にゃんと鳴く虎 21
守りたいものがあるなら死力を尽くして守れ──。
修行中、ガルがかけてくれた言葉が脳裏を過ぎる。
「駄目……ガル……私にはやっぱり守り切る事なんて……」
悔しくて涙が溢れる。
キセノ君とキセノ君が育ったこの街を守りたい。だけど……自分の無力さに腹が立つ──。
力が欲しい。
──どうして泣いているの?
心の奥底で知らない『声』が聞こえた。
知らない声……?
いや、違う。この『声』は聞いた事がある。
それは一体いつの事だったか?
必死で記憶の糸を手繰り寄せる。
あれは──ガルに出会うずっと前。
まだ小さな子供だった頃。
そう……あれは確かまだ小さかった頃、お城の中で迷って──。
遠い記憶が蘇る――。
薄暗く湿った地下の迷路。不気味な程静まりかえったそこはまるで煉獄へと続く後戻り出来ない道の様で――。
自分がどちらに向かっているかは疎か、来た道や戻る方向まで見失い、途方に暮れて泣いているアリアの前に小さな水の雫が現れたのだ。
──こんなところに一人で来ちゃ危ないよ。
「だって……迷ったんだもん……」
目に一杯の涙を貯めてそれだけ言うと再び泣き出す。
「暗くて……怖くて……一人で……さびしくて、不安で……」
──大丈夫。もう寂しくないよ。僕が君の側にいるからね。
「一緒に……いてくれるの?」
──うん。約束。
「約束?」
──寂しくなったら僕の名前をいつでも呼んで。
僕の名前は──。
記憶の中に微かに残る、長い長い名前を呼ぶ――。
「大海を治めし者──、ここに汝の力を見せ付け賜え──混沌の果てまでも、──押し流せ、レヴィアサン!」
アリアの呼びかけに呼応するかのように、急速に目の前に大量の水が溢れ出し、溢れ出した水は次第に奔流となって渦を巻き、やがて壮大な水の龍となる──。
──やぁ、アリア……久しぶりだね。僕のこと覚えていてくれたんだ?
あの時と全く同じ口調のレヴィアサン。
あの時はわからなかったけど。
彼は──レヴァイアサンは最強八大精霊のうちの水精霊で、龍の神――。
「お願い……力を貸して……あなたの力が必要なの……」
アリアの懇願にレヴィアサンはちらりとキセノを見やる。
――暴走した竜を止めればいいのかな?
アリアが答えようとした丁度その時――キセノが背後から炎の吐息をレヴィアサンに浴びせかけた。
――水よ。
涼しげに歌うように。
虚空から現れた薄い水の膜がレヴィアサンとアリアを優しく包む。
刹那。まるで操り人形の糸が切れたかのように――アリアの体から力が抜ける。
「アリア!?」
私は咄嗟に駆け寄ると、崩れ落ちるアリアを支える。
――やっぱり彼女はまだ僕をここに縛り付けるには荷が重いかな……?
レヴィアサンが困惑の声を上げる。
そう言うことか……。
精霊を“ここ”に繋ぎ止めておく為には代償として、アリアの内に眠る“力”が必要なのだ。
普通、その力を見極めるために精霊は戦いを挑み、己に勝つことが出来る者の呼び出しにのみ応じる。
その戦いにおいて“力”の総量を計り、術者の力量を知る為だ。
しかし、恐らくアリアはレヴィアサンとは戦っていない。彼女に術者のイロハを教えたのは私だが、彼女はそれ以前にレヴィアサンに会っていたのだろう。
アリアがレヴィアサンを召喚出来るのは――つまるところレヴィアサンの好意によるものであり、アリアに彼を打ち破る力が有る訳ではない――。
弱い精霊程度なら全ての“力”を奪われることは無いが――レヴィアサンは最強八大精霊の一角を担う霊獣――。
今の彼女の“力”の総量ではレヴィアサンが少し身を捩るだけでも危険なのだ――。
勝機が見えたと思ったが、このままアリアに召喚を続けさせるわけにはいかない。
……下手をすれば力を奪い尽くされ、アリアは――。
私の心情を知ってか知らずか、レヴィアサンは口を開いた。
――トラ君……見たところキミは一介の剣士に過ぎないけれど……
そこで言葉を切り、私を見つめ目を細める。
まるで値踏みするかのような、挑発的な目だ。
――僕達を“ここ”に繋ぎ止めておく“力”は随分持っている様だね。
微かに残るガルーダの残滓を、私の中に感じ取ったのだろうか。
対峙せずとも、即座に私の力量を見切るとは、流石は八大精霊と言うところか。
――アリアがこの調子だし、キミの持ってるその力を『僕が“ここ”に存在する為』に使ってかまわないかな?
私が彼に答えようとした、その時――。
痺れを切らせたキセノが再び灼熱の吐息を我々三人に浴びせかけた。
――踊れ、滴よ!
レヴィアサンの背に無数の滴が、翼のように広がる――。
「……ッ」
同時に。私はガルーダの召喚とは比べものにならない脱力感に襲われた。
どうやら私の返答を待っていては間に合わないと判断したレヴィアサンが、私の同意無しに私の“力”を使ったようだ。
透明な水の翼が優しく灼熱の炎を包み込み、白く輝く水蒸気となって辺りに霧散する――。
……召喚獣が召喚士の同意無しに召喚されるなど聞いたことがない。
気を抜けば膝をつきそうになるのを必死で堪える。
アリアが耐えきれず気を失うのも無理は無い。
無様に倒れぬよう、己の肉体に叱咤する。
――へぇ……さすが“書”が認めた英雄だけの事はあるね。
……英雄?私が?一体何の冗談だ。
常識外れの固まりである竜の皮肉に毒づきながらも目一杯、尊大な態度で口を開く。
私の“力”で“こちら”に繋ぎ止めているのだ。命令する権利くらいはあるだろう。
「押さえつけろ!」
――グルオォォォォ!
果たして私の命令に対してレヴィアサンが力強く吼える――。
知性をひけらかせて見せた所で、レヴィアサンも所詮は竜の欲望に溺れる存在でしか無い訳か。
冷たい目で私が一瞥したのを感じたのか、キセノに飛びかかる直前、レヴィアサンがこちらに片目を瞑って見せた。
……。悔しいが奴の方が一枚上手か。
遙か上空で水の竜と炎の竜がもつれ合う――。
キセノがレヴィアサンの首筋に噛みつき、レヴィアサンはその巨体でキセノを締め上げる。
レヴィアサンが爪を振るえば、キセノは力強い尾の一撃をレヴィアサンに叩きつける。
一進一退の攻防が続く――。
……地上に這い蹲ってその様子を見ることしか出来ない自分にイライラしつつ、アリアを抱き起こす。
もちろんレヴィアサンを“ここ”に呼び出したのがアリアで“ここ”に繋ぎ止めているのが私の“力”である以上、私とアリアだけが二匹の戦いの外と言うわけではない。そう言う訳ではないが、やはりこの手で直接押さえつけたいと感じるのもまた事実。
――ぐっ……
レヴィアサンが低いうめき声を上げ、我々の側まで飛んできた。
どうやら、キセノから渾身の力を込めた尾の一撃を喰らったらしい。
「さすがに苦労しているな……」
――全力で暴れると“力”を使いすぎるもので……ね。
私の皮肉にレヴィアサンも皮肉で答える。恐らく彼が力を押さえて戦っているのは事実だろう。
彼を本来召喚した術者では無いものの“力”を使って“ここ”にとどまる。
そんな非常識な方法で本来の力が出せるとはとうてい考えられない。
「……キセノを押さえつけられそうか?」
――どうだろうね?トラ君次第じゃない?……ただ、彼も限界が近いとは思うけど。




