二階層
「歩き、づらいな……」
現在俺は、二階層へと続く階段を下っていた。
その道行きは順調とは言いがたい。
下に向かえば向かうほど、足元で茂る草木の数が増えていくのだ。足が何度も取られそうになり、非常に怖いし危ない。
かといって剣を使って伐採しながら進んでいくのは刃が痛むから嫌だ。
腰に手を当てて、光苔をくるんだ灯りを落とさないようにしながら無言で歩く。
暫くの間階段を下っていると、下方がやけに明るいことに気づく。
光か?と疑問に思いつつも、階段を降りきる。
「うん……暖かい」
二階層と一階層を隔てる扉の隙間から射し込む光に手を当てて見ると、案の定暖かかった。
俺の知る太陽の光となんら変わらない。
意を決し、俺は扉を押す。
ゴゴゴと鈍い音を立てて扉が開いていく。
「━━━っ」
思わず、目を閉じる。
「眩し……っ」
瞼の裏側が真っ白に染まる。
薄暗い所から、いきなりこんな明るい所に来たせいだろう。
非常に目が痛い、てか頭も痛い。
俺は眉をしかめ、目が慣れるのを待つ。
しばらく経つと脳をガンガンと揺さぶるような鈍い痛みは鳴りを潜めた。
ゆっくりと瞼を開き、周囲を確認する。
「ここは……森?」
森だった。
しかも、日本では考えられないような高さを持った巨大な木ばかりが立ち並んでいる。
俺は唖然に取られ、少しの間立ち止まっていた。
「ここって、地下……だよな」
上を見上げると、煌々とした光を放つ太陽があった。
「なんで地下なのに、太陽が……?」
あり得ないだろ。
普通に考えて。
そこまで考え、その考えを直ぐ様切り捨てる。
……よくよく考えると世界に神が降りてきて、ダンジョンを出現するような摩訶不思議なことも起きたんだ。
今さら驚くようなものでもないか。
こういうものだと捉えよう。
「……と、立ち止まってる暇はない」
今は一刻でも早く食糧と水の確保だ。
背丈ほどの草木を掻き分けて、俺は宛もなくさ迷う。
なんせ、この二階層がどれだけの広さを誇っているのかもわからないし、どこを目指せばいいのかもわからない。
とりあえず、歩き回るしかないのだ。
今の現状が非常にまずいことを理解しつつも、俺はひたすらに足を動かした。
※※※※
「━━━ッ」
草木を歩いていると、突然右足に鋭い痛みが走った。
思わずしゃがみこみ、うずくまる。
恐る恐るズボンの裾を捲ると、肌に拳大程度のだんご虫みたいなのが張り付いていた。
「うわぁーー!!」
叫び、無理矢理に引き剥がす。
その拍子に皮が剥がれ、さらに痛みが走ったがそれよりも驚愕と気持ち悪さのほうが勝った。
俺の血を吸っていただんご虫は、全身を朱色に変えて、わしゃわしゃと足を蠢かせていた。
直ぐに剣で巨大だんご虫を貫く。
「キキキっ」と甲高い声を上げて、光のオブジェと化して消滅した。
傷口を確認する。
幸い、噛まれて直ぐに気づいたようで傷は深くなかった。
俺はホッと安堵のため息をつき、その後ステータスを確認する。
あの巨大だんご虫を倒して得た魂級はたったの5。
まぁこんなもんかと思いつつ、俺はさらに足を進めよう━━として、周囲の叢から聞こえてくる「キィキィ」とガラスを引っ掻き続けているような異音に気づく。
「……なんだ?」
非常に嫌な予感がする。
ジリジリと後退る。
しかし、もう既に周囲を囲まれているようでガラスを引っ掻き続けているような音は四方八方から聞こえてくきた。
俺は剣を構える。
と、次の瞬間。
「キシャキシャキシャ!」
草藪から、黒い砲弾のようなものが勢いよく飛んできた。
「なんだ、これ!?」
ガンっと剣を振るい打ち払うが掌に重い衝撃が走り、じーんと痺れた。
地面にぼとりと落ちた砲弾のようなものを確認する。
「━━さっきのやつの仲間か」
巨大だんご虫だ。
「しかも、何匹いるんだよこれ……」
わさわさと草木を踏み締めて、おびただしい量の巨大だんご虫が現れる。
巨大だんご虫の奇声が周囲を満たし、とてつもなく気持ち悪い。
仲間が殺されて怒っているのかと思ったが、どうやら違うらしい。俺の血の匂いに引かれているっぽい。
「くそ……っ!」
直ぐに判断を下す。
この数を相手にするのは無理だ。
一匹倒したとしても、その間に他の奴らに群がられて食い殺される。
……逃げるか。
狙うは一点突破だ。
視線を前方に向ける。
だんご虫の群れ、それを越えた所に二メートルくらいの木がある。木に登りさえすれば、さすがに追ってこないだろう。
というより、それ以外に道はない。
足に力を込める。
ここでしくじったら確実に死ぬという緊張感が、全身を満たしていく。
「━━」
駆ける。
上昇したステータスは、以前とは比べ物にならないスピードで、俺の体を前に運んでいく。
風を切る音が鼓膜を震わせる。
できるだけ早く足を動かし、巨大だんご虫を蹴飛ばして走る。
「━━っ」
左足に鋭い痛み。
無視して走る。
「ぐっっ!」
背中に鈍い衝撃。
体当たりを食らったのだろう。
肺の中から空気が吐き出されて、喉奥から血の臭いが漏れでる。
「うおおおお!」
痛い痛い痛い痛い痛い。
とにかく、全身が痛い。
ふと後ろを振り返ると、俺が歩いてきた道には点々と血の跡が続いていた。
その血の臭いを追いかけて、さらに巨大だんご虫が集まってくる。
「最悪だ」
血の臭いがする息を吐きながら、俺はようやく木の根もとにたどり着く。
木の出っ張った部分に手をかけ、体を持ち上げる。
その最中にも巨大だんご虫は、背後から突進を繰り返し、俺の全身を襲う。
痛くて堪らない。
死にそうだ。
いや、殺そうとして来てる。
それがはっきりと分かった。
爛々と輝く双貌には、純然たる殺意が存在していた。
心がすくみそうになる。
「……けど、俺には生きて帰らなきゃいけない理由があるんだ!」
こんな所で死んでやるか!
その思いだけが、死に体の身体を動かしていた。
足に力を込める。指先に力を込める。
上へ上へ上へ━━━。
這いつくばるようにして、樹を登る。
気づいたら、巨大だんご虫達の攻撃はやんでいた。
視界が霞む。
血が足りてないんだろう。
眼下を見下ろす。
巨大だんご虫は、どうやらこの高さまでは追ってこれないらしい。
……助かった……?
いや、どう考えても助かってない。
「はぁはぁ……」
灼熱のような痛みを訴える身体を引き摺り、枝の方に向かう。
これだけ巨大な木だ、枝もとてつもない広さで寝転がっても余裕がある。
幹に背を預け、身体の調子を確かめる。
「━━いっ!」
右足に触れた途端、電流のような痛みが走った。
たぶん、折れてる。
左足は……?
恐る恐る触る。
「━━っ」
痛いけど、なんとか耐えられる。
たぶんこっちは折れてない。
両手は無事だ。
でも、右足は折れてても尚樹を登るために酷使したため、損傷が酷い。
これ、立ち上がれる気がしない。
背中も滅茶苦茶痛いし。
たぶん、こっちも何本か折れてる。
だって血の量が凄いもん。
震える掌を握り込む。
もうほとんど、力も入らない。
「………どうしろって言うんだよ」
俺は馬鹿だが、この絶望が分からないほど馬鹿でもない。
広大な面積を持ったダンジョン。
そこに一人、助けてもらえる人もいない状況で、命綱である足を無くす。
加えてこの血の量。
「どうしようも、ないだろこれ………」
全身から滴り落ちる血を求め、根本では巨大だんご虫が「キィキィ」と囀ずりながらひしめしあっている。
頭上で、「ピィーー!」と鳥の鳴く声がした。
霞む視界で、空を見上げる。
雲一つない真っ青な空を切り裂くように、黒羽の鳥が飛んでいた。
黒鳥と目があった。
俺の生き絶えるのを待ってるのだろう。
そう直感できた。
「……ァアあぁ……」
次第に、痛みを感じなくなってきた。
やって来るのは静寂。
不愉快な虫の囀ずりも、もう何も聞こえない。
世界が遠ざかる感覚がした。
もう、そこに確かにあるのかさえ分からない、ふわふわした感覚がやって来る。
いつの間にか、視界は黒いベールに覆われていた。
今自分が呼吸しているのか、それさえも分からなかった。
泥沼のような意識の中、俺はゆっくりとやって来る死の感覚を、鮮明に感じていた。
ゆっくりと遠ざかる世界。
喪失していく五感。
━━ごめん、約束守れなかったよ……。
今は、それを言うだけで精一杯だった。
他にもう何も考えたくなかった。
謝って、許してもらおうなんて思っていない。
本当は、謝りたくなんかない。
もう一度会いたかった。
母さんと父さんとの約束も守れなかった。
そんな自分が情けなかった。
悔しくて、悔しくて、仕方ない。
でも、もう終わり。
樋野秋の人生は、ここで閉幕。
現実なんて、こんなもんだ。
冷たい死に向かう感覚の中、俺は再度確信する。
いくらゲームみたいになっても、この世界は現実で、そして現実では望んでも手に入らないものの方が多くて、願っても叶わないことの方が多い、と。
そんなの当たり前だ。
なにもしてこず、ゲームという娯楽に浸かりきって、怠惰な日々を貪るだけ。
そんな、どこにでもいる普通の高校生が、命のやり取りとか、そんなのできるわけなかった。
馬鹿だった。浅はかだった。
まだ注意が足りなかった。 だから死んだ。
あの時一階層で巨大だんご虫を倒せるだけの力を手にしておけば。
そんな後悔ばかりが頭に浮かぶ。
でも、後悔してももう遅い。
後悔するのは常になにかを『やらかした後』で、そして、その後悔には総じてなんの意味もないのだ。
意識が暗転する。
そうして、冷たくて暗い闇が、意識を包み込んだ。
『時神の加護が発動します。3/3→2/3』
『樋野秋の身体の損傷率は32%。修復を開始します』
『修復を完了しました』
『樋野秋を復活』
『ゲームを続けますか?』
>はい
いいえ
continue!