無知のヴェール
この短編はジョン・ロールズの思考実験から着想を得たフィクションであり、いかなる学術的背景を持つものではない。
神々の庭の一区画。ここには人間として生を得る前の魂が多数集っている。
彼らは一様に白い球体の姿をしており、それぞれが生誕のときを待っている。
魂たちは相互に意思疎通を図ることができるが、生誕する際の性別、国籍、肌の色、経済的余裕、一切の情報を与えられていない。つまり、一切のバックグラウンドなしでの対話を余儀なくされている。
また、彼らは生誕したとき、自分が魂であった頃の記憶は一様に失ってしまう。
以上が、神々の庭の基本的なルールである。日々、彼らはこのルールに則って、雑談をしつつ、生誕のときを待っていた。
「一体我々はどのような境遇の子供として生を得るのだろうか。」
ある魂が雑談のテーマを提起した。すると、何人かの楽観的な魂たちが応えた。
「私はできたら、音楽家の家に生まれたい。そして私自身も有名な音楽家となるのだ。」
「いや、音楽は価値がわからない人もいる。それよりも私は金持ちの家に生まれたい。富は誰に対しても普遍的な価値を持っている。私が生まれたときどのような者であろうと、富は必ず私を幸福にしてくれるだろう。」
「いやいや、金で買えない幸せもある。私は見目麗しい人間に生まれ、多くの人に愛されたい。愛こそが普遍的な価値だ。」
一方で、悲観的な魂たちもいる。
「良い境遇は求めないから、苦しむだけの生涯を送るのは御免だ。」
「私も同意見だ。いまの世の中は飢えている人間が多い。私たちは楽しい人生を夢見るよりも、覚悟を決めておいた方がいいだろう。」
この神の庭で、楽しい人生を夢見て過ごすことと、悲観して覚悟しつつ過ごすことのどちらが正解であるかは定かでない。どちらにも相応の理由があるようである。いずれにしろ、彼らの正解なき意見交換会は大いに盛り上がった。
このような意見交換を開始してから数日経ったころである。神より魂たちに向けて、商人が遣わされてきた。
「私は保険屋です。魂の皆様にある保険商品をお勧めしたく、まいりました。」
魂に保険を売る商人とは、なんとも荒唐無稽な話だが、神より遣わされてきた商人である。魂たちは商人を信用し、話に耳を傾けた。
「私がお売りする保険は、生誕前のいま購入していただきます。生誕したとき、もしもあなたが持たざる者であった場合、保険が降り、最低限度の生活が保障されます。一方、持つ者であった場合、財産の一部を貧しい者への支援に充ててもらいます。支援に充てる財産の量は、生まれながらにして持つ財産の量に比例します。」
「つまり、富があればあるほど、たくさんの富を貧しい者に分配しなければならない、ということだな。」
「その通りです。ただし、お支払いいただくものはお金とは限りません。生まれながらに持つ財産にはいろいろなものがあります。音楽の才能や、愛も財産の一つでしょう。」
「才能や愛を再分配するというのは、要領を得ないな。」
「才能であれば、生まれながらの非才に苦しむ者に、愛であれば生まれながら愛されることのない者に、再分配されます。人間は数が多いですから、必ずそれぞれの財産について持つ者と持たざる者がいるのです。手続きはお任せください。」
「そういうものか。ところで我々は生誕すると記憶を失うが、保険のことは忘れてしまうのか。」
「忘れてしまいます。自分が支援を受けているのか、分配をしているのかも当然わかりません。」
この後も魂たちからの質問は相次いだが、一通り商人は説明を終えた。結局のところ、一部の極めて楽観的な魂を除き、すべての魂がこの保険を購入した。
さて、この話を書いている私は、大学の講義室で、私たちのルーツとしてこうした話があるということを聞いた。もちろん、私は保険を購入したかどうかは覚えていない。しかし、私は面白くもなく、安定志向な性格である。私の性格が、魂であった時代から変わらないのであれば、きっと保険を購入していただろうと、私は確信している。
しかし、私は幸せであると感じたことはないし、満たされたと感じたこともない。むしろ、閉塞感から、生きている意味すら見失うほどである。
果たして、私は支援された者なのだろうか。再分配をした者なのだろうか。
そして、保険に意味は、あったのだろうか。




