さらに深く
あれからさらに22層俺は進んだ。
既にもう時間の感覚はなく、どのくらいの日数が経ったのかはわからない。
ただ、かなりの時間が経っているであろうことは確信していた。
恐らく今は86階層。
守護者を八匹倒し、そこから六回目の階層だからそれは間違いない。
俺は魔力感知を広げ、86階層の面積を確認する。
「……五キロか、そこらか」
下の階層に行けば行くほど、階層の大きさは変わっていく。
そして、魔物の強さも量も上がっていく。
かといって、上階層全ての魔物を倒し尽くした俺の敵ではない。
今のところあの巨大だんご虫以外で苦戦を強いられたことは一度もないのだ。
守護者でさえも、そんなに苦労しなかった。
防御力や攻撃力が凄まじいなど、守護者には一つずば抜けた固有能力を持っていたが、それでもやはり俺の敵ではなかった。
防御力が凄まじいなら腐蝕ノ腕で防御力を下げて溶かしてしまえばいいし、攻撃力が凄まじいなら隼の足で攻撃が当たらない上空まで駆け上がればいい。
ともかく、今のところダンジョン攻略は順調だ。
ドロップのシステムが実施されている50層以降では、食糧探しに時間をとられることもなく少しだが時間も短縮出来た。
さらに、80層を越えてからステータスを補強するアイテムを作ることができるようになり、より攻略スピードは増したのだ。
86層全体を頭の中に叩き込み、全て記憶する。
そして、錬成で作り上げた新たな剣を軽く握り込む。
第一層で手に入れたゴブリンの剣は、壊れかけなのを騙し騙し使っていたが、ついに70層辺りでその役目を終えた。
ここまで、よくもってくれたという感謝と、こんな無茶な使い方をしてしまった罪悪感に少し胸を押されたが、よく考えるとこんなの所詮無機物だよな、と気付き早速新たな剣を錬成で作ったのだ。
魔真石と呼ばれる魔力を吸収する特性を持つ鉱石と、魔放石と呼ばれる魔力を放出する鉱石を中心にして、その他もろもろの鉱石を組み合わせて作り上げた剣だ。
この剣は、魔力を吸収する特性と魔力を放出するという表裏の特性を持っていて、とても扱いが難しいのだが慣れたら莫大な威力を発揮する。
より詳しく言うのなら、切り裂いた部分から魔力を吸収しその代わりに爆破の属性を持った魔力を敵に送り込むのだ。
魔力を吸収するタイミングと、送り込むタイミングが一致すれば爆破の魔力が敵の全身に送られるため、敵は体内から爆発し一撃で絶命する。
いわば、一撃必殺の武器と言うわけだ。
この剣も攻略スピードを上げてくれている原因の一つだ。
「そろそろ、魔物狩っていきますか」
魔力を練り上げ自立攻撃型魔法『炎龍』を八体、同じ要領で終氷魔法で『氷龍』を8体作り上げる。
計16体の龍達は、くるくると頭上を周り続ける。
俺が魔力で『この階層の敵を倒せ』と命令を発すると、16体の暴龍たちは、ちりぢりに飛んでいく。
「よし」
頷き、俺も駆け出す。
86層は『草原』の階層だ。
見渡す限りの緑色の絨毯に、それを彩るように存在している青色の空。
まるで地上のような風景だが、ここはれっきとした地下だ。
どこまでも続くように見える草原だって、一方向に歩き続ければいつか壁にぶつかる。
これはただの幻覚のようなものなのだ。
と、その時前方に一体の魔物が現れる。
背中から黒い羽を生やした、大きなバッタだ。
ぎょろぎょろと複眼の中にある偽瞳孔をせわしなく動かし、こちらを見ている。
ぶぶぶ、と羽を動かし、次の瞬間には黒羽バッタはこちらに襲い掛かってきた。
「へぇ」
思考加速のスキルで思考を加速させ、静止したように感じる時の中、俺は解析のスキルを発動させる。
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《ステータス》
名前:ブラックアット
魂級:62000
加護:なし
称号:飢餓者
筋力:5200
体力:6500
耐性:4800
敏捷:14000
魔力:3000
魔耐:2800
EXスキル:【飛来攻撃】【風来魔法】【疾風】【悪食】
スキル:【噛みつき】【超音波】
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「なんか、面白いスキル持ってるじゃん」
解析のスキルは応用することで相手のステータスを見ることも出来るのだ。
それによると、なにやら面白そうなスキルをこのブラックアットは持っていた。
悪食━━これは文字通り、何でも食べれるというスキルだ。
このスキルさえあれば、そこら辺に生えている草を食べるだけで生きることもできるし、人の糞だって食べれる。
このスキルがあったら、このダンジョン攻略だって楽になるのに、と羨ましく思ったのだ。
まぁもちろん、草なんて食べたくないし、もし悪食があったとしても人の糞だって食べるわけないけど。
ゆったりと流れる時の中で、そんな極めてどうでもいいことを考えているとブラックアットはもう目の前まで来ていた。
魔力を込めて、剣を振るう。
結果、ブラックアットはその身体を左右に引き裂かれ、それぞれ別の方向に飛んでいき、そして暫くすると大爆発を起こす。
「やっぱヤバい威力だな」
振り返り、特大のクレーターが出来上がった草原を見て、あまりの威力に少し背筋を震わすが、特に罪悪感はない。
たとえこの美しい自然を破壊したとしても、効率的に敵を殺せたならばそれで良いんだ。
ていうか、ぶっちゃけここも二層と同じように焼いちゃっても全然構わないのだが、こんな深い階層の敵は炎程度では死なないわけで、一体一体倒すしかないのだ。
めんどくさいと思いつつ、俺はさらに魔物を倒していく。
先のステータスを見る限り、この階層の魔物は俺の魂級の半分にも満たない程度の魂級だ。
ぶっちゃけ敵にならない。
敵が弱いのは嬉しいことなのだが、いざというときに油断してしまいそうで怖い。
暫く経つと、階層全体から敵の反応が消えた。
次に鉱石を探そうとするが、この草原の階層にはどうやら鉱石は存在しないらしい。
魔力感知では、敵の位置と階層の把握はできるのだが、下層へ続く階段を見つけることまでは出来ない。
敵が消えた階段をのんびり歩いていると、頭上で炎龍と氷龍が躍り合うように戯れているのに気づく。
それを見て、少し頬を緩める。
「……まずいな、ちょっと気が抜けてきてる」
この風景のせいだろうか。
昔家族で北海道に旅行に行った時に見た景色と似ている。
ふと、あの時━━家族が全員いたときの事を思い出して、胸が締め付けられる感じがした。
「あぁ、駄目だ。ちょっとこれはまずいな」
こんな腑抜けた状態で次の階層に行くのは危険だ。
休憩を挟もう。
そう思い、完全収納から食糧を取り出す。
58層でレッドドラゴンがドロップしたドラゴンの霜降り肉を取り出す。
ついでに、錬成で作り上げたコップも取りだして中に作水石を、いれるとみるみるうちに水が貯まっていく。
それを尻目にドラゴンの霜降り肉にかぶりつく。
じゅわり、と肉汁が染みだしてくる。
舌の上で踊る濃厚な肉の感触に、思わず息を飲む。
「旨すぎる……」
この所まともに食を取ってなかったのも関係あるかもしれないが、久しぶりに食べた肉の味は泣きそうになるほど旨かった。
一心不乱にかぶりつく。今の俺を妹が見たら、「行儀が悪い!」と叱りつけるかもしれない。
だが、それくらいにこの肉は旨い。旨すぎる。
間違いなく、俺が今まで食べた物の中で一番旨い━━━
「……っぐ!!」
一気に食べたので、喉の奥に肉が詰まる。
急いでコップの中から作水石を取り出して、水を煽る。
気づいたら、ドラゴンの霜降り肉は姿を消していた。
「あぁ……。旨かった」
余韻を味わい、ごろりと寝転がる。
舌の上に残る甘美な味を咀嚼しながら、俺は空を見上げた。
暖かな光を溢す太陽が、こちらを見ていた。
眩しくて、少し目を閉じる。
少しだけ……そう思っていたが、自然と意識が闇のなかへと落ちていく感覚がした。
あぁ、まずいと淡い焦燥が脳の片隅で走るが、心地のよい睡魔に抗うことは出来ず俺は意識を闇に落とした。
※※※※
桐生 琴羽は頬に滴る水の感触で目を覚ました。
起き上がり、寝惚け眼の瞳で周囲をきょろきょろと見渡す。
「あ……そっか、今は任務の途中だった」
いつもと違う部屋の様子に少し混乱していた琴羽だが、直ぐにここに来た本来の目的を思い出して混乱を収める。
琴羽は今倒壊した民家の中にいる。
玄関は壊され、白い壁は捲れ上がり吹き抜けの風にさらされている。冷たく吹き付ける風に、ぎゅっと身を纏っているコートを強く握る。
その手はがたがたと、震えていた。
桐生 琴羽は、魔物に奪われた人類の領土を奪還するために作られた人域拡張軍のメンバーの一人である。
それも自ら危険な壁の外へと繰り出し、各地の情報を伝える最も危険な部隊、『諜報部隊』の一人だ。
彼女がこの危険極まりない諜報部隊に志願した理由は、自分に与えられたスキルが『生き残る』事に特化していたスキルであることと、生きていくのに充分な食糧を得るためであった。
桐生 琴羽に家族はいない。
あの大変革の日、琴羽の家族は全員魔物達に殺されたのだ。
それも、魔物と戦う人域拡張軍に志願した理由の一部かもしれない。
そして、琴羽は3ヶ月前本部からある命令を受けていた。
それは日本に初めて発生したダンジョン、渋谷ダンジョンの経過観察だ。
渋谷ダンジョンは大変革の日に発生した他のダンジョンに比べ、不思議な点が多い。
まず、他のダンジョンとは違い魔物が発生しないのだ。
これだけでも異常だというのに、その上渋谷ダンジョン周辺では強大な魔物の群生地帯となっている。
それはひとえに、この渋谷ダンジョンの入り口から発せられる濃厚な魔力によるものだ。
この渋谷ダンジョンは、他のダンジョンと比べて格段に魔力の量が濃い。
この渋谷ダンジョンから魔物が発生していたら、一体どれだけの被害が出ていたのか、考えただけでも背筋が凍る思いだった。
ともかく、琴羽に与えられた命令はこの異常なダンジョン、渋谷ダンジョンに何か異変があるかどうかを3ヶ月観察し、そして逐一報告する事だった。
そのために、貴重な人材である『情伝』のメンバーの一人をこの任務に同行させてもらっている。
「はい、琴羽ちゃんこれ今日のご飯だよー」
寒さに震えている琴羽の背後から声が響いた。
琴羽は視線をちらりと向ける。
そこには、厚手のコートに身を包んだ一人の美しい少女がいた。
透き通る様な白い肌に、長く延びた睫毛。
ぷっくらと柔らかそうな桃色の唇は、同姓の琴羽でさえも度々ドキリとさせる。
だがしかし、性格は最悪だ。
今だって、この糞不味い食べ物を食べて琴羽が苦しむ様子を見てやろうと目を輝かせている。
はぁ、とため息を一つ。
そして、ゆっくりと少女が渡してくれた食糧に手を伸ばす。
「ありがと」
ぶっきらぼうに返し琴羽はこの美しい少女━━灯尻 晴が差し出す機能性食品を受けとる。
琴羽はできるだけその中身を考えないようにして、一息で啜る。
それを見たハレは思わず「うわぁ……」と言葉を溢す。
「ご、豪快だね琴羽ちゃん」
そう溢すハレの頬はひきつっている。
その様子を見て、琴羽はざまぁみろと得意気な気持ちになる
(苦しんだ顔が見たかったかもしれないけど、残念だったわね!)
フッ、と勝ち気に満ちた鼻息を琴羽は漏らすが、次の瞬間やって来た強烈な嘔吐感に顔を歪める。
それもそのはず。
この機能性食品の中身は、ミドリムシなのだ。
魔物の発生により人の数が減ったとはいえ、人類生存地域のたった7都市で、余った人類の食糧を賄えるわけがない。
そこで政府が考えたのがこのミドリムシを食品として使うことだった。ミドリムシの養殖は、比較的容易にも関わらず、人間が生きていくのに必要な栄養素は全て含まれている。
栄養面でいえば、完璧な食糧だったのだ。
だが、味は最悪。
戻してしまおうと痙攣する胃を水を飲むことで押さえつける。
「食べれるものは、食べないと。今はもうそんな贅沢言える時代じゃないからね、ほらハレも食べよ」
そう言ってハレにミドリムシが詰まった容器を差し出すが、ハレは止めときます、と頬をひきつらせて拒絶した。
昨日もその前も、ずっと食べてるのにまだ慣れないのかと疑問を覚えつつ、琴羽は壊れた壁の隙間から渋谷ダンジョンの様子を伺う。
やはり、何の異常もない。
「今日も平和だ」
吹き抜けの空を見上げ、琴羽は自らを騙すようにそう溢した。




