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3.三年生、二月B

「井上部長……お願いしたいことがあるのですが」


 山崎さんが美術室で僕に話しかけてきた。とても珍しいことだ。いや、とても珍しいことになってしまった。


 僕は、筆をパレットの上に置いた。僕たちはもうすぐ卒業する。自主的にやっている卒業制作も佳境を抜けて、最後の仕上げをしているところだった。


「どうしたの?」


 僕は久しぶりに山崎さんと対面をした気がする。凄く痩せ細っている。


 山崎さんは、放課後、毎日部室には来ていた。


 キャンバスに向かいながら、静かに椅子に座っていることが多い。もしかしたら、寝ているのかもしれない。しばしの休息なのかもしれない。


 絵を描いていないときは、椅子を窓際に寄せて、頬杖をついてグラウンドを眺めている。相田健太君のことを想っているのだろう。


 山崎さんが着ている制服は、サイズが合っていないのかとさえ思う。成長期を控えた新入生が、大きめの学ランを着て入学してくるようだ。体重の減少により首回りも痩せて薄らと皺が浮かんでいる。鎖骨が氷山のように浮かび上がっている。


「カッターで、この絵を引き裂いてもらっていいですか?」


 美術室の床に、小さいものは一号、大きいものは十二号のキャンバスが積み重なっていた。まるで、燃やすかのようだった。


「え?」


 それらの絵画は、山崎さんがこの部活で描いてきた絵だった。僕には意味が分からなかった。


「自分でしようと思ったんですが、手の力が足りなくて」


 そうやって山崎さんは手を僕に見せた。ピアニストの手というのは、細くて綺麗な手だ。でも、山崎さんの両手は、もっと細い。油絵の描き手としては、華奢すぎる指だ。筆やシャーペンを握る力が残っているのが不思議なくらいの枯れたような手だ。


「そんなのもったいないよ」


 僕は首を横に振る。


 確かに、キャンバスはサイズが大きくなると、張ってある画布も厚くなる。それに油絵が堅く固まっているのだ。僕は、そんなことをしたことがないが、山崎さんがもっているような小型のカッターで引き裂くには相当の力がいるだろう。


 それに、高校生というキャンバスを何枚も買う余裕がない僕等は、完成したキャンバスの上に、また油絵で次の新しい絵を重ねて描いていることも多い。油絵の絵が幾層にも重なっている。


「もう私には必要ありませんから」


 美術界の伝説では、完成した絵を気に入らないからと言ってナイフで引き裂いた巨匠がいるらしい。だけど、僕等は巨匠でも何でもない。


「一枚くらい、家に持って帰ったら? この絵なんか素敵だったよね」


 僕は裏返った八号のキャンバスを持ち上げた。僕が一番好きな、山崎さんの描いた絵だ。ヒマワリ畑の絵だ。ロシアのヒマワリ畑の写真から描いた絵だと言っていた。コンクールに出そうよ、と僕がしきりに勧めた絵でもある。けっきょく山崎さんは、恥ずかしいからと言って出さなかったけれど。


 僕はその絵を積み木のように積み上げられたキャンバスから取った。そして裏返して見た。


 その絵は、もうヒマワリ畑の絵ではなかった。塗りつぶされた、と言っても良いかもしれない。青色と黒色が混ざったような色がキャンバスを覆っていた。宇宙空間で黒い雨が降っているようなキャンバスになっていた。

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