2.一年生十二月AB
「山崎」
高校一年生。十二月の放課後。その日。私は日直だった。
黒板を掃除して、黒板の右隅の日直の欄を、明日の当番の生徒に名前を書き換えた。
名前を呼ばれたので講壇の上から振り返ると、教室には相田君がいた。他には誰もいなかった。
私に話しかけたのは相田君だった。
野球部の相田君。
仲が良いというわけではなかった。
「おはよう」と挨拶されて、「おはよう」と返事を返すくらいだろうか。
「相田君。今、私を呼んだ?」
「クリスマス、暇だったりするけん?」
「するけん?」
方言のような、語尾が裏返ったような、そんな『するけん』だった。
「山崎はクリスマス、暇か?」
相田君は、言い直した。
語尾の可笑しさに私は気を取られていた。クリスマスに私は、何かお誘いを受けているのだろうと分かった。
突然のお誘いだった。
「予定はないけど……私と?」
「あぁ。映画とかでいいのかな?」
「映画とかでいいと思う」
「そうか。じゃあ、俺、練習があるから」
相田君は教室の後ろの出口から走って出て行った。
いったい何が起こっているのか、私には分からなかった。
クリスマスに一緒に過ごしたいと思う相手というのは、好きな人だろう。
相田君は私の事が好きなのだろうか? でも、好きだと言われたわけではないし、私の思い違いなのかもしれない。考えすぎなのかもしれない。
クリスマスのお誘いを受けてしまったけれど、相田君とクリスマスを過ごしたいのだろうか。相田君。野球部ではピッチャーらしい。そう聞いたことがあった。
美術室へと行く。美術室の扉を開けると、すでに油の匂いが漂っていた。
どうやら先に、井上君は部活を始めていたらしい。美術部は現在、部員は二人だ。同じ学年だけど違うクラスの井上君。彼が部長で、私が副部長ということになっている。
私はイーゼルをいつもの場所に置き、その上に描きかけのキャンバスを設置した。美術室の校庭側が私の絵を描くスペース。私のアトリエ。井上君は、教室の反対側、内庭が見える窓の方で絵を描いている。
井上君とはいつも挨拶くらい。あとはお互い、黙々と絵を描く。美術室の電灯は付けない。美術室に夕陽が差し込んできたら、そこで部活は終わりだ。
私がいま書いているのは、ドイツのお城。ホーエンツォレルン城だ。有名なお城だし、ジグソーパズルなどにもなっているし、写真も簡単に手に入った。
私にとってお城を描くのが難しかった。
風景を描くのは好きだ。だけど、人工物を描くのが私は苦手だ。ホーエンツォレルン城のスケッチを何度もやり直した。
どことなく傾いていたり見えたり、塔の遠近感がおかしかったり、窓の配置のバランスが実物とかけ離れていたり、レンガ積みの城壁の精緻さに欠けたりしている。
ホーエンツォレルン城を囲む深いドイツの森は、自分でも上手に描けていると思う。だけど、その森が囲んでいるホーエンツォレルン城が描かれる予定の場所は、まだキャンバスは空白のまま。
下書きがされているだけ。
私は筆を置いた。
キャンバスと筆先に集中していた意識を放つと、カキーンという金属バットの音が聞こえた。
あっ。そうだ。
美術室の窓からグラウンドを見た。
結構、マウンドが近いんだ、と私は思った。
ボールが校舎の窓を割らないようにするフェンス。
バッターボックス。
誰だか分からないけど、キャッチャーがいる。
そして、そのキャッチャーにボールを投げているのが、相田君だった。
相田君が、投げた。
キャッチャーがそれを取った。
今のは、ストライクというのだろう、それとも、ボールだったのだろうか。
私には分からない。
長い間、ずっと、投げ続けるんだな、と思った。相田君の野球着の胸の部分や膝などは泥で汚れている。ボールを投げているだけで、どうしてあんな風に汚れたのだろう。
汗が出たみたい。
相田君は、帽子を脱いで右腕で顔と、そしておでこの汗を拭った。
「あの……山崎さん」
美術室の中から声がした。井上君だった。
「僕……先に帰るね。お疲れさまでした」
ふっと時計を見ると、三十分以上休憩していたことに気付く。
「お疲れさま」
困ったなぁ。
相田君にクリスマスに映画を誘われたようだ。
どうしよう。
結局、それが私の今日の感想となった。




