまったのだ。
そしてグランドホーンは私に向かって突進してくる。これが想定を遥かに超えた速度だった。最初は馬と同じくらいでは?などと思っていたが、倍以上の速度で突進してきたのだ。
当然私は動ける状態にないのでモロに食らってしまった。いくら『魔力展開』していようが、想定を超えるダメージなどある程度抑えることができても防ぎようはない。
一瞬で身体全身の骨をバキバキにされた私は動けるはずもなく死を覚悟したが、グランドホーンの雄叫びを聞きつけて来た高ランク冒険者によって討伐してもらい救出された。
それ以来、グランドホーンの名前を聞くだけで竦み上ってしまう体質になってしまった。
所謂『トラウマ』というやつだ。
身体が昔に戻ったのだから大丈夫かと思いきや、全く大丈夫ではなかったようだ。身体というより魂に恐怖が刻み込まれてるんじゃないかと思うくらいだ。
よく考えたら『赤狼の牙』には殺されておいて恐怖を微塵も感じていないのに、殺されてないグランドホーンに恐怖を感じるのも可笑しな話だ。
私は額に汗をかいていたことに気付き手の甲で拭う。これがただの討伐であれば『無理』と言ってトンズラすればいいのだが、人命しかも自領民の命が掛かっているのだ。さすがにこのままにはしておくわけにはいかない。
「いくしかないか……」
「えっ?」
少女は聞き間違えたかな?という表情をしているが、恐らく聞き間違えではない。
「私が弟君を連れ帰ってくるわ。相手がグランドホーンは流石に不味いわ」
「で、でもお貴族様にご迷惑をおかけするわけには……」
聞き間違いではないと気付いた少女は慌てだす。
「そう思うのであれば、次からはちゃんと言い聞かせておくことね。戦う術も持たない子供があんな場所で何が出来るというの?死ぬこと以外に出来る事なんてないわ」
『死ぬ』というフレーズを聞いて少女は明らかに表情が青ざめている。
「そ、そんな…… ど、どうしよう…… お、お願いします。なんでも致しますから弟を…… 弟を助けてください」
突然土下座を始めた姉に私は驚いてしまった。人通りもある場所で『なんでもしますから』なんてフレーズに加えて土下座するなんて傍から見たら私が脅しているみたいじゃないのよ!
「ちょ、ちょっと顔を上げてくださるかしら? 今あなたに出来る事はこれ以上被害を拡大させない様にすぐに家に帰って弟君の無事を祈る事。あと、おばあ様にはこの事は言ってはダメよ?ショックで余計に寿命が縮んでしまうかもしれないわ。下手をするとそのままポックリ逝ってしまわれるかもしれないわ。そればっかりは私には責任とれないもの」
「わ、わかりました。度々ご迷惑をおかけして申し訳ございません。弟が無事に帰ってこれたら御礼をさせてください」
御礼はいらないから私に余計な心配をかけさせないでほしいわ。と言いたいところだけど辞めておこう。
彼女は頭を下げると元来た道を引き返していった。
「常闇の森か…… まさかこんな形で因縁の魔獣と再会することになるとはね」
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