4.一年生十月AB
昔ながらの気質の高校だからなのか、男子校だったことの名残だろうか。
秋に、全校をあげて、登山へと出かける。
山と言っても、車道が山の頂上にまで通っており、ロープウェイもある。
恋人たちが夜景を楽しむのにお手軽な場所である。
『交際者がいる輩は、この町では往往にして、接吻の時期に差し掛かったならば、飛鳥山へと夜景を観に行くべし。ロープウェイの往復チケットの料金も千二百円と、彼女の分をも負担しても、映画より安価と知るべし。
夜景の展望台では、あちらこちらに接吻するアベックが散見され、その雰囲気が醸し出す浪漫の香りは押し並べて貴殿の援軍と知るべし。 飛鳥、山に遊ぶなり。』
我が野球部では、そんな言い伝えが語り継がれているところでもある。
だが、とにかく、高校では、その飛鳥山に登る。学徒動員に備えての体力トレーニングに起源をさかのぼるという事らしいが、良く分かっていない。
わざわざ、高校から歩いて出発し、山の麓まで行き、そこからわざわざ旧道となる山道を登り、頂上で持って来た弁当を食べ、そして同じ道を通って下山して高校まで戻って、校長の訓話を聞いて解散となる。
しかも雨天決行、という今時では珍しいようなPTAが抗議しそうで抗議しないギリギリのカルキュラム。
翌日が休校となるのは嬉しいが、野球は練習があるからあまり変わらない。
「こら、自販機で飲むものを買うな」
「やべぇ、早く飲むぞ。伊藤」
高校から出発し、山の麓に行くまでには、当然、自動販売機がある。財布にはお金もあるわけだ。喉が渇いたら買う。
全校生徒が歩くのだから、行列は長くなる。信号待ちだってある。
先生に見つからないように自販機で買って、一気に飲んで直ぐにゴミ箱に捨てる。炭酸飲料を水筒に持っていくことは難しい。
俺は一気に飲み干して自販機横のゴミ箱に空き缶を入れて証拠を隠滅した。伊藤は涙目だ。俺は350㎖を買ったが、伊藤は500㎖のを買っていた。
さすがに500㎖の炭酸を一気飲みするのは辛い。涙目になりながらも飲みきっていた。
そして、何もごともなかったように行列の中に加わりまた歩き出す。
飛鳥山はもうすぐだ。
飛鳥山を登り始めて一時間経つと、それぞれ歩くペースが変わってくる。運動部は練習の走り込みと比べれば、傾斜のある山を登ることは苦ではない。
が、普段から運動をしていない奴は、登っているうちに疲れて歩くスピードが遅くなってくる。
「班で一緒に登るように」
「一番ペースの遅い人に合わせるように」
体育教師が注意を促している。
クラスで適当に男女で班分けをして、その班単位で固まって登る事になっている。班員にトラブルが起こったら、班で対応する。休憩をするのも班単位。登っていくのも班単位となにかと面倒である。
自分のペースで登っていくのなら、飛鳥山なんて走って登って、走って降っても良いくらいだ。ワン・ゲームを投げきるピッチャーにはそれくらいの体力が求められる。
が、登るペースが遅い奴に合わせて歩くというのは、逆に疲れる。
三々五々というか、班単位でまとまって歩いて行動していくなんて出来るはずがない。バラバラになっていくのは当然のことだ。
「ねぇ、相田君、みんなを待っていようよ」
小さなベンチだけの休憩所が登山道の脇にある場所で、後ろから声をかけられた。
振り返ると、同じ班になった山崎が俺の三つ下の石段にいた。
山崎と初めて喋ったかもしれない。
というか、こいつ、俺のペースについて来れていたのか。たしか、運動部ではなく、音楽かなにかの文化部だった気がする。
「いや、そのうち追いつくだろう」
「先生に怒られちゃうよ」
たしかに班単位で行動するってことにはなっていた。
「いや……そうだけど。チクるなよ?」
俺は押し黙った。まぁ、班員を置いて先に歩いていくのは褒められた行為ではない。とは思いつつ、別に班員は仲間ってわけじゃない。
たとえレギュラーではなくても、ベンチに入れなくても、応援席で応援することになっている野球部の部員は仲間だ。けれど、班員は、なんか違う気がする。飛鳥山で遭難なんてするわけもないし、ゆっくりでも誰だって登れる。
「あっ。ここ、景色がいいね」
山崎が言った。
「あっ。私たちの高校も見える」
見晴らしが良く、町が一望できた。確かに見えた。らせん状に山を登っていくうちの、この場所は町側らしい。校舎が、そしてグラウンドが見えた。当然のことながら、グラウンドには誰もいない。
「分かったよ」
俺はベンチに座った。
別に早く頂上に登っても、早く弁当が食べれるということではない。
「相田、バテたのか? なに休んでるんだよ」
どうやら俺が座っているのが滑稽なようで、俺のことをからかいながら伊藤は他の奴等と先へと進んでいく。追いつかれ、追い抜かれていくのは気分が良いものじゃない。
俺の班は、男子は俺と本多。女子は、山崎と清水だ。
「あっ。先生」
「ん? 山崎、大丈夫か?」
「はい。先に登りすぎたので、班の人を待っているんです」
俺たちに追いついた他のクラスの先生が山崎に声をかけた。
「体を汗で冷やさないように注意しろよ」と行って先生も登っていた。
俺は景色を観るのに飽きて、俺は座りながら登ってくる奴等を眺める。清水の姿は見えない。ゆっくり登っているのだろう。
山崎と会話しようとも思ったが、山崎は鼻歌交じりに、右手でL字、左手でL字を作り、それで四角形を作り、ベンチだけの休憩所をうろうろしている。両手で作った町を眺めたり、紅葉を眺めたり、登山道の真ん中に行って、登り道を見上げたり、登り道を見下げたり。
何が楽しいのだろうか?
「ベンチに座った相田君」
山崎が作った四角の中に俺が入っていた。
山崎が作った四角形の置くには、山崎の右目があった。目が合った。
四角形の下には山崎の唇があり、笑っているようだった。
「なにしてんの?」
「構図を考えてるの」
「こうず?」
「私、美術部だから。絵を描くから」
「あぁ……」
美術の時間に、なんかそういう感じのを習った気がした。山崎は音楽系の部活ではなく、美術部だったらしい。
「相田君は、どんな景色をみているの?」
ん? と思う。俺が観ている景色。
俺は少し考えた。いつも俺が観ている景色。思い浮かんだ。
「キャッチャーの構えているグローブ?」
俺は野球部のピッチャーだ。そこに球を投げ込むのがピッチャーだ。ストレートか、カーブか、フォークか、スライダーかは別として、俺が見ているのはキャッチャーのグローブで、俺はそこを観ている。相手が四番バッターだろうが、九番だろうが、関係はない。
「キャッチャーの構えているグローブ」と山崎は、心で思い浮かべるかのように目を閉じて、噛みしめるように言った。そして「私もその景色見てみたいな」と言う。
「野球できんの?」
山崎は首を横に振り、「体育の授業でソフトボールはやったことがあるけど」、と言った。
「じゃあ、見れないじゃん」
マウンドに立つのはピッチャー一人だ。
「そうだよね。残念」
「残念って山崎は野球するわけではないだろう?」
「うん。でも、『キャッチャーの構えているグローブ』って景色は見てみたいじゃない」
俺がバッテリーを組んでいる川島は良いキャッチャーだ。相棒だ。川島と同じ高校で、同じ学年であったことは幸運なことだ。恥ずかしくて川島にも言ったことないが、最高のバッテリーだと思ってる。
「だから、野球するわけでもないのに?」
「いや、絵を描くためにだよ。きっとグローブがあって、それをキャッチャーが持っていて、そして後ろには審判が立っていて、そしてフェンスがあるんだよね。素敵な景色だろうなって」
たしかにそうだ。山崎が言っていることは間違いない。だけど、山崎にそう言われると、新鮮な光景のように思えた。
その通りだ。なにも突飛なことを言っているわけではない。フェンスがあり、審判がいて、その前にキャッチャーがいる。そして、そのキャッチャーが構えたグローブの位置に俺は投げる。
練習の時に毎日見ている当たり前の景色だ。
「やっぱり、絵を書くためにマウンドに登るって変だぞ」
「そうかな? 相田君はどうしてじゃあ、『キャッチャーの構えているグローブ』を見ているの? きっと毎日見てるよね。飽きない?」
「いや、飽きない。楽しいぞ」
「私も同じ理由。きっとその景色は楽しい気がする。同じ理由だよ」
「違う気がするけどな」
山崎に丸め込まれている気がした。
「そういえば山崎は、意外と歩くの速いというか、体力あるんだな。男子の本多もまだ来ないのに」
「私、毎日歩いているから。家から電車使わず歩いている。毎日往復二時間は歩いてるかな」
「家、どこ?」
「片西町」
片西町と言ったら、俺が通学の時に通る町でもある。自転車で二十分という距離だろうか。
「え? まじ? 俺、自転車で令宝町から通ってるけど、片西町から高校も結構遠いだろ」
「川沿いを歩いていれば、景色綺麗だし」
また、景色か。美術部で絵を描く奴って、景色が好きなのだろうか。だが、考えてみると、『キャッチャーの構えているグローブ』を練習で毎日、二時間、三時間眺めている。毎日、グローブを数時間眺めてるって考えると、俺も変な奴なのかもしれない。
俺も、景色が好きな変な奴だったのかもしれない。
「あっ、莉子たちが来た」
本多と清水の姿があった。女子の清水がバテたのだと思っていたら、どうやら本多の方が遅かったらしい。靴擦れして踵の皮がむけてしまったようだ。
本多をベンチに座らせ、山崎が持っていた絆創膏を貼って手当した。山崎は、手当の手際が良かった。野球部のマネージャーっぽい美術部員だなと思った。
弁当は、おにぎりだった。頂上で飲むコーラが上手かった。そんな飛鳥山登山だった。




