あなたが一番……?
もうかなり前、息子が幼稚園に通っていた頃のことです。
息子が通っていた幼稚園は、月に一回程度、子育て関連の記事が載った薄い小冊子が保護者向けに配られていました。
子供へ読み聞かせる短いお話や、季節のおかずやオヤツのレシピ、よくある子育ての悩みに対するアドバイスなどが載っている冊子です。
どこの園でも、似たようなものは配られるでしょうね。
活字は一応目を通す癖のある私、その小冊子も配られる度に毎回、読んでいました。
その中で未だに(息子はすでに中学生)記憶に残っていて、思い出すともやっとしたものが胸に湧いてくる記事があります。
子育てのアドバイス的な記事でした。
現物はもうすでに処分しているので記憶だけになりますが、こんな内容でした。
子供は誰でも、自分こそがおかあさんの『一番好き』でありたいもの。
たとえば三人、子供がいるならば。
ひとりひとり別々に、膝に抱いてこっそり『内緒だけど、おかあさんが一番好きなのは○○ちゃん(今、膝に抱いている子)だよ』と囁いてあげましょう。
どの子にもそれぞれそう言ってあげることで、子供たちは『おかあさんが一番好きなのは、僕(私)なんだ』という誇りを持ち、いい子に育ちます。
読んだ瞬間、いやぁな気分になりましたね。
まず、そんな(いい加減な)ことを言って、子供にバレたらどうするんだと思いました。
そもそも、子供相手に内緒もへったくれもあるか、とも。
兄弟喧嘩でもして、もし誰かが
『僕(私)は、お母さんに一番好きって言われてるんだから!』
なんて言い出したら一発でアウト。
それぞれが『自分こそがおかあさんに一番好かれている』と主張するでしょう。
最終的に、確認の為におかあさんに訊きにいくなんてことになったら、一体どうするのか?
みんなそれぞれ一番好きだよ、なんてヌルいことを言っても、子供が納得する訳ないでしょう。
誰が一番で誰が二番とか、紛糾する修羅場しか思い浮かびません。
それに、そんな(いい加減な)ことを言われた子供が、以後、真っ直ぐ母親の愛情を信じられるでしょうか?
私が子供だったなら、どの子にも『あなたが一番好き』なんて言う調子のいい母親に対し、不信感を持つ気がします。
確かに、バレなければいいでしょうけど。
余程の策士、あるいは人たらし的才能のあるおかあさんでないと、子供すべてに『あなたが一番好き』などと言って、死ぬまで信じ続けてもらえることはない気がします。
こんな危険な『アドバイス』が、園の配る小冊子に堂々と書かれていることにも驚きましたね。
もしこのアドバイスに素直に従い、修羅場になったお母さんが一人でもいたとしたら……、と思うとゾッとしました。
これと関連して思い出すのが、山本甲士先生の作品『ひかりの魔女』。
とある浪人生の青年の一人称で語られる、彼の父方の祖母が(こっそり)活躍することで、家族間や町内の問題を解きほぐして解決する、というタイプの、ヒューマンドラマです。
お話自体は面白いです。
飄々としたマイペースなお婆さんが、周りの人たちをうまーくノセたり、時には弱者のふりをして頼ったりし、相手に『いかにも自分の意思で』そうしたように思わせて転がし、困った事態の解決や改善をするという話。
そう、お話自体は面白かったのです。
でも……私。
このお婆さん、どうも好きになれないのです。
彼女は悪いことなど一切していませんし、広い意味では自分の為かもしれませんが、周りのみんなが幸せになるよう、さりげなく心を配っています。
彼女がちょっと動くだけ、ちょっと一言アドバイスをするだけ、昔ながらの美味しいお惣菜を作って誰かに食べさせるだけ、で……事態は良い方へ転がります。
年配者の知恵と経験はすごいなと、そこは素直に思います。
でもこのお婆さん。
先に書いた『あなたが一番好き』と囁くおかあさんと、同じことをするのです。
サスガに年の功、彼女は直接『あなたが一番好き』とは言いません。
でも、彼女に転がされている人はみんな『自分こそが彼女に、一番好かれている』と信じています。
信じさせるように、彼女はほのめかすのです。
(優しい嘘、と表現される。聖女でなく魔女なのも納得です)
その辺を主人公の青年も察し、軽い不信を持っているのですが。
その不信も『あなたは鋭いねえ』的な感嘆の言葉で、うやむやにされてゆく感じです。
悪い人じゃないけどリアルでは関わりたくない人だなあ、このお婆さん。
それが私の正直な気持ちです。
嘘も方便とか、優しい嘘とか、否定はしません。
必要な場合もあるでしょう。
でも私は、優しい嘘をうまくつける自信がありません。
優しくない?真実(事実)だけをツケツケ言うのは、あまりにも大人として稚拙なやり方だと思いますけど。
だけどこの辺は、才能がない人間は手出ししない方がいいなと思います。
嘘を上手につく自信がない人間は、嘘をついてはいけないと思います。
私は昔から、嘘をつくよりつかれる側の人間だから。
『優しい嘘』、特に『あなたが一番好き』という、感情の嘘をつかれるのは。
どう言い訳されたとしても、悲しいと思うのです。