最深部
「ここが、最深部……」
俺は目の前に立ち塞がる大きな大きな扉を前に、そう溢した。
ここが最下層なのかどうなのか、それは俺には分からないが、ここがちょうど100層だということと、扉の先から漂ってくる尋常でない気配から、俺はそう推察した。
ごくり、と生唾を呑み込む。
この先の敵との戦いは、恐らくこのダンジョンの中で最大の死闘となると、そう確信にも似た悪寒を感じたのだ。
俺は逸る心臓を落ち着ける。
ぞくぞくと、胸の奥から這い出てくる痺れにも似た恐怖に全身が震える。
「くそっ!」
足を殴り付け、笑う膝を問答無用で押さえつける。
確かに怖い━━だが。
逆に考えれば、ここで勝てば俺は地上に帰れる。
俺はそう考えることでやってくる恐怖を抑圧した。
一つ一つ、思い出す。
ここで戦い、命を掛けて得た力の数々。
触れさえすれは勝てる最強の武器。
敵を妨害するアイテム。
体調も万全。
最後に、朧気に春の顔を思い出す。
上に帰るという誓いにも似た想いは、誰にも負けない。
それは確信できた。
そして、震えが止まった。
深呼吸を繰り返していると、逆に力がみなぎってきた。
「絶対勝つ」
呟き、俺は最終ステータスを確認する。
《ステータス》
名前:樋野 秋
魂級:285500
加護:時神の親愛(2/3)
称号:英雄
筋力:27850
体力:30821
耐性:28980
敏捷:56210
魔力:78520
魔耐:42570
ユニークスキル:【意思反映】【早熟】
EXスキル:【完全収納】【魔力感知】【剣ノ王】【極炎魔法】【氷終魔法】【腐蝕ノ腕】【隼の脚】【錬成】【解析】【思考加速】【五感強化】【弱点看破】【急所確貫】【強者の威圧】【未来予測】【臨界点突破】
~~~~~~~~~~
もう俺に通常スキルは存在しない。
全てのスキルは上位のEXスキルへと進化し、その効果も尋常出なく跳ね上がっている。
ステータスだって、今やもう完全に化物の域だ。
現に、90層の守護者も余裕で倒せた。
順当に考えると、例え100層の守護者でも負ける筈はない。
だが、どうしようもなく嫌な予感がする。
そのさざめきにも似た不安は、どう足掻いても消えてくれない。
━━それに、不安もあるっちゃある。
俺が初めから所持していたユニークスキル【意思反映】、このスキルの使い方が未だに分からないのだ。
解析を使い調べてみても、『表示できません』という言葉のみが響くだけで、分からなかった。
これが、一抹の不安だ。
だが━━、
「最善は尽くした。これで死んだら、まぁ仕方がない」
寝て、体力は回復させたし、体調はすこぶる良好。
お腹いっぱい飯も食べたし、力も出る。
全てのスキルをもう一度使い、最後に感触も確かめた。
最善は尽くした。
悔いはない。
「さぁ、行こうか」
両の掌で、重く荘厳な扉を開ける。
※※※※
部屋に入った途端、ぼわりと壁に立て掛けられた松明に灯がつく。松明は一番手前のものが着くと、連鎖的に後ろの松明にも灯が移る。あっという間に、第100層は眩いほどの炎に照らされた。
俺は、一直線に続く道を歩く。
ここが、いつもの守護者階層とは違うことは部屋の作りからして理解できた。
まず、地面は今までのむき出しの大地ではなく、白く輝く塗料が塗られており、まるでフランスのベルサイユ宮殿のような床だ。
天井には同じように塗られている白い塗料の上に、美しい絵が描かれている。
ここは、まるで『白の回廊』だ。
と、暫く歩いていると一際開けた場所に出た。
白い空間、そう形容するのが一番正しいだろうか。
見渡す限りの白。まるで自分が確かにそこに存在しているのか、それすらもあやふやになりそうな『白』の空間があった。
俺はその異様な光景に、少し唾を呑み込む。
「━━よし、行くぞ」
躊躇いがちに、足を踏み入れた途端強烈な圧迫感が俺の全身を襲った。
俺は反射的に視線を前に飛ばす。
「━━━っ」
驚きのあまり、声が出なかった。
だらだらとこちらまで流れてきている鮮血に、遅れてようやく気づいた。それはこの神聖な白い空間を冒涜するように、あるいは切り裂くように存在していた。
『白い空間』の中央では巨大な一体の竜が血を流し横たわっていた。その竜の首はとてつもなく鋭利な刃物で切られたのか、その断面は背筋が凍るほどに鮮やかだった。
恐らくこの【第百層守護者】は、自分の死を自覚することも出来ずに、死んだのだろう。
恐る恐る、竜の亡骸の上で片膝を立てて座っている仮面の男に、視線を向ける。
仮面の奥で光る赤の双貌が、こちらを見据えていた。
緊張が、高まっていく。
俺はこの男から、一瞬足りとも目を離すことが出来なかった。
圧倒的な存在感、絶対的な圧迫感がこの男から垂れ流されている。
「━━はは、そう心配するなよ秋。私はお前の味方だよ」
竜の亡骸を踏みつけて立ち上がり、仮面の男はそう言葉を発した。
この男の言っている意味がわからない。
味方?というか、俺の名前をなんで知ってる?
焦燥に背を押され、あまり考えずに口先から言葉が出た。
「味方……?それはどういう意味だ」
仮面の男は、それを聞いて即答する。
「そのままの意味さ。私は君の味方、支持者、後輩さ」
「味方ならなぜ、そんな殺気を振り撒いている?」
剣に囲まれてるような殺気。
それはこの部屋に入った瞬間からしていた。
こんな殺気を振り撒いておいて、味方だなんて無理がある。
「悪いが俺には、お前が味方だなんて思えないな」
「うーむ。残念だ。だが、私は確かに君の味方なんだよ。君に害のあることはしないさ」
そう言いつつ、仮面の男は腰からスラリと剣を抜く。
一目見ただけでも、すさまじい切れ味の剣だと分かる。
恐らく、俺の作ったこの剣と同じか、それ以上の業物だ。
「はっ、ならなんでこのタイミングで剣を抜く」
「私が君の味方だからだよ」
話にならない。
そう判断して、俺は完全収納から『放光石』をこっそりと取り出す。一応、対話はする。
もしかしたらこいつが本当に味方の可能性も、極少ないがあり得る。だが、警戒しつつ、だ。無防備なまま話をする気にはならない。
「お前も剣を抜いたんだ。俺も抜かせて貰うぞ」
剣を抜く。
そしてそちらに仮面の男の視線がいった瞬間に解析を発動させる。
~~~~~
《ステータス》
役職:時神
『error これ以下は、表示できません』
~~~~
━━衝撃に、背筋が震えた。
唇が戦慄き、俺は喘ぐように声を漏らした。
こいつが、時神……?
俺に加護を与えた張本人?
ていうか、神?
なんでこんなところに?
え? でも、時神なら味方?
思考が混濁し、頭が真っ白になった。
そんな俺の様子を見て、仮面の男━━時神は仮面の奥の目をスッと細める。
「その反応、そして今私の身体に走った感覚……。秋、私の中を覗いたな?」
「あ、あぁ……」
「ふむ、なら私が誰なのかもう分かっているだろ? 秋に『代死』の加護を授けたのは私だ。これで、私が秋の味方だと信用してくれたかな?」
━━思考を巡らせる。
驚いた。
驚いたが、こいつが俺に危害を加えるということは無さそうだ。
こいつには、一度助けてもらっている。
加護を与えて貰えていなければ、俺はあの二層で死んでいたのだ。言うなれば命の恩人。
疑う理由は、ない。
━━いや、違う。そうじゃない。
俺はこいつに怯えているのだ。
それは生物としての本能。
圧倒的上位存在である『神』への畏怖だ。
どう足掻いても勝てるビジョンが浮かばない。
もしこいつが敵だとしたら、何も出来ずに殺される。
だから、疑うだけ無駄だ。
むしろ、疑って不興を買ってでもしたら、助かる命も助からないかもしれない。
そんな自己保身の考えが、この時神が味方であるという決断をさせた。
「あぁ、疑って悪かった。あなたが時神なら疑う理由はない。むしろ、感謝している位だ。俺を助けてくれてありがとう」
腰を曲げて謝罪する。
「いやいや良いんだ。それより顔を上げてくれ。そんな態度を取られると、いささか調子が狂う。私だって、慈悲の心で秋にその加護を与えたんじゃないしな」
「なら、何のために俺に加護を与えたんだ?」
何気ない気持ちで、俺はそう尋ねた。
時神はその問いに答えるため、【百層守護者】の身体から飛び降り俺の方へと向かってくる。
圧倒的な存在感を持つ時神がこちらに向かってくるのは、危害がないとはわかっていても、直ぐに逃げ出したくなるほどのプレッシャーだった。
時神は俺よりも身長が高く、見下ろすような形で質問に答える。
「それは、君だけがこのゲームを終わらせれるからだ」
仮面の奥の紅眼が熱を帯びる。
「この地獄に終わりはない。本来破壊と創造の神デリウリが、このゲームを仕込んだ時点で、終わらせることはできないんだ」
俺の目を覗き込むようにして、伝える。
その瞳に宿る異様な色に、俺は気圧されつつも返す。
「ゲーム? それって、この世界中にダンジョンが現れた『今』の事を言ってるのか?」
「あぁ、そうだ。だが、君だけは違う。秋だけは、この地獄から皆を救える力を持ってる。だが━━━」
ゾクリと肌が粟立った。
逃げようと、足に力を込めたその瞬間━━時神の剣が、俺の心臓を貫いた。
「な━━━」
電撃に打たれたような痛みが、俺の全身を駆け巡る。
な……んで?
頭の中が、意味不明で埋めつくされていた。
こいつは味方じゃないのか?とか、何をされた?とか、浮かんでは消えていく疑問が、頭のなかで回り続けていた。
声を出そうとするが、声は何一つとして出ない。
代わりに出てくるのは糊のように粘つく血液だけ。
思考は空回りを続け、代わりに冷たい死の気配が這い寄ってきた。
「な……んで、だ」
疑問の声を出す。
その言葉を聞いて、時神はひどく無機質な声で返す。
「今じゃまだ、落第点だからだよ」
そして、樋野秋は再び蘇生する。




