にゃんと鳴く虎 9
「いーち、にーい、さん、しー、ごー……」
湯船に浸かるとキセノは物凄い勢いで数を数え始めた。
「いい湯加減……」
風呂はかなり大きく、虎獣人である私とアリア、キセノが入ってもまだ余裕があるほどだ。
「にじゅうろく……にじゅうなな……」
さらに壁には大きな窓がある。せっかくなので錠を外し、ゆっくりと窓を開いた。
「さんじゅうさん、さんじゅうよん……」
開け放たれた窓から心地よい風が湿った室内に流れ込んで、元気な風が私の髭を揺らす──。
ここの風は本当に気持ちいいな。
暫くして私は目を開け、窓の外を見やる。どうやら、髭に風を感じて知らず知らずのうちに目をつぶっていたようだ。
そんなところをアリアやキセノに見つかったらまた『猫』と言われそうだが、幸いな事にキセノは数字を数えるのに必死で、アリアは──
──窓の外に見えるサラマンドラピークの雄大な景色に息を呑んでいた。
「ななじゅうろく、はちじゅうなな、きゅうじゅうはち、きゅうじゅうきゅう、ひゃ~く」
……少年よ、今激しくズルをしなかったか?
そんな私の疑問をよそに真っ赤な顔をしてキセノが続ける。
「百まで数えたし、僕は先に上がるよ。お姉ちゃんと虎さんはゆっくり暖まってね」
水面に浮いた如雨露と水鉄砲を抱えると、ザブザブと水面を揺らし元気良く脱衣所へ向かうキセノ。
「じゃぁ私も……」
キセノと一緒に出ようとしたアリアの手を握り引き止める。
「もう少し暖まろう……」
「……水、苦手なんじゃなかったの?」
キセノの姿が見えなくなってから悪戯っぽく口を開くアリア。
「濡れ始めが苦手なだけだ。ここまで濡れて湯に浸かっていればむしろ心地よい……」
自然と目が細くなる。
「……猫」
またか。
しかし続いた言葉は今朝とは違っていた。
「ガル……ちょっと痩せた?」
私に体をもたれさせ、心配げに体を触るアリア。
「心配ない、濡れているからそう見えるだけだ」
優しくアリアを抱きしめる。
「私のせいで無理……してない?」
「大丈夫だ、気にするな」
風呂から出るとすっかり着替え終わったキセノが待っていた。
「乾かすの、大変そうだから手伝ってあげる」
私は腰周りだけ手早く拭くと、褌を締め、全身を拭き始めた。やはり風呂に入ると入るときより出るときのほうが大変だ。
キセノに手伝ってもらい、体中を拭いていると遠慮がちに脱衣所の扉を叩く音が──。
「ガル……入っても大丈夫?」
──どうやら着替え終わったアリアが手伝いに来てくれたようだ。
「入っても大丈夫だ」
私の言葉を聴き、脱衣所に入ってくるアリア。その手には『術杖』が握られている。
……風の精霊を召喚し、一気に乾かすつもりか。……術の制御にはもってこいの練習だな。
「お姉ちゃん……?」
キセノがぼけーっと見上げる。しかしアリアはそれには答えない。深く精神を集中している為、キセノの言葉は既に聞こえていないようだ。
軽く目を閉じ、五感の全てを精霊召喚の為に捧げる。
一呼吸、二呼吸、三呼吸。途端、目を開き早口で呪文を紡ぐ。
……前回召喚した時より一呼吸ほど早くなっている。目覚しい進歩だな。
「新緑に輝く谷を翔ける一里の風を此処に──吹き飛ばせ、ウインディー!」
アリアが唱え終わった刹那。
名を呼ばれたウインディー──小さな旋風の様な姿──がアリアの手にした『術杖』の前にほんの一瞬だけ現れる。
──刹那、一気に風が巻き起こる。
攻撃に使用する際には際限なく強く念じればいいわけだが此処は屋内で、尚且つ濡れた仲間の水気を飛ばす程度の力加減──。
範囲を狭め、威力を絞るのは同じ術を使うにしても、格段に制御が難しくなる。
足元に強い風を感じ見やると、渦を巻く風が巻き起こり、足元から徐々に頭の方へ上がってきているようだ。
足、腰、腹、胸──徐々に上がってくる風圧にいよいよ耐えかねて私は目を瞑り──。
唐突に風は収まった。
ゆっくり目を開くと、あっけに取られた顔のキセノと満面の笑みを浮かべたアリアの顔が見える。
周りを見渡しても、強風が吹いた痕跡は何処にもない。
胸や手足を撫でると、微かに湿っているが、ほぼ完璧に乾いているようだ。
但し、マズルは濡れたままだ。足元から渦を巻いて垂直に上がってきた風では、マズルは乾きにくいのだ。




