19.意外な関係
「駅の階段で転ぶなんて……。女の子なんだから、本当、気をつけなよ、実花ちゃん」
駿先輩は私の傷ついたところを優しく介抱してくれる。
珍しくお客さんが一人もいない店内で、ちょうどよかった……と、ホッと胸を撫で下ろした。
「……ありがとうございます、駿先輩」
えへへと、作り笑いをして見せる。
それでも心配そうに私を駿先輩は見つめた。
「よし、実花ちゃん痛そうだから……一曲弾いちゃおうかな!」
そう言って、駿はピアノに向かう。
リストの、愛の夢……
駿先輩のピアノは誰が聞いてもきっと癒されるだろう。
包み込む様な優しい旋律が、体の芯まで沁み渡る。
何もかも忘れられる様な、温かい気持ちになれた。
演奏を終た後、駿がそっと私の隣に座る。
「だいぶ落ち込んでるみたいだね……。なんかあった?」
駿先輩が声をかける。
「う〜ん……、私みたいな何の取り柄もない人は、それなりの試練を乗り越えなきゃ、幸せになっちゃいけないもんなのかもな……って……」
なんだか今の自分が情けなさすぎて、俯きながら答えた。
「何の取り柄もない……? それは、実花ちゃんの思い過ごしだと思うよ? 実花ちゃんの側にいるだけで、幸せだぁって、思う人、結構たくさんいると思うし……。それって、特別な事じゃない? 現に僕も今、実花ちゃんと共有しているこの時間に、幸せな気分たくさんもらってるけどね?」
駿先輩の優しい言葉がお世辞抜きで嬉しかった。
「またまた……! でも、そう言ってもらえると、元気でます!」
照れながらも自然に笑顔が戻る。
「そう! その笑顔!!」
よしよしと私の頭をポンポンする。
その時だった。
「お兄ちゃん、財布忘れてるよ! もう!」
聞き覚えのある声に心がフリーズする。
「……あれ、実花ちゃん……? ここでバイトしてたの?」
ユミがなぜ、ここにいるのか理解するまで少し時間がかかったが、駿とユミが兄妹だということは、二人の綺麗な顔立ちを見比べれば、容易に納得できた。
ユミは、突然意外な場所で実花と出くわし、孝太と図書室で話していたことが、頭の中でぐるぐると鈍い音を立てながら回り続ける。
「まさか、お兄ちゃんのお気に入りって言ってた子、実花ちゃんのこと?!」
ユミ先輩の笑顔が引きつっているのは、鈍感な私も流石に気が付いた。
「おい! ユミ!! 冗談はやめろ!!」
いつになく否定の言葉に力が入っている駿先輩。
(びっくりした……、やっぱり冗談だよね!)
私はそんな駿先輩の様子を見て、ホッとする。
『何でこの子ばかり……!』
ユミの中では嫉妬と妬みが、不協和音を奏でながら渦を巻いていた……
駿とユミの意外な関係に、すっかり昼間の出来事が私の頭から消えていた。
バイトが終わり、真っ暗な中家路を辿る。
ようやく目の前に家が見えると、近くに人の気配を感じる……
忘れていた昼間の出来事が蘇り、恐怖に震えた。
早足でその横を通り過ぎようと真っすぐ前を見る。
「実花!」
突然私の名前を叫んだ声とともに、手を掴まれた。
「もうやめて……!」
怖くて怖くて叫んでしまう。
「俺だよ、翔太だよ!」
聞き覚えのある声に気づき懸命に頭の中を整理する。
「何で……? 翔太がここに……?」
安堵の為なのか、恐怖のせいなのか……まだ震えが治まらない……
「昼間様子変だったろ? 電話なんかじゃ心配でしょうがないから、直接来た……」
翔太の温かい手が私の指先に触れる。
「電車に乗った後もずっと気になってたんだ……。なんで俺あの時先に電車に乗っちまったんだろう……って」
暗闇の中……、翔太の声が心地いい。
「心配……してくれてたの……??」
もう、泣きそうだった。
一番逢いたかった人……
今目の前にいてくれることが、夢でないことを願ってしまう……
「あぁ……それに……駅で実花の顔見たら、もっともっと逢いたくなって……止まんなかったんだ」
本当に嬉しかった。
自分も全く同じ気持ちでいたから……
「とにかく、中入ろう?」
玄関まで翔太を招き入れて、ハッっと気がつく。
(そうだ……、お父さん入院中だから誰もいないんだ!!)
「どうした?」
どうしよう……と焦る私に全く気づかない鈍感な翔太。
「あのピアノ、懐かしいな……。よく二人でおんなじ椅子に座ってたよな……」
玄関の正面から見える、リビングのピアノをみて、翔太は懐かしそうに笑う。
「なぁ、久し振りに、弾かせてもらってもいいかな? 実花に話したいこともあるんだ」
不純な気持ちは一切なさそうな翔太の目を見て、私は翔太を家に上げた……