帰還
気づいたら、俺は荒野にいた。
「ええっと、ここは……?」
辺りを見渡す。
360度、ぐるりと回転して周囲を確認する。
そこで遠くの方に倒壊したビルの山があることに気づく。
俺は僅かに息を飲む。
この強化されたステータスは、魔物が地上に溢れた『今』の日本の現状を、しっかりと確認できたからだ。
そこにあったのは、文明の象徴である超高層ビルが魔物達によって地に倒れ、無惨に破壊された光景であった。
ガラスの窓は全て粉々に砕け、所々捲れ上がっているアスファルトの道路に散らばっている。
その、まるで『世界滅亡後』のような有り様に、俺は乾いた笑い声をあげた。
そして同時に確信する。
「ここ、渋谷か」
恐らく渋谷ダンジョンをクリアしたことにより、ここに立っていた迷宮が消失し、このような有り様になっているのだろう。
ため息をつき、俺はとりあえずビルが倒れている方角に向かって歩き始める。
後ろの方にも、遥か彼方に文明の名残が見えるが、後ろより前に歩いた方が距離は近いのだ。
とにかく今は、人に会いたかった。
そして色々と尋ねたかったのだ。
「それに、あそこに人が居そうだったしな」
俺は視線を遥か彼方に飛ばす。
スキルの効果なしでも、この人外のステータスなら10キロほど先の物体でも、鮮明に見ることが出来たのだ。
自分の化物っぷりに少し冷や汗が流れたが、そのお陰で見つかったものもあった。
それは、巨大な壁だった。
意味が分からないだろうか?
だが、確かにあれは壁だった。
薄灰色の、巨大な壁。
それは中にある何かを包み込むような形で、存在していた。
もしかしたら、あの中に生き残りがいるのかもしれない。
そんな風に思い、俺はとりあえずそこを目指すことにした。
「いや、その前に━━」
【意思反映】このスキルは一体どんな力を秘めているのだろう。
この力についてうっすらと分かっていることは、『願い』『信じる』ことがこのスキルの発動鍵になっているということだ。
俺はこのスキルを使い【神殺し】の意思をこの世界に反映させた。ならば、このスキルで【春の居場所を俺は知っている】と定義した場合、春が今現在どこにいるのか分かるかもしれない。
瞳を閉じて、定義を決める。
『【春の居場所は、既知の事実。俺は既に知っている】』
瞬間━━。
「………っ」
ガラスが砕けるような凶音が、頭の中で響いた。
「━━失敗か」
どういう原理かわからないが、春を意思反映のスキルで探すことはできないらしい。
何が出来て、何が出来ないのか、このスキルについては謎が多い。後々検証していこう。
と、その時。
遠くの方で、
もくもくと土煙がこちらに向かってくるのが見えた。
嫌な予感を抱きつつも、ピントを合わせるとそこには大小様々な姿形をした魔物の数々が━━。
「まったく、ちょっとは生還できた喜びを味合わせてくれよ……」
嘆きつつ、俺は腰から剣を抜く。
だが、ちょうどいいタイミングと言えばちょうどいいタイミングだった。
【意思反映】のスキルの検証にはちょうどいい。
そう心の中で呟き、俺は体の調子を確かめる。
何故だか分からないが、すこぶる絶頂だった。
気分は冴え渡っていて、体も快調。
本当に、最高の体調だ。
疑問に思いつつ、俺は魔物がこちらにやって来るのを待つ。
色々と気になることもある。
それは、地上に生息する魔物はダンジョンの魔物よりも強いのかどうか、だ。
これ次第で、今後の身の振り方は大きく変わっていく。
もしもダンジョン深部よりも強い魔物がそこら辺にいたなら、真正面から戦うのは危険だ。
勝てる確信を持ったときだけ戦うか、できれば逃げた方がいい。
だがそれは、地上の魔物がダンジョンの魔物より強い場合だけだ。
地上の魔物の方がダンジョンの魔物よりも弱いのなら、戦って、少しでも力を上げた方がいい。
力はあって困るものじゃないからな。
地上の魔物の強さを見るために、ここで戦闘を行うのは必須だ。
それにもし敵わなかったら、【隼の脚】のスキルで空に飛んだらいいし。
そんな事を考えていると、百メートル程前まで魔物の群れは砂煙を上げて迫ってきていた。
「まずは、小手調べだ」
俺はそう呟き、剣を軽く振り抜く。
瞬間━━━。
轟音が周囲一帯に響き渡る。
「━━え?」
それは、まさしく地形を変えたと言うのが正しかった。
俺が剣を振るった瞬間に発生した風の刃は大地を深く切り裂き、その先にいる魔物の殆どを肉塊に変えた。
遅れてやって来るのは嵐のような土煙。
【剣ノ王】のスキルも何も発動させていない。
ただ軽く剣を振るっただけ。
にも関わらず、俺の魔力感知によれば━━。
━━この広大な荒野の3分の1を、削り採ってしまったらしい。
「ちょ、え!? えぇ……!?」
混乱した。
何でこんなことになったのか、理解が出来なかった。
ダンジョンの中じゃ、スキル剣ノ王を使った剣技でも、こんな大惨事に陥ることはなかったのだ。
だから、大丈夫だと思って剣を振った。
その結果がこれだ。
何でそうなる?
それが、俺の純粋な疑問だった。
「ダンジョンの中は、地上とは比べ物にならないくらい頑丈だったのか?」
そんな風に考えてみるが、今はもう答えがわかる筈もなく。
残った魔物は、未だ勢いを殺すことなく俺の方に向かってきていた。
※※※※
桐生 琴羽は、空を見上げていた。
琴羽は、空が好きだった。
どこまでも続く深い青。
それを彩るようにして浮かぶ、一切の穢れのない白い雲。
それは、琴羽にとって世界で一番美しいもののように思えたのだ。
しかも、その世界で一番美しいものは、名のある芸術品のように決まった誰かのものでなくて、誰のものでもない美しいものなのだ。
琴羽は、それもまた空を気に入っている理由でもあった。
しかし、琴羽がその大好きな空を見上げる時は、決まって現実逃避をしている時に他ならなかった。
そう、今琴羽は現実逃避をしているのだ。
琴羽に与えられた任務は3ヶ月に及ぶ渋谷ダンジョンの監視。
その期限がもうすぐ終わり、無事壁に囲まれた『安全都市』へと帰還することが出来る、と舞い上がっていたその時ある知らせを情報伝達組織『情伝』であるハレから知らされたのだ。
それは、任務期間の延長。
話によると、琴羽の後この任務を担当する筈だった者が魔物に襲われて死んでしまったらしいのだ。
そのため、新しい人員を探し、そこに派遣するための期間としておよそ1ヶ月の任務延長を伝えられたのだ。
(……ふざけないでよ。勝手にミスして、勝手に死んだのは死んだ奴の責任でしょ。なんでその馬鹿な奴の失敗のツケを、私が払わないといけないのよ……!)
怒り、そして琴羽は現実逃避していたのだ。
大変革の日から、今日で凡そ二年。
その間に琴羽の考えも随分変わった。
具体的にいうのなら、何よりも自分の命を大切にするようになったのだ。
もし自分が危機に陥ったときに、そこに身代わりに出来る誰かがいたなら迷いなくそいつを身代わりにするほど、琴羽は自分を大切にしていた。
それは、この新たな世界で何人もの魔物に殺された人を見てきたからであった。
琴羽の両親に妹を始めとして、仲の良かった友人に、大切だったペット、その他諸々━━。
とにかく、琴羽はあの大変革の日に、全てを失ったのだ。
家も、頼れる人も、何もかも。
今この世界で、『桐生』の姓をもつ家族は、誰一人いない。
皆皆皆皆━━魔物に殺されたのだ。
だから、桐生琴羽は死ねない。
自分から大切なものを奪っていた魔物への復讐、そして死んでいった大切な人たちの代わりに幸せを掴まなければいけないのだ。
それは義務だ。
果たさなければいけない使命なのだ。
そのためなら、なんだって犠牲にする。
その壮悲な覚悟が琴羽にはあった。
ともかく、琴羽は死ねないのだ。
にも関わらず、本来終わる筈だった任務は、死んでいった後続人の為に延長されたのだ。
こんな、いつ死んでもおかしくないような『外界』に━━。
琴羽が憤るのも、仕方ないと言えば仕方なかった。
「まぁまぁ琴羽ちゃん、そんなに怒らずに……」
琴羽の苛つきを察した灯尻 ハレは、倒壊した家屋の片隅に置いてある巨大なバッグからとっておきのアイテムを取り出した。
「じゃじゃーん! 見てください琴羽ちゃん、これなんだか分かりますか?」
取って付けたような高めのテンションに、琴羽は苛つきに顔を歪める。
「わからないわよ。何なのそれ……」
不機嫌そのものの声色で、琴羽はハレにそう切り返す。
その剣呑な雰囲気にハレは少し押されてしまうが、直ぐに気を取り直した。
「これ、なんとティーバッグです。それもレモンティー。高級なやつですよ」
「レモン、ティー……」
琴羽は驚きに顔を染める。
今の世界、お茶というのは殆ど存在しないのだ。
それはひとえに、茶を育てるために必要な立地が殆ど無くなってしまったからである。
ミドリムシによって食糧問題は解決したとはいえ、それは最低限のものだった。
お茶などの嗜好品は、この世界にはもう殆ど存在しないのだ。
というより、そんなものに掛ける時間はないのだ。
しかし、倒壊した家屋や、ビルを探すと希にこのような嗜好品が見つかることがある。
それは危険を犯して外界へと出ていく軍の人間にとって唯一の楽しみなのだ。
「これ、半分上げるから機嫌直してください。今は私たちはパートナー。パートナーがそんな顔をしていたら、こちらの気が滅入ります。ですので、これを飲んで心を落ち着けましょう。ね?」
琴羽を宥めすかすようにして、ハレはそう言った。
そのハレの行動を見て、琴羽は僅かに目を見開いた。
琴羽にとってのハレの印象は、かわいいが意地の悪いやつ、だった。ことあるごとに琴羽をからかったり、食糧のミドリムシを大量に食わせたり、とそんな行動ばかりしてくるハレに、琴羽はあまりいい印象を浮かべていなかった。
たぶん、そんな雰囲気も出ていた筈だ。
だというのに、ハレは気分を悪くした琴羽に気を使い、貴重なティーバッグを琴羽の為に使ってくれるという。
琴羽の中で、ハレの印象が上がっていく。
それに、琴羽も女の子だ。
久しぶりに甘いものにありつけると聞いたため、自然と頬が緩む。
その琴羽の様子を見たハレは、にやーと意地の悪い笑みを浮かべる。
「なんですか、その嬉しそうな表情~、嬉しいんですか、嬉しいんですよね。仕方ありませんね、琴羽ちゃんは」
にやにやとしながら琴羽に暖かな目線を向けるハレ。
そのハレの目線に気づきつつも、琴羽は意図的に無視してバックからコップを取り出した。
「もう~、本当につれない人ですね~。超可愛い」
頬をとろけさせながら言うハレが、紙包装を切って琴羽が無言で差し出した大きなコップにティーバッグを入れる。
そして、暖めた水を入れようとしたその時━━。
「うわッ!!」
地面が、大きく揺れた。
あまりの揺れに、二人は立っていられなくなり、地面に踞る。
そして、その後巨大な光が渋谷ダンジョンの方から立ち上る。
明らかな異常事態。
未だ鳴動を続ける地面を這いずるようにして進み、琴羽は渋谷ダンジョンが見える外へと繰り出す。
「━━『遠目』」
琴羽が、光の立ち上った方向へとスキルを発動させる。
「━━━なっ!」
そして、大きな驚嘆の声を上げる。
「どうしたんですか琴羽ちゃん! 何が起きたんですか!」
滅多に取り乱すことのない琴羽。
その琴羽のあまりの慌てっぷりにハレは狼狽して疑問の声を投げ掛ける。
琴羽から返ってきた言葉は、ハレの予想を大きく上回る言葉だった。
「━━渋谷ダンジョンが、消えた」
ハレは衝撃に身を打ち震わせながら考える。
それと殆ど同時に、琴羽も思考を巡らせる。
今何が起きたのか、そして何をするべきなのかを。
迷いは一瞬、優秀な二人の兵士は直ぐに答えへとたどり着いた。
「ハレ! 本部に至急連絡を!」
「━━分かってます!」
応え、ハレは直ぐに思念伝達のスキルを発動させて情報伝達組織の長 陸花 和馬へと思念を繋ぐ。
迅速に、この状況を伝えねばならない……!
その目的にしたがって、和馬へと掛けられていた他の『思念伝達』のリンクを全て切断しハレの思念伝達は和馬へと伝わる。
『どうした、灯尻。何が起きた?』
和馬はハレの荒々しい思念伝達から、ハレの方に何か異常な事態が起きたのだと直ぐに察し、速やかに現状の報告を促した。
「和馬さん、大変な事が起こりました! 第一迷宮【渋谷ダンジョン】が突如、消失したのです!」
『なんだと!?』
ハレの報告に、和馬は驚愕の叫び声を上げる。
そして、数瞬の思考の回転の後、和馬は迅速に判断を下す。
『それはつまり、ついに迷宮攻略者が現れたという事だな?』
「はい、恐らく」
『では、情報伝達組織のリーダー 陸花和馬の名に於いて、灯尻 ハレと、桐生琴羽に緊急任務を与える。
内容は━━世界で初めて現れた迷宮攻略者、人類の希望の保護だ。迷宮攻略者を保護した後、君たちは直ぐに戦線を離脱し、渋谷ダンジョンに一番近い『拠点』まで撤退。
それが成功したら、私に即時報告しろ』
「はい!」
『━━いいか、これは失敗が許されない任務だ。
ここで迷宮攻略者を取り逃すのは、人類の全滅を意味すると思え。頼んだぞ、ハレ』
ぶつりと回線は切られる。
ハレは、隣で様子を見守っていた琴羽に視線を向ける。
琴羽はコクリと頷く。
「それでは琴羽ちゃん、恐らく今現在渋谷ダンジョン跡地にいるであろう迷宮攻略者の保護に向かいますよ。━━準備はいいですか?」
「━━完璧よ」
琴羽は、ハレが和馬と思念伝達をしていた時に、既にこの命令が与えられると踏んで、荷物も纏めていたのだ。
琴羽は優秀なのだ。
「それと、あの光を見た魔物たちが一斉にあの光の元に向かっているわ。行くなら直ぐに向かいましょう。いくら迷宮攻略者とは言え、あの数の魔物の相手は無理よ。早く、助けないと」
そういい、琴羽はハレの手を握る。
琴羽がデリウリから与えられたスキルは【隠密】。
そのスキル内容は、自身の存在を極限まで薄めるといったものだ。このスキルのお陰で、琴羽は今日まで生き残ってきたのである。ちなみに、このスキルは自分と触れた相手にも効果を及ぼすのである。
そうして、二人は気配を消しつつ渋谷ダンジョン跡地へと向かった。
この後目にする光景は、彼女達の予想を遥かに上回るものだという事を、彼女達はまだ知らない。
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