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5.二年4月AB

「山崎は、三点透視図法を基礎からおさらいだな」


 キャンバスには、不格好なホーエンツォレルン城がドイツの黒い森と、青空の中に浮かんでいた。


「あっ。先生」


 突然、後ろから声がした。 驚いて振り向くと、小林先生だった。


 小林先生は、美術部の顧問も引き受けてくださっている。昨日、指導してもらった限り、先生の絵の技術は高い。それは、昨日教えてもらって分かった。


「山崎がこれまでに描いた絵って、いまあるか?」


「あっ、美術準備室にしまってあります。持ってきます」


 描き終わった絵は、家に持って帰ってもいいのだけれど、私の部屋の壁は小さく、飾るとしたら二合くらいの小さな絵になる。


 それに、良い絵があったら玄関にでも飾るぞ、とお父さんが言っていたけどそれはちょっと恥ずかしい。


 これまでに私が描いた絵を美術室の机の上に置いていく。絵を上から覗き込むような形となる。


「井上、お前も観るか?」


 小林先生が、井上君にも声をかけた。


「はい」


 美術室の机に並べられた絵。私が美術部に入ってから描いてきた十点ほどの絵。それを先生と井上君が、ゆっくりと机と机のあいだを歩きながら眺めていく。


 美術館や展示会のように壁に絵が掛けてあるというわけではないけど、私の描いた絵を小林先生と、井上君が真剣に観てくれる。

 

 私は二人が観賞してくれているのを教室の隅で待つ。窓の外では野球部が練習をしている。健太がマウンドでピッチングをしていた。夏の大会に向けて、シンカーという新しい投法を練習中らしい。精度が安定せず、川島君が健太の球を捕るのが大変らしい。


 教室でゆっくりと観て回る小林先生と井上君の背中。


 どうしてだろう。とてもそっくりに見える。身長が全然違うのに。井上君は男子では小柄な方だ。小林先生の方が身長は十センチくらい高い。


 雰囲気は似ていないかもしれない。だけど、背中はとても似ている。前屈みになって机の上の絵を見ている姿はとても似ている。

そういえば、小林先生も井上君も名前の漢字が「蒼」だ。小林蒼(こばやしあお)先生と井上蒼(いのうえそう)君。


「二点透視図法を使った風景画はやはり上手だな」


 小林先生が言った。


 先生はなぜだか泣いていた。


「先生って涙もろいんですか?」


 今日の国語の時間も泣いていた。先生は泣き虫なのかもしれない。でも、嬉しくてなのか、悲しくてなのか、それとも私の想像のつかないような感情かもしれないけれど、自分の絵を観てくれて、それで心動かされている人がいるということは、嬉しい。


「懐かしくてな」


 先生はスーツの後ろポケットからハンカチを取り出して涙を拭いた。


「懐かしい?」


「あぁ、俺はこの高校の卒業生だからな。って、四月の始業式のときに、校長先生がそう言って紹介していたじゃないか。聞いてなかったのか?」


「すみません」


 校長先生の話は長い。講壇でずっと喋っている。それに、なんだか始業式や終業式の日に校長先生が話す内容は、どこかで聞いたことがあるような話ばっかりなのだ。


「そうだ。山崎、今日国語の時間、突然、朗読指名してすまなかったな」 


「いえ。びっくりしましたけど」


「山崎くらいしかまだクラスの生徒のこと、分かってなくてな」


「そうですよね」


 産休を取っている間だけの臨時の先生。どことなく影があるところがいぃ、と言っているクラスの女子もいる。


 先生も、そしてクラスのみんながやっと慣れて馴染んだときに産休が明けて。小林先生とはサヨナラということになってしまうのだろう。


「さて、職員会議の時間だ。それじゃあ、頑張れよ。あっ。そうだ。これを三点透視でデッサンしてみろ。きっと勉強になる」


 小林先生は、机を机の上に裏返して載せた。机の面と面が重なり合うように。そして、三十度ほど上の机を回した。机の脚が四つのお城の塔に見えなくもない。


「井上もやってみるように」


 小林先生は美術室から出て行った。


 残された私と井上君。そして、机の上に置いた私の描いた絵。


「この机のデッサンって、意味があるのかな?」


「消失点に沿って画けているかを見直せってことじゃないかな」


「そういうことだよね」


 四角形の机の上に、少し捻られて置かれた四角形の机。少しだけ応用ということだろうか。


「さらに、ここにこれを置いてはみたらどうかな」


 井上君は、裏返された机の上に、造花の花が詰まった花瓶を置いた。


「じゃあ、これも置いてみる?」


 電池切れの目覚まし時計を、私は花瓶の横に置いてみた。


「それは……なんだかサルバトーレ・ダリの絵みたいだ」と井上君が笑った。造花のヒマワリの横に、電池切れの時計が置かれることがお可笑しようだ。


「じゃあ、カマンベール・チーズみたいにこの時計を溶かさないと」


 私は、写実主義派のミレーの絵がとても好きだ。ピカソやダリの良さは分からない。印象派のモネの絵も好きだけど。


 私と井上君は、美術室の机に置いて回った絵画を美術準備室へと戻す。美術室は直射日光を避けるために、いつでもカーテンは閉じられたままだ。太陽を沢山吸い込んでいる美術室とは違って、薄暗い。


「今度、僕も先生に絵を見て貰おうかな」


 小林君が美術室にしまってある自分の絵を見つめている。


「見てくれるんじゃないかな」


 職員会議の前の忙しい時間に、わざわざ美術室に足を運んでくださるということは、美術部の顧問としても活動してくれるのだろう。


「今度頼んでみるよ。でも、自分の絵を観てくださいって頼むのって恥ずかしいね。山崎さんは、どう頼んだの?」


 たしかに、絵を観てくださいって、自信満々なような気がして、少し恥ずかしい


「ん? 頼んだわけじゃないけど。今日、先生がたまたま言い出してくれたんだ」


「そうだったんだ。何回も観てもらっていたのかと思ってた」


「え? どうして?」


「山崎さんの絵、褒めてたから。二点透視図法を使った風景が上手だって。僕もそう思っていたけど……」


「描いている絵を見たからじゃないかな? いま、ホーエンツォレルン城の模写しているし」


「そうなの?」と井上君が首を傾げ、でもあの絵は、「三点透視で描いてるよね? 二点透視じゃない」


 先生が、『二点透視図法を使った風景画はやはり上手だな』と言っていた。



「どうして、『やはり』だったのかな?」


 私は言った。美術準備室の棚に置かれてあるギリシャ風の白い石灰の石像たちが、私を見つめている気がした。


「僕もそう思った。でも、もしかしたら、美術準備室のカギも持っているはずだし、僕等がいないときに観に来てくれたのかもね」


「それだったら、井上君も絵の感想聞きやすいね」


 井上君と私は、美術室に戻り、絵の制作を再開した。夕暮れだった。相変わらず健太はマウンドにいて、ピッチングの練習を続けていた。私は美術室の窓から健太を眺める。右手と左手の親指と一差し指でL字をつくり、そしてそれを四角形になるように重ねた。


 『練習している健太』


 今度、野球部の練習風景を絵にしてみようかな。球場での試合の風景を描くのも良いかもしれない。

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