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999人目の〝はじまりの勇者〟

久々に短編を書きました。


 急な話にはなるが、俺はいわゆる〝異世界転生者〟というヤツである。


 さらに急な話になるが、俺は世界に選ばれた勇者である。


 そんな俺が、大きな城の地下牢にひとり。両手首に手錠を掛けられた状態で、冷たい木板の上にあぐらをかいている。


 ……何故こんなことになったのか。


 体感時間にしておよそ一時間前。信号待ちの最中、俺はトラックに轢かれて死んだ。次に気づいた時には、俺は見知らぬ街の道の真ん中で仰向けに寝ていた。状況を理解するよりも早く衛兵らしき奴らが近づいてきて、わけのわからないまま連行されて、今に至る。


 ……改めて考えても何故こんな仕打ちを受けているのかわからない。この世界には野蛮人しかいないのか。


 こみ上げる怒りを堪えてじっとしていると、牢の近くに誰かがやってきた。ブーメランみたいな形の白い髭を生やした、小太りの年老いた男だった。


 男は「ステイプルです」と名乗りながら、鉄柵越しに俺をじっと見る。その目はこちらを悲しむような、それでいて哀れむような微妙な感情を孕んでいた。


「私はこの首都に勤める医師でしてね。あなたのお名前は?」


「堂楽ダン、勇者だ。早くここから出してくれ。俺は魔王を倒さなくちゃいけないんだ」


「ええ。存じておりますとも。ダンさん、あなたは勇者です。さらに言えば、元の世界において不慮の事故で命を失い、転生してこの世界に来るまで、あなたは冴えない賃金労働者だった。違いますか?」


 ずばり言い当てられ、俺は言葉を失った。初対面であるはずのこの男が、この世界においてまだ誰にも話していない俺の素性を何故知っているのか。


 俺の困惑を他所に、ステイプルという男はさらに続ける。


「念のために言っておきますが、私はあなたのような人を何人も見ている。あなたでちょうど、〝患者〟は999人目だ」


「……待ってくれ。患者って、どういう意味だよ」


 辛うじて絞り出した俺の言葉に、ステイプルは残念そうに首を横に振った。


「異世界から転生してこの世界にやってきた勇者……という、〝妄執に囚われた方〟のことです。私はそんな方々を治療する仕事をやっております」





 誰がなんと言おうと俺は勇者である。天から与えられた特別な能力スキルと、身体中に蠢く〝魔王を倒せ〟という強迫観念めいた衝動がそれを証明している。誰にも信じて貰えないようだが、いずれわかってくれる時がくる。


 ……そんな風に考えていたのだが、翌日から始まった治療には参った。


 ステイプルの治療は殴る蹴るで無理やり思考を矯正するものではない。怪しげな装置を頭につけたり、催眠術に掛けたりもしないし、もちろんヤバい薬を打つなんてこともしない。


 あいつはただ、どこからか人を連れて来て俺と話をさせる。そしてその人というのが、あいつの元患者――すなわち〝勇者〟なのである。


 初めて来たのは筋骨隆々の温和そうな男だった。警戒する俺へ、「やあ、君が堂楽くんだね」と気安げに言ったそいつは、目の前で空を飛んで見せた。


「僕の能力は〝超人(スーパーマン)〟。ダンくん、君はどんな能力なんだい?」


「……〝脆弱な肉体〟(ミスターガラス)。触れたものを、ガラスみたいに脆くできる」


「そりゃすごい。その能力で僕を触らないでくれよ」


 何が凄いだ。お前の方がずっと凄いじゃないか。爽やかを気取りやがって。

 嫉妬と怒りが混在した視線で睨んでいると、そいつは俺の側へふわりと降り立った。


「君の気持ちはわかる。以前は僕も君と似たような境遇だったからね。だからこそ言える。自分が勇者だなんて妄想は捨てて、この世界でのんびり生きた方がいい。その能力があれば仕事にも困らないだろう? 解体業でもやるといい」


 男は白い歯を見せつけるようにニカッと笑った。「二度と来るな」と俺は言ってやったが、そいつは嫌な顔ひとつしなかった。


 また、ある日はこんな奴が来た。


「俺は頭の中で思い描いたものをそのまま具現化できるんだ。欲しいものあるなら言ってくれよ。お近づきの印になんだって出してやる」


「この牢屋から出るための鍵だ」


「勘弁しろよ。あんた、まだ魔王を倒すなんて言うつもりか?」


「それが勇者の仕事だろ。なんでお前は平気なんだよ。感じないのか、使命を」


「わかる。俺も同じだった。お前は勇者だって誰かに囁かれてるような気がして、ありもしない妄想に取りつかれてた。でも、安心しろ。そのうち治る。そもそも、この世界に魔王なんて存在しないんだ」


「……嘘だ。魔王はいる。俺も、お前も、勇者のはずだ」


「……大丈夫。あんたはひとりじゃあない。こんな話も笑い話になる時がくる。のんびりやろうぜ」


 さらには、こんな奴が来たこともあった。


「あなた、相当厄介みたいね。まるで昔のわたしを見てるみたい」


「……女も勇者になれるんだな」


「失礼ね。わたしは炎を操るの。言っておくけど、たいていのものは一秒で消し炭よ。まあ、こんな暴力的な力、なんの役にも立たないケド」


「魔王を倒せ。そのための力だ」


「だから、みんなが言ってる通り魔王なんて存在しないの。それどころかこの世界には魔物一匹いやしない。平和そのものなの。異世界転生で第二の人生、のんびりスローライフ。悪くないでしょ?」


「悪い。果たすべきは使命だ」


「あら、本当に強情。まあ、治療を終えてここから出たら、わたしの家まで遊びに来て。今日のことをさんざんからかってあげるから」


 他にも、こんな奴も来た。


「僕はあらゆる魔術を超一流の腕で使える。さてそんなことより、どうしても君に伝えなきゃいけないことがあってね」


「どうすればここから逃げられるのか、教えてくれるのか?」


「そうじゃない。でも、君にとって何より必要な真実を教えてあげる。この世界に、魔王は実在するんだ」


「ほ、本当か?!」


「うん。実際、僕もここを出てから彼に会いに行ったからね。だからわかる。彼はまったく人畜無害の存在だ。魔物を従えてるなんてことないし、無暗に人を襲うこともない。当然、世界の支配なんてこれっぽっちも考えてない。だから魔王という概念はあっても、それはこの世界にとって脅威じゃない。つまり勇者は要らない。わかるだろ? 僕たちは無用の長物だ」


 色々な奴らが代わる代わる俺の元へとやって来た。どいつもこいつも腑抜けばかりで話にならなかったのは言うまでもない。


 埒が明かないと悟るまで、そう時間は要らなかった。


 これ以上あいつらに何を言ったところで時間の無駄である。それなら、どんな方法を使ってもいいからここを出よう。そうすれば後はどうにでもなる。


 そう考えて俺は治療を受け入れるフリを始めた。しかし即座に手のひらを返すようでは、ステイプルに怪しまれる恐れがある。俺は相手の話を落ち着いて聞くことから始め、徐々に態度を軟化させていくようにした。自分自身を騙すのは苦しかったが、途中で辞めようとはただの一度も思わなかった。勇者である自分が、「気をしっかり持て」と囁いてくれたおかげだ。


 牢を出る許可を貰ったのは、それから三か月後のことである。当面の間、この世界で暮らせるだけの金を俺に渡したステイプルは、「お疲れ様でした」と微笑んだ。


「治療が成功してよかった。ダンさん、あなたは自由だ。第二の人生を好きに過ごしてください」


「ええ、そうします」と答えた俺は、にこやかに手を振るステイプルへ別れを告げた。この時、罪悪感を覚えなかったといえば嘘になる。





 旅支度を整え、俺は速やかに街を出た。情報によれば魔王が住むのは綺麗な古城で、外から見る分には問題ないため観光地になっており、馬車による定期便まであるらしい。嫌になるほど呑気な話だが、俺にとっては好都合である。


 馬車に揺られること二週間。道中、魔物に襲われることもなければ賊に狙われることもない、あまりにも平穏無事な旅路の終盤、緑深い山の中にそびえる大きな城が見えてきた。あそこに魔王が住むのだと考えると、拳を握る力が自然と強くなった。


 魔王の城に着いたのはその日の昼すぎのこと。周囲には観光客が大勢いたため、俺は夜になるのを待ってから城の敷地へ忍び込んだ。


 僅かに開く城門の隙間から身体を滑り込ませ、手入れされていない庭を忍び足で抜け、鍵のかかっていない扉を静かに開き、城内へと足を踏み入れる。大広間には灯りがついておらず、まったく人気も感じられない。床は埃が薄く積もり、長らく掃除すらしていないことが伺える。小間使いどころか配下も持たず、魔王はここに独りで暮らしているのだろう。


 ――もしかしたら本当に、魔王はこの世界にとって無害な存在なのかもしれない。


 ふと頭によぎった考えは、〝勇者〟の俺に否定される。


 そんな弱気じゃ駄目だ。お前は勇者だ。魔王を倒す存在なんだ。


 その時、突如として大広間に灯りがついた。眩む視界に映るのは、正面にある幅広の階段をゆっくりと降りてくる、白髪交じりの長い髪を後ろ手にまとめた男の姿。その右手には細身の剣を携えている。


「……頭の中に聞こえてきた声の通りだ。今日の夜、俺を殺しにこの城まで〝精神異常者〟がやって来るから注意しろ、と。お前だな?」


「精神異常者じゃない。俺は勇者だ。お前を倒すためにこの世界にやってきた」


「何故そう思う? 誰がそう決めた? お前みたいに特別な力を持ってる奴は大勢いる。俺もそのうちのひとりだ。お前が自分を勇者と思い込んで、俺を魔王と定義する理由はどこにある?」

「ごまかそうとするな。お前は魔王なんだろ?」


「そうらしいな。でも、俺はそう思ってはいない」


 瞬間、魔王の姿が消えた。同時に鳩尾へ走る痛み。声も出せずにその場に膝を突いた瞬間、顔面に蹴りが入れられた。


 ――痛い、熱い、痛い、苦しい、痛い痛い痛い。


「俺は魔王じゃなくて人間だ。だからお前は殺さない。でも、またノコノコ来られても困る。だから痛めつけてやる。徹底的に」


 鞘に納められたままの剣で、俺は何度も、何度も全身を打たれた。地獄のような数十秒が続いた後、俺の脳は意識の遮断を選択した。





 気づけば俺は、見知らぬ部屋のベッドで仰向けになって寝ていた。頭にもやがかかっているかのように、全てにおいて認識がおぼつかない。猛烈に喉が渇いている。首の下から全てが、常に五寸釘で刺されているように痛い。苦しい。辛い。


 ――誰か、誰かいないのか。


 声が出てこない。起き上がる体力もない。そんな状態だというのに、〝魔王を倒せ〟という使命感だけは身体の芯から湧き上がってくる。こんな時にまでなんだ。どうかしてるのか、俺は。おかしいのは世界じゃなくて俺なのか。


「――まあ、そうなるだろうな」


 声が聞こえる。鼓膜ではなく、頭に直接。なんだお前は。誰だっていうんだ。


「お前を助けたお節介焼きだ。いま水を汲んでいるところだから、あともう少しだけ待っていろ」


 ちくしょう。誰でもいいから早くしてくれ。喉が渇いて頭がどうにかなりそうだ。


「どうにかなっているだろう、とっくに」


 やがて、扉を開く音が鼓膜を揺らした。首だけをゆっくり動かして音の聞こえてきた方を見れば、白髪の老人がコップを片手に近づいてきている。


 そいつはベッドの横にある小さなテーブルにコップを置くと、ベッドの縁に腰掛けた。


「ほら取ってみろ。痛みはするだろうが、折れた骨は全て繋がっているから動けるはずだ」


 他人事だと思ってとんでもないこと言いやがって。


 俺は「ちくしょう」と頭の中で何度も繰り返しながらなんとか上半身を起こし、コップに向かって手を伸ばす。全身が軋む。壊れかけの操り人形みたいに手足がぽろりと取れそうだ。


 それでもなんとかコップを掴んだ俺は、中に入っていた水を一気に飲み干した。水が胃に落ちていくと共に喉の渇きは癒え、不思議と痛みも落ち着いてくる。


 深く息を吐いた俺は、「助かった」とそいつに礼を述べた。


「礼には及ばん。目の前で死なれたら気分が悪いと思っただけだ」


 そいつは俺の方を見ようともしないまま言った。


「イライジャ。俺の名前だ」





 イライジャ曰く、俺を発見したのは森の中。発見された時には、全身の骨を折られ、普通であれば一年は歩けないほどの傷を負っていたらしいが、回復魔術とやらで治してくれたとのことである。


「しかし、驚いたな。まさか、まだ魔王を倒そうなんてこと考える馬鹿がいたとは」


 冷笑的なイライジャの声が頭に響く。「馬鹿で悪かったな」と俺が頭の中で答えると、「開き直るな」という声が即座に返ってくる。


 イライジャは他者の考えを読める。また、他者の脳内に自らの声を送ることも出来る。


 ――〝伝達〟(ポストマン)。それがこの男に与えられた能力らしい。


「人に気味悪がられるだけの、くだらん力だ。ケツを拭く紙より役に立たん」


 不服そうにイライジャは言う。


「俺もかつてはお前と同じように、自分のことを異世界に呼ばれた勇者だと信じていた。つまりは精神異常者だ。治療を終えて牢を出ても、こんな力があっては街で暮らせん。だからわざわざここまで来た」


「苦労したな」


「そうでもない。独りで暮らすうち、多くのことを学べた。剣術、魔術、狩りの方法、生きる術を学び、自分の能力スキルの研究も出来た……時間は腐るほどあったからな」


「……それだけ学んでも、魔王を倒そうって気にはならないんだな」


「当たり前だ。そもそも、お前が倒そうとしたあの男は魔王じゃない。ただ強いだけの男だ」


「だったら、なんでアイツは魔王なんて呼ばれてるんだよ」


「いかにも古めかしい城に馬鹿強い男が住んでいれば、魔王と呼ばれるのも必然だろう。そんな戯言もこの世界が平和ゆえだ」


「そうか」


「……お前、またあの男の元へ行くつもりだな」


「考えが読めるんならわざわざ聞く必要もないだろ。俺はあいつを倒すためにここまで来た。手ぶらで帰れるか」


「呆れた奴だ。今度は殺されるぞ」


「勇者ってのは負けないもんだ」


「……救いようがないとはこのことだな」


 心底呆れたように息を吐いたイライジャは、俺を睨んでこう言った。


「野垂死なれたら寝覚めが悪い。稽古くらいはつけてやる」





 イライジャは俺に様々なことを教えてくれた。剣、魔術、それに何より、能力スキルの扱い方。


「ダン。恐らくお前の能力の本質は構造の変化にある。大切なのは発想力だ」


 曰く、能力は修行により研ぎ澄ませばより強力なものになる。今は触れたものを脆くすることしか出来ない俺の能力も、鍛えれば他のことが出来るようになるだろうとのことだ。イライジャの伝達ポストマンも、元々は他人へ声を飛ばすことしかできなかったらしい。


 一週間が過ぎ、ひと月が過ぎ、半年が過ぎ、やがて一年が過ぎた。


 日々の厳しい稽古のおかげで俺は、自分でも信じられないほど強くなっていた。


 一年前までは振り方すら知らなかった剣を、今では自分の身体の一部のように扱える。


 一年前まではその存在すらにわかに信じられなかった魔術を、今では無意識下で操れる。


 一年前まではただ物を壊すだけにしか使えなかった能力――脆弱な肉体(ミスターガラス)も、今では応用が利くようになり、触れた物の構造を変化させることが可能になった。


 学ぶことはもう何も無い。後は役目を果たすだけだ。


 ある日の夜。イライジャが寝静まっていることを確認してから、俺はこっそり家を出た。恩人に対して別れも告げずに去るのは忍びないと思われたが、目先の感情よりも優先するべきことがある。


 焦燥感は消えるどころか、より一層強くなっていた。眠れない夜があるほどに。


 あるいは、俺はもう狂っていたのかもしれない。でも、わかったところで自分を止められない。


 俺は、魔王を倒さなければならない。


 イライジャの家を出て、ひたすら森を歩く。奴の根城に到着したのは、朝を迎える前のことだ。

 城門を破壊し、庭の雑草を炎の魔術で焼き尽くし、城の扉を両断して、城内の大広間へ足を踏み入れる。俺が声を掛けるより先に、あわただしい足取りで魔王が階段を降りてきた。


「……お前、何をしているっ!」


「城を壊してるんだ。もうお前には必要なくなるものだからな」


「――ふざけるなよっ!」


 鞘を投げ捨てながら剣を構える。膝を曲げて脚に力を込める。心臓目がけて剣先が真っ直ぐ向かってくる。


 全て、見えている。


 構造変化。身に着けている革の鎧を、あらゆる物質よりも硬く、強く、しなやかに。


 真ん中から剣が折れる。焦る魔王は距離を取ろうとしたが、それよりも早く俺は腕を伸ばして奴の身体に触れる。


 能力の発動。同時に始まる全細胞の崩壊。ひとつ瞬きをするうちに、魔王は声すら上げられないまま、首から上だけを残してこの世界から消滅した。


 苦痛と恐怖にゆがむ魔王の顔面が、古いゴムボールのように俺の足元に転がる。



 ……使命を果たしたにも関わらず、どうしてか俺の心に充足感は無かった。







 気づけば、俺は街の中にいた。ここにはなんとなく見覚えがある。この世界へやってきた俺にいきなり手荒い歓迎を浴びせた、〝はじまりの街〟だ。


 何故こんな場所まで来たのかはわからない。しかし〝勇者〟である俺は、「城へ行け」と耳元で囁いている。それならば行くしかない。俺は勇者なんだから。


 ふらつく足取りで道を行く。街の奴らが俺を遠巻きに見て嫌そうな顔をしているのが横目に移る。勇者の帰還だぞ。なんでそんな顔する必要がある。


 憤怒の形相をした衛兵が俺の元へと駆け寄ってきている。槍を持って囲もうとしてきたので、仕方なく右手に持っていた剣で切り払う。首ごと。


 石畳の道が赤い。一歩、一歩と踏みしめる度にくちゅくちゅと嫌な音がする。この世界の奴らは掃除もしないのか。どうして道端に死体が転がってるんだ。


「……まさか、こんなことになるとは」


 聞き覚えのある声が正面から聞こえる。あの医者、ステイプルだ。懐かしい男に会えた喜びか、口元に笑みがこぼれた。


「あんた、ヤブ医者だぞ。やっぱり俺は勇者だった」


 俺はずっと左手に持っていた魔王の首を放り投げた。ころころと転がったそれは、ステイプルの足元で止まる。


「確かにダンさんの言う通り、私はヤブ医者だ。貴方を牢から出したのは間違いだった」


「間違いじゃない。俺は魔王を殺して、世界を救った。ステイプルさん、あんたは正しい行いの手助けをしたんだ」


「何度も言った通りです。この世界に魔王はいない。……しかし強いて言うのならば、ダンさん、今の貴方こそが魔王ですよ」


 俺が魔王だと? ふざけるな。俺は勇者だ。誰がなんと言おうと勇者なんだ。


 頭の中では「目の前の奴を殺せ」という声が絶えず響いている。そうだ、殺せばいい。


 殺せ、殺せ、殺せ。


 その時、俺は後頭部に何かがぶつかるような軽い痛みを覚えた。振り返ってみれば、街の住人が石や棒切れを手に俺を睨んでいる。



「ふざけるな」「何が勇者だこの人殺しめ」「殺せ」「殺せ」「殺しちまえ」



 石の雨が降る。大勢の男達が俺に向かってくる。


 待て、待ってくれ。俺は勇者だぞ。なんでこんな酷いことをするんだ。俺は、みんなのために敵を殺しただけなのに。


 剣を構えたが振り下ろせない。駄目だ。人を殺したら駄目なんだ。



 ――勇者であるがゆえに、剣も、魔術も、能力スキルも使えず、俺はただ本気の殺意をひたすら全身に浴びた。



 それでも俺は信じている。正しいことをしたのだと。








〝999人目の勇者〟の死亡から二日後。イライジャの家に来訪者があった。白い髭を蓄えた男――ステイプルである。


 家の外で薪を割っていたイライジャに「どうも」と頭を下げた彼は、近くの切り株に腰掛けた。その表情は旧友に会いにきたものとは思えないほど険しい。


「お久しぶりですね、イライジャさん。お互い歳をとったものだ」


「何の用だ」


「言わずともわかるでしょう。彼の件ですよ」


 指を組んで肩を落としたステイプルは、ため息交じりにゆっくりと語る。


「考える時間はそこまで必要はありませんでした。彼の目を見てすぐにわかりましたからね。彼は何者かに操られていました。あなたがその伝達ポストマンの能力で、彼の頭に『お前は勇者だ』と繰り返し呼びかけ洗脳したのでしょう」


「だったらどうする」


「あなたの行いのせいで大勢が死にました。その中にはもちろんダンさんも含まれています。責任を取って大人しく投降しなさい」


「責任? 笑わせるな。全てはお前が元凶だろう」


「……確かに、あなたを僻地へ追放した私にも原因がないと言えば嘘になります。しかし、街の人々から『あなたの声が聞こえる』などという相談を受けては、そうしないわけには――」


「違う。お前は魔王だ。だからあの若者を使ってお前を倒そうとした。俺は、勇者だからな」


「……なんの根拠があってそのようなことを仰るのですか?」


 つまらなさそうにステイプルをちらりと見たイライジャは、「いいだろう」と呟いて、その手に持っていた斧を地面へ放り投げた。



「ずいぶん長く考えたものだ。何故自分は死後こんな世界へ来て、こんな能力を持ってしまったのか。第二の生を謳歌しようと大人しく暮らしていたところを突然捕まり、そして、〝精神異常者〟だと決めつけられ、こんな場所に投げ出されたのか。手掛かりを得たのは能力を鍛え、他人の声を自分へ〝伝達〟させられるようになった辺りのことだ。ふと世界中の声に耳を傾けてみると、似たような話が聞こえてきた。魔術とは似て非なる特別な能力を持つ者達が、首都にいる〝とある人物〟により捕らえられ、異常者として追放されているという噂だ。能力スキル保有者を大勢捕らえ、利用するならばまだしも追放するということは、その人物にとってどうしてもそうする必要があるのだと考えた。お前を魔王だと考えたのはその時が初めてだ」



 イライジャは辺りの木に背を預け、天を遠目に仰ぎながらさらに続ける。



「魔王は人を貪り、人は勇者を断罪し、そして勇者は魔王を打倒する。逆を言えば、魔王を殺せるのは勇者の資格を持つ者だけ。ならばと思い、俺は試しにこの世界へやってきたばかりの転生者に囁いた。お前は勇者だと、魔王を倒すための存在なのだと。すると、お前の行動に変化が起きた。追放ではなく、〝治療と懐柔〟という方法を取るようになったんだ。自らを殺せる者を敵になる危険性があるまま野に放つより、患者と医者という関係性で信頼を築く方が賢いと考えたのだろう。俺はお前の正体が魔王であると確信し、真実を発信し続けたが……どの勇者も俺の囁きより、魔王であるお前の言葉を信じた。数十年の間、何度、何度試しても同じことの繰り返しだったが……ダンは違った。アレは意志薄弱で自分の信念など持たない男だ。しかしその欠点ゆえに、俺の言葉を簡単に信じ、〝勇者〟として行動した。結局、自らの使命は果たせなかったようだがな」



「……なるほど。たいしたものだ」



 ステイプルの身体に変化が現れたのはその時のことだった。どこにでもいるような小太りの老人だった彼の体系は、若々しく、そして猛々しいものへと変わっていく。深い皺が刻まれていた皮膚は艶張りを取り戻し、薄い蒼に染まる。頭からは二本の角。表情はこの上ない悦びに満ちている。


 やがて現れた〝それ〟は、疑いようのない〝魔王〟だった。


「少ない手掛かりからよくわかったものだな。さすが、勇者といったところか。その洞察力は褒めてやる……が、わかったところでどうするつもりだ? 既に王は我の傀儡、首都の兵は全て我の配下と入れ替わり、民はそれを知らず呑気に暮らしている。平和で、理想的な世界だ」


「偽りの平和だ。お前がその気になれば、人差し指で突いただけで世界は終わる」


「それがいいのだろう。積み木と同じだ。壊そうと思った時に壊せなければ面白くない」


「……支配するだけでなく、遊び半分に終わらせるつもりか、この世界を」


「安心しろ。もうしばらくは高く積み上げるつもりだ」


 瞬間、イライジャは地面に落ちた斧を手に取りながら魔王に向けて走り出す――が、その刃が首を刎ねるより先に、魔王の貫手がイライジャの腹を貫いた。


 イライジャの目から生気が失われていく。それを見た魔王は喉の奥で小さく笑い、死が目前に迫る彼の身体を抱き寄せながら耳元で囁いた。


「惜しかったな、勇者よ。お前が仕向けたのがあの男ではなくもっと別のより強力な能力スキルを持つ者なら、あるいは、結果は違ったかもしれん」


「いや、そうでもない。あいつでよかった。弱く、情けないあの男じゃないと、お前はここまで来て、俺を殺してくれなかった」


 イライジャは息も絶え絶えに語った。


「俺の能力で〝伝達〟出来るのが、声だけだと思ったか?」


「……なんだと?」


 ――魔王の頭にイメージが流れ込んでくる。


 弱々しい老人という皮を脱ぎ捨て、化け物めいた見た目に変わる男の姿。


 自らが魔王であることを認め、勝利を確信した顔で悠々と企みを話す男の姿。


 自分の正体を見破った老人を、無慈悲に殺す男の姿。


 間違いなくそれは、イライジャの目から見た先ほどの光景だった。


「お前が追放した者。あるいは、お前が〝治療〟を施した者。そして、たった今この世界へ新たにやって来た者。その全てにこれを見せている。もう間もなくしてはじまるのは、勇者達の一斉蜂起だ。目の前に迫った危機を無視できるほど、あれらはもうろくしていない」


「……貴様……よくもっ!」


 魔王は怒りに身を任せ、イライジャの内臓を指でかき回す。


 魂まで焦げるような痛みを受けながらイライジャは笑った。喉から声を出す度に、だんだんと命の灯が消えていくのをありありと感じながらもなお笑った。心の底から笑うのは、彼にとって数十年ぶりのことだった。


「砕けぬ意思アンブレイカブルは共有された。勇者のうち誰かひとりでもお前の命に届けば俺の勝ちだ。気張れよ、魔王。敵の数はたかが1000人程度だ」


 やがて、勇者は息絶えた。


 残された魔王は、その亡骸をひたすら踏みつけ怒りと焦りを誤魔化すことしか出来なかった。






 ――諸君。


 魔王の謀略により牙を抜かれた諸君。


 剣の代わりに鍬を握って畑を耕し、魔術を用いて生活を豊かにし、恵まれた能力を自分のためだけに使う怠惰な諸君。


 君達は戦うことを忘れてしまったのだろうがしかし、その心根は変わっていないはずだ。奴の企みを知らされて、指をくわえて見ているだけではいられないはずだ。


 時は来た。戦いの時だ。


 勇者達よ、今こそ立ち上がれ。偽りの安寧の日々は終わった。知っての通り、間もなく魔王は世界へ侵攻を始める。それを止められるのは君達だけだ。


 999人目にして〝はじまりの勇者〟――ダンに続いて立ち上がれ!


 世界は、君達を必要としている。


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[良い点] 深く考えさせられる作品で 良いと思います(ゝω∂)
[良い点] 余韻を残しつつ, 明瞭な完結をしている.
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